29 富田(とんだ)、秀吉
摂津。
富田。
この大阪平野にあって、淀川の水運を利用できるここは、軍事的な要衝として知られる。
ここに籠もって将軍位を望んだのが、平島公方・足利義栄であるというのは運命の皮肉ではあるが、いずれにせよ、ついに羽柴秀吉はこの富田に到達した。
そこで衝撃の知らせに接した。
「大坂の三七(織田信孝)どの、討死!?」
だがこれは虚報で、まもなくその織田信孝や丹羽長秀が合流して来ることにより、それが証明された。
「惟任(光秀のこと)め、やりおるわい」
秀吉としては、「御輿」としての信孝に期待していたため、ひやっとしたものだが、逆にいうとそのようなあからさまな虚報をしてくるまでに、光秀が思い詰めていることを知った。
「そこまでわしの、ひと時の逡巡すらも、欲しいのかのう」
と言って。
ともあれ、秀吉は信孝らを招いて軍議を開き、目論見どおり、信孝を名目としての大将として戴き、実際は秀吉が兵を率いる、ということに決まった。
それには、
「それがしの中国攻めの兵、それにそれがしが声をかけた摂津諸侯の兵を合わせた四万。これにて信長さまのかたきを討つ」
という、秀吉の大音声に誰も何も言えなかったからだという。
実際は二万という説が有力だが、どちらにせよ秀吉が「明智討伐軍」の中で最大兵力を誇っており、それに対して四千に達するか達しないかの兵力の信孝には、命令どころか抗議すらできなかったに相違ない。
「よっしゃよっしゃ。これでええこれでええ」
秀吉はほくほく顔で陣立てを決める。
陣立ては、中央に摂津諸侯、つまり高山右近、中川清秀らを、左側の陣には羽柴秀長、黒田官兵衛らを、右側の陣には、参陣した池田恒興、加藤光泰らを配置した。
「左、右とは」
この質問は池田恒興から出た。
この男は、織田信長の乳兄弟であり、歴戦の猛将であり、本能寺の変当時においては、摂津伊丹城主であり、その摂津伊丹という地にいたことが幸いし、こうして秀吉の軍に加わっている。
「左は山。右は川。そう思っていただいて結構」
これは、秀吉が黒田官兵衛に言わせた。
官兵衛は自作の地図を広げた。
その地図には、摂津富田から京にかけてが描かれている。
官兵衛が「左」と呟き、天王山を指した。
次いで、「右」と指を動かし、淀川をなぞった。
「すると、どこで戦うのか」
恒興は猛将ではあるが、いささか見通しが甘い。
そしてそれを素直に口にするところが、この男の人から好かれる理由である。
だからここは、秀吉がおどけた。
「そうよそうよ、官兵衛よ、一体、どこで戦うのきゃあ?」
事実上の総大将がそれを知らんのかと織田信孝は眉をひそめたが、隣にいた丹羽長秀などは、知っているくせにと、恐ろしさを感じた。
だが、大体の諸将は、秀吉のほがらかな笑顔ととぼけた口調に、一斉に吹き出した。
官兵衛はいかにも困ったというように「これはしたり」とつぶやいて、それから言った。
「ここでござる」
ばん、と掌を地図の中心点に置いた。
そして掌を上げると、ある地名が記されていた。
山崎、と。
*
……古来、大軍と大軍がぶつかり合う時、あるいは、天下分け目と称される大いくさが起こる時、その場所はおのずと決まってくるものである。
この物語の、明智光秀軍一万六千と、羽柴秀吉軍二万の場合は、それが山崎だった。
「京の、前で」
それが、光秀の考えである。
朝廷より京都守護の勅命を仰せつかり、かつ、丹後の細川藤孝への示威として、さらに、淡路は秀吉に取られてしまったが、いくさに勝利してそのまま平島公方を迎える、という姿勢を示すためにも、京の前でのいくさを望んだ。
また、光秀の武将としての判断で、自分より兵力の大きい羽柴秀吉を相手にする以上、戦場を狭隘な山崎に設定する必要があった。
「秀吉めの大軍が広がらないように。攻めて来るにしても、小勢で、順繰りににやって来るように、狭い土地で」
兵法としては定石どおりの判断である。
これを聞いて織田信孝あたりは、「面白みのない奴」と哄笑したが、そういう定石に従ってことを運んでのけるからこそ、光秀は織田家一の将に昇りつめたことを秀吉は知っている。
「……じゃが、それをわかっていて征かねば、光秀は、食えぬ」
秀吉としては、純粋に明智光秀より大兵力を素早く揃えるために中国大返しを敢行した。
だがそれ以上に、秀吉単独で(といってもいいかたちで)光秀を撃破したいために、ここまでやって来た。
それは戦後の政局、つまり天下取りのためである。
「……どうせ、そないな、不埒なことを企んでおるんやろ」
光秀もまたそんな秀吉の心理を読んでいる。
読んでいるからこそ、ぎりぎりまで下鳥羽に陣して、京の前で対峙する方向へと流れを作った。
「もうここまで来たら、あとはぶつかるだけや。褌締めや」
さすがに明智光秀である。
戦う、となった以上、巧みに定石どおりに詰みに持って行く。
北の、柴田勝家の「抑え」として近江に置いた腹心、斎藤利三をこの決戦の地に呼び寄せたのがその証左である。
その利三は、阿閉貞征のような近江の諸将を引き連れて来るという、期待以上の働きを見せた。
「これなら、行ける」
書状に使いにと、今まで謀略にいそしんできたが、やはりおのれの本分はいくさだと気負う光秀である。
「ここまで来たら、あとは戦うのみ」
それは羽柴秀吉も同じ思いである。
中国大返しにより兵力は用意した。
織田信孝を担ぎ、織田家の復仇という大義名分も用意した。
光秀を釣り出すために、戦場は山崎とされてしまったが、それも致し方なし。
「まずまず、だでや」
完璧を望んでも仕方ない。
要は光秀を討てればよいのだ。
極論を言うと、光秀の本陣を探り当て、斬ってしまえば。
「なぁんぞ、桶狭間と同じだでや」
信長が聞いたら、猿めとせせら笑いそうな台詞である。
桶狭間の戦いは、敗者の今川義元の方が大軍で、勝者の織田信長の方が寡兵だったではないか。
だというのに、大軍である秀吉の方が、その時の信長と同じ勝利条件とは。
「結局、光秀も同じだぎゃ。大将を討てば、終わる」
だからこそ、光秀は信長・信忠を討った。
そして今、光秀こそが首を狙われる対象だ。
「……さてさて、どうやって光秀の首を盗るか。何ぞ、うまいこと光秀の居場所を知ることはできんかのう」
馬上、そううそぶく秀吉の脳裏に、ひとりの女性の姿が浮かんだ。




