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悪魔の御子  作者: 奏響
第1話 赤と銀の輪舞曲
11/71

自由の代償(上)

 「ただいまー、カインいないのか?」

 疲れ気味の声を発したライが帰宅したのは、沈みかけた太陽の光がパリの街を朱く染め始めた頃だった。

 一昨日から次ぎの小説の舞台予定であったベルサイユを素っ飛ばし、ボルドーに足を運んでいた。手にはボストン・バッグと土産らしき袋が提げられている。

「カイン、今帰ったんだけど・・・いないのか? 開けるぞ」

 言うが早いかライがカインの寝室の扉を開いた途端、ガッシャン! と激しい金属音が部屋中に響いた。

「お、おいっ! カイン!!」

 ライは思わず大声を出した。そのとき初めてカインはライのほうに顔を向けた。

「・・・? いつ帰ってきたんだ?」

「今の今だ。何やってんだよ、おまえ?」

 そう訊ねつつ、ライはカインの姿を見、部屋を見渡した。カインの手には作りかけの銃が、周囲には鈍い光を放つ金属が散乱している。

「あぁ、こいつの準備をしていたんだ」

 最後の部品をはめ、カインは右手の銃を掲げた。眼を細め、愛しむように。冷ややかな声とは裏腹に。

「S&W? それは確か・・・」

「そう、やつに貰った銃のひとつ。スミス&ウェッソン357マグナム・3.5インチバレル・・・。」

 カインは冷たく笑った。

 ライは寒気を覚えた。

 かつて、カインが『北の悪魔』の命を奪った銃。

 余りに重く、子供の頃にライも試し撃ちをしたものの軽く吹っ飛ばされた覚えがあった。

 大の大人でも、扱いに困るような銃だ。

 カインは、当然のように使いこなした。だからこそ、あの時も両手だったが無理なく撃つことが出来た。

 カインにとっては、まるで戒めのように、己の存在全てが罪悪であり、それを象徴するかのように持ち歩き続けてきた銃。

 カインの眼はヒトのそれではなかった。獲物を狩る獣のそれだった。

「・・・3人目か? 自分から赴く気か、おまえ・・・」

 ライの問いに、カインは笑顔を向けた。

 何の意味も含まれていない無邪気な笑顔。

「まさか。手伝って欲しいからおまえを待っていたんだ。いいよな? セシルとアイラにはもう了承をとってあるから。」

 にっこりと、まるで子供のような目でカインはライを見上げた。

「て、手伝う・・・?」

 目を白黒させてライはその瞳を見返した。

 カインがくすっと笑う。

「カンタンなことさ。『抑え』になってくれればいいだけだから」

 カインの視線が逸れたことに気づき、ライは背後を振り返った。

 ちょうど扉が開き、Zが中に入ってきたところだった。

「おま・・・」

 Zに向かって言いかけたライを遮るように、カインは彼の横を擦り抜けた。

 眼で何かしらZに合図をすると、彼はバス・ルームに消えた。

 ライは何のことかさっぱりわからず、怪訝そうにZを睨んだ。

「そんなに睨むなよ。美人が台無しだ。」

「おまえの戯言を聞いている暇はねぇ」

 ライの殺気にZは身を退いた。

「・・・あの男を片付ける決心がついたそうだ」

「あの男?」

 そう呟いてライははっとなった。Zが静かに首を縦に振る。

「ほ、本気なのか・・・? アイツ・・・」

「カインにとっては、もっと早く消しておくべき存在だったんだろうが、そう出来ない事情もあったんだな。」

「Z・・・?」

「カインの過去を知る者は何かしらの理由で消されてきた。知ってるだろう? ライ。それは・・・復讐という言葉が一番近いのかな? あの男も例外ではなかった、というだけの話だな。」

「よく話が見えない。Z、わかるように説明してくれよ」

 Zの独白じみた言葉にライは苛立ちを覚えた。

 そんなライの様子にZは哀しげな眼を向ける。余りにも何も知らされていない彼の同胞に。

 兄弟同然の彼らにさえ、カインはひた隠しにして生きてきたのだ。

 あの男はそれを知る唯一の存在。

「ライ・・・、俺はもちろんセシルやアイラ、おまえでさえ知らない過去がカインにはある。俺がカインに出会ったのはかれこれ10年も前になる。あの頃のアイツは荒みきった眼をしていて近寄れないほどだった。その上あいつが置かれていた状況も常軌を逸していた。それは酷いものだった」

