補佐官だって、ため息をつきたい。
「王女殿下!」
私は、手の汗が止まらない。
なぜ、こんなことになっている。
今週は忙しかった。
先週から立て続けに起こった事件が解決し、その事後処理と報告書に追われていた。
珍しく、上司のレストレード監査官ですら報告書を書いている。
そのせいなのか、季節外れのみぞれがロンドン郊外で降ったと、誰かが言っていた。
私――ステラ・ホプキンスは、魔法省監査局に勤務している。
主な仕事は、私が住んでいる魔法都市ロンドンで起こる事件・事故の捜査をすることだ。
事件といっても、程度がある。
市民の苦情や不審物の確認から、本格的な捜査が必要なものまである。
補佐官の仕事は細かな事件が多いが、もちろん、大きな事件の捜査が必要なときは、監査官の補佐をしなければならない。
事件は、こちらの都合など待ってくれないのだ。
私は調整室から回されてきた内容をさらに精査し、事件の内容を確認していく。
事件に手を付ける準備をしていく。
つ、疲れた。
な、何とか片付いた。
私の心は、空っぽになっている。
事件は多かった。
報告書も多かった。
しかし、一番の問題は、四半期の時期であること。
それは、節目になる日。
出さなければならない書類の数が多すぎる。
毎日、報告書を書いていると思っていたが、この日は違う。
もっと前からやっておくべきだった。
皆がそう思う。
しかし、なぜか締め切りが近くならないと、書類が回ってこない。
そのため、この一週間は、書類の数がおかしかった。
家に帰ろう。
頭は空っぽでも、体は無意識に動く。
家の周辺に、いつもと少し違う雰囲気がある。
なんだろう?
私は一度、周囲を見渡す。
普通だ。
疲れているのかな。
それとも、単に頭がまだ書類脳になっているのかもしれない。
家に着き、玄関のドアを開けた。
違和感がある。
いつもなら飛び掛かって出迎えてくれる犬のモフモフがこない。
おかしい。
匂い?
いや、人の気配を感じる。
リビングのソファに、誰かが座っている。
「誰?」
私の中で、警戒音が鳴り続ける。
補佐官の家とはいえ、それなりの魔法警備体制が、この家にはある。
魔法省を恨む者や、不審者に対応するようになっている。
しかし、それを破った者がいる。
危険だ。
私の心の警戒音を無視するように、ソファから気品のある声が聞こえた。
「あ、ステラ。お帰りなさい」
「え、あ、あなた様は……」
そこにいたのは、王女殿下だった。
ヴィクトリア・アレクサンドラ王女殿下。
英国の第三王女。
アレクサンドラ王女殿下が、私の部屋にいる。
しかも、ソファに座っている。
モフモフはその前で横になって寝ていた。
のんびりと。
いや、そんな人、ここにいちゃダメでしょう。
「あの、あ、アレクサンドラ王女殿下。その、どうして、ここにおられるのですか?」
「はい。ここだと言われたので。シャーロットに」
シャ、シャーロット!
あ、あの人、いったい何を?
「シャーロットさんですか?」
私は、何とか理性を維持しようとする。
シャーロットさんは、魔導学園の生徒で、私が勤める監査局の依頼で事件の手伝いをしてくれる人である。
とても優秀で、助かることが多い。
しかし、同じぐらい問題事も起こす人でもある。
「はい」
私の言い方が強すぎたのか、アレクサンドラ王女殿下が黙ってしまう。
まずい。
私は、補佐官だ。
たとえ、相手が王族とはいえ、聞き取りくらいできる。
はず!
よし。
がんばれ、ステラ。
私はできる子だ!
「あの、アレクサンドラ王女殿下。シャーロットさんは、どうしてここに、と……」
私は、勇気を出して聞く。
こ、怖くない。
相手も同じ人間だ。
「はい。ここがステラの自宅だと」
なぜ?
私の家?
というか、一言言ってほしい。
最近忙しくて、部屋も片付いていない。
脱ぎ散らかした服が、ソファの周りにあるような気がする。
は、恥ずかしい。
せめて掃除させてください。
いや、ちょっと待て。
落ち着こう。
私の家に王女殿下がおられるということは、変だ。
シャーロットさんには、変装の趣味がある。
この前も、アレクサンドラ王女殿下の格好をしていた。
可能性はある。
これは、私を試す実験だ。
「アレクサンドラ王女殿下、少し髪を触ってもよろしいですか?」
普段なら、こんなことは許されない。
しかし、私には確信がある。
あれは、シャーロットさんの変装だ。
「え、は、はい」
私の圧に押されて、アレクサンドラ王女殿下に変装しているシャーロットさんが言う。
さすが、シャーロットさん。
演技もうまい。
髪は、かつらなので、少し引っ張れば簡単に取れるはず。
金髪のかつらを取れば、銀髪のショートボブが出てくる。
そして、彼女は私に不器用に謝るのだ。
「い、いた……痛いです、ス、ステラ」
「え?」
「王女殿下!」
え、えーー。
私は今、うなだれている。
どうしよう。
本物だ。
本物のアレクサンドラ王女殿下だ。
私、もう、終わりだ。
汗が止まらない。
「だ、大丈夫ですよ。シャーロットの変装だと思ったのでしょう。そうですよね。私が家にいたら、少し驚きますよね」
アレクサンドラ王女殿下、やさしい。
涙が止まらない。
私は、腕を目元に当てて泣いていた。
そんな時、玄関から音がした。
「ヴィクトリア王女、待った?」
ワトソンさんの声だった。
シャーロットさんの保護者で、私の仕事の相談役。
そして今は、王女殿下にタメ口で話す危ない人。
「いえ、そんなに待っておりません。ステラと楽しいお話をしていました」
「そう。よかったわ。ステラも仲良くなったのね」
ええ。
王女殿下の髪を引っ張るくらいに。
「あの、シャーロットさんは?」
私は、元凶の姿を探す。
「シャルは、事件があるとかでレストレードのところに行ったわ」
な、何を言っているのか、理解ができない。
王女殿下を人の家に置いておき、自分はいない。
じ、自由すぎる。
「まあ、事件なら仕方がないですよね」
王女殿下、シャーロットさんに甘すぎです。
アレクサンドラ王女殿下とシャーロットさんは、魔導学園の生徒である。
二人は研究仲間でもあり、仲が良いらしい。
「ステラ、眉間に皺が寄ってるわよ」
ワトソンさんが、耳元で私にささやく。
私、家に帰りたい。
ここが私の家だけど。
「その、ワトソンさん。アレクサンドラ王女殿下が私の部屋にいる理由は何ですか?」
私はついに、謎の核心について話をする。
もしかしたら、緊急の事件かもしれない。
頭が回っていなかった。
その可能性の方が十分高い。
私の部屋を、秘密の待合場所にしたのかもしれない。
「え? だって、今日でしょ」
なに?