「おまえがカインと出会った頃・・・?」

 そう言えば・・・、と前置きしてライは訊ねた。ライがフランスに来た頃、Zはすでにカインのエージェントとして働いていた。5年前の話だ。だから、それ以前のことは知らない。

「俺がこっちの大学に在籍していた頃だ。カインはまだ18歳だった。渡仏してから、俺はちょっとした小遣い稼ぎのつもりで情報屋まがいのことをやっていた。そいつでトラブル起こして客に殺されかけた。けれど、そこを助けてくれたのがたまたまその場に居合わせたカインだった。俺を助けた理由が凄いぜ。『殺そうとしていたやつのほうが悪党ヅラしていたから』だってよ。」

 思い出したのかZはふふふと笑った。カインらしい、とライは思う。

「どんな状況でも、妙なところでガキっぽいな」

「だろう? でも、そのおかげで俺は死なずにすんだ。だけどな、そんな口調とはまったく正反対の、全身から醸し出された雰囲気に俺は完全に呑まれた・・・」

 Zは白い天井を見上げた。

 あのときのカインの姿が、眼が、脳裏に甦る。

 夜の闇に浮かぶ銀髪、整い過ぎた容姿、血石の眼、薄く開かれた赤い唇には冷笑さえたたえられていた。

 ぞっとするほどの美しさ。

 Zは突如舞い降りた黒い翼の堕天使に魅入られ、そして惹かれた。

 気がつけば彼を誘い、大して飲めない酒を朝まで飲んでいた。

「で、すっかり惚れ込んじまって押しかけでエージェントになったってわけ。だけどな、最初は仕事でもプライベートでも取っ付き難くてな。いつも無表情で神経張り詰めてたよ。それでもだ、1年ほど経つと変わってきたよ。子供っぽい表情も見せてくれるようになった」

 今までどんな人間と接してきたのか、それはわからなかった。だが、陽気で明るいZにいつしかカインは心を開いていた。もちろんそればかりが理由ではないが。

「しかし、俺も最初の印象をすっかり忘れていたんだな。はっきり言ってあの時見たカインはショックだった。」

「あの時?」

 Zは頷き、少し俯き加減で口を再び開いた。

「ある暗殺の依頼を終えたカインを俺は迎えに行ったんだ。暗闇の中から現れたアイツの姿に俺は・・・絶句した」

 カインの真実の姿に、とZは付け加えた。

「どんなやり方をすればそれほど酷い姿になるのか・・・とにかく俺には想像を絶する格好だった」

 全身に浴びた血、焦点の合わない眼、おぼつかない足取り、空っぽの心を映し出したかのような表情・・・。

 Zは慌ててカインを車に押し込むと、ヘッド・ライトを点けずにその場を去った。

 生まれて初めてZは本当の恐怖を知った。

 カインの内に潜む闇を。深く、狂いそうな闇を垣間見た。

 そんな心を抱えた10代の少年など情報屋のZは見たことなかった。

「ライ、誰も知らない空白の過去がカインにはある。今もなお計り知れない闇に覆われた心がその証拠だ。その過去に、あの男は・・・レイモンドはおそらく深く関わっている。それがカインを囚われの身にする鎖になっているんだ。でも、やつからは逃げられなかった。逃げようとしなかったのか、それもわからない。が、カインは今までレイモンドに飼われていた状態だ。裏切り、背信は消滅を意味する。死ではなく消滅。闇に生きているおまえならわかるよな?」

 ライは無言で頷いた。

 ダーク・サイドの人間に『存在』は要らない。死ねば『存在』は抹消される。生きていたという事実も死んだという証明も一切ない。完全な無の状態。

「レイモンドはそうやって何人もの人間を葬り去ってきたわけか。カインもその例外じゃない」

 もちろん、俺たちもな。

 ライは自嘲気味に微笑んだ。

「だが、カインがレイモンドをターゲットに狙う理由は・・・」

「一連の刺客の件だろうな。特に、アンリ=クレイマーが引き金になった」 

「・・・あの時、俺もいれば・・・」

 悔しそうにライが唸った。

 アンリ=クレイマーをその手で殺害してからカインは決意したのだ。レイモンドを消すことを。

「カインはレイモンドと手を切ると言った。アンドレア暗殺依頼のときに。だから、レイモンドはカインを抹殺しようと思ったんだろう。自分の悪事を知っている人間を野放しにはしないからな。だから3人の刺客を送った。そしてその3人の刺客もついでに始末しようとしていた。・・・アンリ=クレイマーたちは捨て駒だったというわけだ」