今日?
何の日?
給料日?
家賃の支払い日とか?
私は、思い出せない。
「今日は、ステラの誕生日でしょう」
そうだ。
誕生日だった。
すっかり忘れていた。
子供の時は、なぜか楽しみだったのに、働くようになってから、年々その日が希薄になっていた。
そうか。
もう一年経ったんだ。
ワトソンさんが、不思議そうにこちらを見ていた。
「ステラの誕生日会をやろうって話になったのよ」
「せっかくだから、ステラの家に集まってね」
嬉しかった。
毎日、仕事に追われていたので、自分の誕生日も忘れていた。
それなのに、誰かが覚えていてくれたことが、単純に嬉しかった。
ただ、私の家に集まることを、もっと早く言ってくれればさらに嬉しいけど。
「ステラ、おめでとう」
「はい、ありがとうございます。アレクサンドラ王女殿下」
私は、ひざまずいてお礼を言う。
「堅苦しいのは嫌です。ステラ、私のことは、ヴィクトリアと呼んでください」
よ、呼べません。
ファーストネームで呼ぶなんて、恐れ多いです。
でも、断ることなんてできるのだろうか。
「そうだ。王宮の料理長にケーキを作ってもらいました。甘いものが好きと聞いたので」
ケーキ。
しかも、王宮で出されているもの。
それは、いったいどんな味なのだろう。
ヴィクトリア王女殿下。
私、一生ついていきます。
「お、おいしすぎる」
な、何が違う。
砂糖、牛乳、小麦、全てが違う。
根本的な素材が、まるで違う。
もちろん、それだけではない。
スポンジの火加減、生クリームの柔らかさ。
ただ甘いだけではない。
一つ一つの個性を出しながらも、まとまりがある。
これが、王宮の味。
こんなのを食べたら、戻れない。
「どうですか、ステラ?」
ヴィクトリア王女殿下。
こんなおいしいケーキ、初めて食べました。
「お、い、し、い、で、す」
口の中のものを少しでも離さないように、私は話す。
ああ、喉を通るのがもったいない。
おいしい時間は、あっという間に過ぎる。
シャーロットさんは来なかったけど。
「この辺でお開きにしましょう」
ワトソンさんの一言で、終了になった。
「いまさらですけど、この家、魔法省の魔法障壁があるとしても、警護もなしに王女殿下を一人にするのは、まずいのではと思うのですが」
私は、甘いものにより、やっと頭の活動を再開できていた。
「え、いるわよ。この家の周辺に、王宮親衛隊」
「あと、王女の後ろにも、ずっと一人いるわよ」
ワトソンさんは、知らなかったの、という顔でこちらを見る。
ヴィクトリア王女殿下は、軽く首を横に傾ける。
え、私は今、気づいた。
うそでしょ。
いた。
王宮親衛隊。
気配が全くない。
わからなかった。
もしかして、さっき王女殿下の髪を触った時、私の命が一番危なかった時かもしれない。
全身から血の気がなくなる感じがした。
「じゃあ、ステラ。また遊びに来ます」
「は、はい、ヴィクトリア王女殿下」
王女殿下が去った後に、私はワトソンさんに言った。
「ワ、ワトソンさん。シャーロットさんに言っておいてください」
「突然、王女殿下を家に入れないでくださいって」
片付けをしてくれているワトソンさんに、私は少し怒り気味に言う。
「シャルは、今回の誕生日会のこと、知らないわよ」
「え?」
「シャルが誕生日会なんて、自分からやるように見える?」
いや、見えない。
そういうことに興味なさそう。
「これは、ヴィクトリア王女が考えたのよ」
え。
だって、シャーロットさんにって……。
言ってない。
私の家がここだと言っていただけだ。
「知ってた? 魔導学園の問題児、まあ一人はシャルだけど、もう一人がヴィクトリア王女なのよ。あの人、こういうサプライズが大好きなのよね」
「シャルは、研究と事件のためなら何でもするけど、ヴィクトリア王女は人が大好きなのよね。気に入った人間には特に。だから、シャルにかまってるのだけど。よかったわね、ステラも気に入られて」
ワトソンさんは、ちょっと悪い顔をして微笑んでいた。
え。
どういうこと?
勘の悪い私は、やっと理解する。
シャーロットさんは、関係なかった。
私の家に簡単に侵入できる力が、ヴィクトリア王女殿下にはある。
私を驚かせるために、わざわざこんなことをしたのだ。
私は思い返す。
こんなことなら、もっと髪の毛を強く引っ張ればよかった。
はあー。
私は、ため息をつきたくなった。
シャーロットのスピンオフです。
ステラが主人公です。
少し後の話です。