「悪党だな・・・」

「いろいろ調べてみたが、アンリ=クレイマー、ヘルメイ=スカル、そして3人目の男、ジョルジュ=エルトは皆何かしら弱みを握られていた。最初は気づかなくても、利用されて知らぬうちに自分が罪を犯させられていたとしたら・・・? それをネタに脅迫されているとしたら・・・? ジョルジュ=エルトはその典型だ」

「上手くレイモンドにのせられたわけか」

「ジョルジュ=エルトは他の2人とは違ってド素人だ。多分金か自由か・・・餌に釣られたんだろう。けれども、追い詰められれば捨て身でカインを殺しに来る。どれほど無謀だとしても。カインもそんな相手に手を出すような人間じゃないし・・・」

「だから・・・元を断つ・・・と?」

 ライの言葉と同時にバスルームの扉が開く音が聞こえた。

「なんだ、まだそんな格好でいたのか? ライ」

 2人の振り返った先には濡れた髪を拭くカインの姿があった。

 タオルの隙間から顔が覗く。もういつものカインの表情だった。

 いつもの声、いつもの調子だ。

 ライは微かに安堵の笑みを浮かべた。

「カイン、手伝ってやるからシャワーを浴びる時間ぐらいくれよ」


 街が新月の闇に溶けた。

 まばらに灯る街燈に男は眼を細めた。

「もう・・・0時か。すっかり遅くなってしまったな・・・」

 腕時計を見、男はそう呟いた。

 その右手には大きな包みがあった。愛娘へのプレゼントだろう。

「もう少しだよ、マリエール。もう少しで幸福になれる。もうおまえに苦労をかけずにすむ・・・」

「だといいわね。・・・ムシュウ・ジョルジュ=エルト」

 突然の台詞にジョルジュはその場で固まった。目をきょろきょろさせて周囲を見渡す。が、辺りは闇。この辺りのアパルトマンはお粗末なものでスラム街にも等しい。灯りらしい灯りも街燈だけだ。

「だ・・・誰・・・!!」

 叫んだ瞬間、首筋に冷たいモノを感じた。

「ジョルジュ=エルト。振り向かずに自分の部屋に入りなさい」

 うら若い女の声。背丈も、気配から察するに自分ほどではない。

 だが、ジョルジュはその声に抗えない何かを感じていた。

 冷たい威圧感が彼を支配する。

 ジョルジュ=エルトは言われたとおりに真っ直ぐアパルトマンの自室に足を踏み入れた。

 開いた扉の向こうから刺すような光がジョルジュから視界を奪った。

「くっ・・・眩しい・・・」

「待っていたよ、ジョルジュ=エルト」

 ジョルジュは耳を疑った。その声には聞き覚えがあった。抑揚のない冷静な、冷徹な響きを持った声。

 目を凝らしてどうにかその姿を確かめようとした。

 声の主の口元が緩んだのが見える。

「久し振り、ジョルジュ=エルト」

「あ・・・あんたは・・・」

 首筋に当てられているナイフの存在を忘れるほど動揺しているのか、ジョルジュは思わず背を向けて逃げようとした。

 が、肩を掴まれていて結局身動きは取れない。

 動揺を表したような目でジョルジュは部屋の中の人間を何度も見た。

 左の壁にもたれ長い髪を束ねた男。右隣の部屋に続く扉の横に立つ黒髪の東洋人。先程からジョルジュの命を握る金瞳の女。

 正面には明かりを受け輝く銀の髪、紅の瞳。

「ハ、ハロルディア=カイン=アルフォード=コリューシュン・・・」

 ジョルジュは生唾を飲み込んだ。

 カインはまったく表情を変えていない。口元が微かに緩んでいる以外に。

「フル・ネームで覚えていただけているとは光栄だね。ほとんどの連中は俺の異名しか知らないのにな」

 全身から血の気が失せるのをジョルジュは感じた。

 小刻みに震えがくる。

「な・・・なんで・・・」

 ここが? 何故?

 言おうとしたが言葉にならない。

 彼は神経の末端まで恐怖に支配されていた。所詮は素人だから。

「別にあんたに危害を加えに来たわけじゃないから安心しろ。死ねば泣く娘がいるだろう?」

 そう言われて初めてジョルジュはマリエールの姿がないことに気づいた。

「む、娘は!? マリエールは何処に・・・!!」

「静かにしてくださる? 今眠ったところだから」

 我を忘れて叫ぼうとしたジョルジュを制したのはアイラだった。隣室の扉を静かに後ろ手で閉める。

 ジョルジュは安堵の溜息をついた。自分の置かれた状況も忘れて。

「ムシュウ・・・知っていたんだな、初めから。私のことも・・・」

「まぁな。そこにいる男が色々調べ上げてくれてな」

 カインは親指でZを示した。

 ジョルジュは一瞥しただけで頭を垂れた。

「セシル、もう良い。座らせてやってくれ」

 セシルは無言で頷き、半ば強制的にジョルジュを座らせた。

「さっきも言ったが、俺はおまえたち親子をどうこうする気はさらさらない。」

「・・・」

 ジョルジュは何の反応も示さなかった。カインは構わず続ける。

「聞かせてほしいだけだ。何故殺しに関しては素人のはずのおまえがここまでやるのか。レイモンドに何を握られているんだ」

 今まで無反応だったジョルジュはレイモンドの名にはっきりと動揺を見せた。カインの紅瞳に鋭い光が宿る。

「・・・マ、マリエールが・・・」

「何?」

「マリエールの命が、や、やつらに・・・」

 ジョルジュは苦しそうに吐露した。

「・・・どういうことだ?」

「・・・もともと私はレイモンド会長の持っている工場のひとつで働く労働者のひとりに過ぎなかった・・・」

 覚悟を決めたのか、諦めたのか、ジョルジュは重々しく口を開いた。

「その頃、私は妻と生まれたばかりのマリエールと3人暮らしだった。貧しかったがそれでも幸せだった。妻が病気で死ぬまでは・・・」

 マリエールが5歳の誕生日を迎えた3日後のことだった。娘を産んでから病気がちだった妻は重い心臓病を患っていた。ジョルジュはなんとか治療費を賄おうと必死になって働いた。が、所詮労働者の賃金などたかが知れている。彼は工場の社長に借金を頼むが冷たくあしらわれた。

 満足な治療も受けさせられず、妻は他界した。

 ジョルジュにはマリエールが残された。まだ幼い娘をジョルジュは近所に預け仕事に行く毎日が続いた。

「ある日、私はたまたま社長の部屋に用事で入ったんだ。社長はいなかったがデスクのコンピューターの電源が入りっ放しになっていた。私はそれを消そうと思って近づいたんだ。だが・・・」

 魔がさした。

 若い頃コンピューターを勉強した経験があったジョルジュは、気づいたときには工場の裏帳簿を引き出していた。

「そのときになって私は初めて知った。社長が我々労働者の賃金を最低に抑え、品物を横流しし、利益を着服していたことを。怒りが湧き上がったよ。本来の、満足のいく賃金だったならば妻は死なずにすんだかもしれない。工場の仲間も皆貧しさに苛立ち、泣く必要もない。全ては社長の仕業だった。もう抑えきれなかった。私はその帳簿を別のフロッピー・ディスクに移し、急いで工場を後にした。」

 その足でジョルジュはレイモンドの邸へ赴いたが、初めは門前払いを喰わされた。しかし、何度も食い下がったおかげかどうにか直接会うことを許された。そのときレイモンドに口添えをしてくれたのが若い執事だった。

「1週間後、社長はセーヌ川で水死体となって発見された。怖かった。私のせいで彼は死んだ、そう思った。だけど、こうも思った。『ざまぁみろ』と。それからすぐだ。会長に呼ばれ、私はあの邸に赴いた。そこで会長が私に言ったんだ」

『給料は弾む。どうだ、私のために働かないか?』

 レイモンドはジョルジュの能力を高く評価していた。幾重ものプロテクトがかけられていたデータを簡単に引き出した腕とその判断力を。

 ジョルジュは即承諾した。給料が多ければ生活が楽になる。マリエールと2人で幸せに暮らせる。

 理由は単純だった。

 しかし、仕事を重ねるにつれ奇妙なことに気づいた。

 レイモンドを欺いて利益を貪っていた連中が次々と死体で発見されるようになったのだ。次第に恐ろしくなったジョルジュはレイモンドに訴えた。

「それでも、どんなに訴えても、仕事を辞めさせてくれといっても承知してもらえなかった。私が調べ、提出したデータは全て裏帳簿や不正の証拠だった。それをもとに会長は始末していたんだ。・・・私が殺したようなものだ。耐えられなかった。そしてついに・・・ついに人を殺してしまった」

 微妙にカインの口元が歪んだ。ジョルジュは瞼を固く閉ざした。

「客にブランデー入りの紅茶を出したんだ。それが好きな人だったから。上からそう指示されたんだよ。・・・信じられなかった。けれどもそのとき気づいた。確かに紅茶を入れたのは私自身だったし茶葉はいつも使っていたものだった。けど、ブランデーは会長のところの・・・あの執事が入れるようにと直接持ってきたんだ。それでも、私が殺したことに変わりはない・・・」

 追い詰められた表情でレイモンドに掛け合ったが会わせてもらえなかった。代わりに執事に訴えた。何故あんなことをさせたのか、と。

 しかし、執事はただ冷ややかな目で笑った。

『もう逃げられませんよ、ムシュウ・エルト。貴方は人ひとり殺したんですから。旦那様に逆らえばどうなるか保障は出来ません。・・・可愛らしいお嬢さんじゃないですか? ねぇ』

「それで言いなりになっていたわけか」

 Zが顎に手を当てて呟いた。ジョルジュは視線を向けずに頷いた。

「マリエールは学校に行っていた。私は怖かった。いつ娘が殺されるかもしれない日々を送った。学校にやっても、常に人目があるわけじゃない。だから、私はマリエールを生活が苦しいからと偽って知り合いに頼んで市場や街角で花売りをさせた。街中なら常に人がいるし、マリエールには警官が必ず通る道に立つように言い聞かせていた。そうするしか・・・そうするしか私にはあの娘を守る術がなかったんだ・・・」

 ジョルジュの頬に一筋の涙が流れた。娘を愛する父親の涙だ。

「何故カインを殺害するように命令されたの? 貴方の腕ではかなわないのはわかりきっていたでしょう?」

 背後のセシルが少し柔らかい口調で訊ねた。ジョルジュは少しだけ顔をあげた。

「ムシュウを始末すれば自由と金をくれると言ったんだ。最後の仕事にしてやると。それにヘルメイかアンリが成功すれば自由だけでもくれると・・・だから・・・私は・・・」

 涙声で、最後は言葉にならなかった。

 カインがひとつ溜息をつく。

「それが子供のためだと? 本当にそう思っているのか? ・・・冗談じゃない。娘のためだといって本当は自分の利益と保身のためじゃないか。」

 カインは冷たく厳しい口調で言い放った。その言葉にジョルジュは勢いよく顔をあげた。

「ち、違う・・・違う!! 私は・・・違うんだ!!」

「何が違う! こんな時間まで娘を放りっぱなしのくせに良くそんなことが言えるな!! 何が『娘のため』だ。偉そうな口叩くんじゃねぇ! 笑わせるなっ!!」

「もう、よせ。カイン」

 思わずライがカインを制した。

 ジョルジュは言い返す言葉を失い、虚ろに目を動かすだけだった。

 カインは腰を上げた。

 ジョルジュを見下ろす。

「・・・本当に娘を思っているというのなら、『これから』は自分の思う通りに生きろ。それが本当の意味であの娘の幸福に繋がる」

 ジョルジュはその言葉に泣き崩れた。泣きながら、聞こえてきた言葉は娘と亡き妻への懺悔にも聞こえた。

「アイラとZはここに残ってくれ。『何か』あったときのために2人を頼む」

 2人は黙って首を縦に振った。

「ライとセシルは俺を手伝ってくれ」

「言われたとおり『抑え』ときゃいいんだな」

「お任せあれ」

 ライとセシルは力強く答えた。カインは真面目な顔で頷き、サングラスをかけた。

「邸まで送ろう。そのほうが下手に足がつかないから」

「そうしてくれ」

 Zの申し出にカインは賛同した。

 それじゃあ車をとってくる、と言ってZは外に消えた。

 しばらくしてエンジン音が聞こえてきた。ライとセシルが先に行く。

 カインは振り返ってジョルジュを見た。

 涙に震える背中は余りにも小さくカインの眼に映った。

「カイン、ちょっと待って」

「何だ? アイラ」

 出て行こうとするカインをアイラが引き留めた。小さな手帳サイズのケースを取り出す。

「最近手に入ったものでちょっと作ったの。セシルに渡しておいて。『抑え』の役に立つから」

「わかった」

 カインは上着のポケットにそれを入れると靴音も立てずに闇に消えていった。

 闇の中でカインはひとりの男の姿を思い出し眉をひそめた。

 自分と似通った容姿を持つ男。

 男が微かに笑った。

 カインの全てを嘲笑うかのように。

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