最終話 そして、歴史は続いていく
『双竜橋』での結婚式から、五年。
世界は、私たちの想像を超える速度で変わり続けていた。
かつて「鉄と血」で支配されていたアルメスト帝国は今、「貿易と文化」の大国へと生まれ変わろうとしていた。
そして、斜陽と呼ばれたレーヴァニア王国もまた、帝国との技術提携によって新たな産業を興し、かつての輝きを取り戻しつつある。
国境を流れるライン川には、今では『双竜橋』だけでなく、いくつもの新しい橋が架けられている。
そこを行き交うのは、兵士や戦車ではない。
色とりどりの荷物を積んだトラック、観光客を乗せたバス、そして笑顔で国境をまたぐ恋人たちだ。
『蒼い薔薇条約』は、単なる停戦協定を超えて、二つの国を一つの巨大な経済圏へと統合しつつあった。
不可能と言われた「青いバラ」が、今や当たり前のように、両国の庭先で咲き誇っているのだ。
***
初夏の風が吹き抜ける、ある晴れた休日。
私は、懐かしい場所——国境の『双竜橋』の袂にある公園にいた。
「……お疲れですか、宰相閣下?」
ベンチに座り、コーヒーを啜っていた夫——アレン・ヴァルシュに声をかけると、彼は苦笑して眼鏡を外した。
「参りましたよ。……昨日の議会は荒れましたからね。『教育予算をもっと増やせ』だの『環境保護区を広げろ』だの……」
「平和な悩みね。……かつては『軍事費が足りない』という議論しかなかったのに」
私は彼の隣に腰掛けた。
アレンはこの五年の間に、驚異的なスピードで昇進を重ね、今や帝国の最年少宰相となっていた。
白髪が少し増え、目尻には皺が刻まれたけれど、その瞳の聡明さと優しさは変わらない。
私もまた、父リオネルからアークレイン大公家を継ぎ、両国の親善大使として、そして二児の母として、目の回るような日々を送っている。
「……ふふ。私たち、随分と遠くまできたわね」
私がアレンの肩に頭を預けると、彼は愛おしそうに私の髪を撫でた。
「ええ。……泥だらけになって地下水道を這いずり回っていた頃が、遠い昔のようです」
「あの頃のほうが、デートする時間はあったかもしれないわ」
「違いない」
私たちは顔を見合わせて笑った。
忙しいけれど、充実した日々。
それは、私たちが自らの手で勝ち取った「日常」だ。
「……パパ! ママ! 見て!」
元気な声が響き、私たちは顔を上げた。
橋の上を、二人の子供が走ってくる。
四歳になる双子の兄妹、レオンとミリアだ。
レオンはアレン譲りの黒髪と知的な瞳を持ち、ミリアは私と同じ蒼銀の髪と、負けん気の強そうな笑顔を持っている。
「こら、走ると危ないぞ!」
アレンが注意するが、子供たちは聞く耳を持たない。
彼らは橋の中央——かつて国境線があった場所を、キャッキャと笑いながら行ったり来たりして遊んでいる。
「見て! 僕、今、帝国にいる!」
「私はレーヴァニアよ! ……あ、今度は帝国!」
無邪気な遊び。
かつて、そこを跨ぐだけで命を賭けなければならなかった境界線が、彼らにとってはただの遊び場になっている。
その光景を見て、私は胸が熱くなった。
これだ。
これこそが、私たちが守りたかったもの。
父たちが夢見て果たせず、私たちが血を流して手に入れ、そして次の世代へと手渡すもの。
「……彼らには、国境なんて関係ないんですね」
アレンが目を細めて呟いた。
「ええ。……彼らは、両方の国の血を引いているもの。彼らが生きる未来には、敵も味方もないわ」
レオンとミリアが、野花で作った冠を持って駆け寄ってきた。
その花の中には、品種改良されて一般にも出回るようになった、小さな蒼い薔薇も混じっている。
「パパ、ママ、あげる!」
「はい、どうぞ!」
二人は私たちに花冠を被せてくれた。
少し不格好だけど、どんな王冠よりも誇らしい冠。
「ありがとう。……最高のプレゼントだ」
アレンが子供たちを抱き上げ、頬ずりをする。
子供たちの笑い声が、川風に乗って空へと舞い上がっていく。
私は空を見上げた。
どこまでも高く、澄み渡った蒼空。
『夜明け前の闇こそが、最も美しい蒼を呼ぶ』。
母の言葉は正しかった。
私たちは長い闇を抜け、この美しい時代(蒼)に辿り着いたのだ。
「……セレスタ」
アレンが私を呼んだ。
彼は子供たちを降ろし、私の手を握った。
その左手の薬指には、あの日、国境の橋の上で誓い合った銀の指輪が、今も変わらず輝いている。
「幸せですか?」
彼は、初めてプロポーズした時と同じように、真剣な瞳で聞いてきた。
私は彼の手を強く握り返し、満面の笑みで答えた。
「ええ。……世界で一番、幸せよ」
だって、貴方がいるから。
私たちが作ったこの平和な世界で、愛する人たちと共に生きていけるから。
かつて、恋は国境という壁に阻まれた。
けれど、私たちはその壁を壊し、乗り越えた。
そして今、私たちの愛は歴史となり、新しい時代を創り始めている。
「さあ、帰ろうか。……今日は父上が張り切って、バーベキューの準備をしているそうだ」
「あら、お父様が? 腰を痛めなければいいけれど」
私たちは立ち上がり、子供たちの手を引いて歩き出した。
橋の向こう、アークレイン家の別荘では、きっと父リオネルと、アレンの母マーサさん、そしてマリーたちが待っている。
振り返ることはもうない。
私たちの前には、どこまでも続く蒼い空と、輝かしい未来だけが広がっているのだから。
——物語は、ここで終わる。
けれど、愛は続いていく。
夜明けの光に包まれた、この蒼き世界で。
(完)
ここまで『蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
無事に完結まで走り抜けることができ、今は心地よい達成感と、少しの寂しさを感じています。
この物語を書き始めたきっかけは、「決して結ばれてはいけない立場の二人が、世界そのものを変えていく恋物語を描きたい」というシンプルな衝動からでした。
魔法もチート能力もない世界で、主人公のセレスタとアレンが持てる武器は「知性」と「覚悟」、そして互いを想う「愛」だけ。
そんな二人が、巨大な国家や戦争という理不尽な運命に立ち向かい、泥にまみれながらも希望を掴み取っていく姿を、私自身も祈るような気持ちで書き綴ってきました。
執筆中、特に印象に残っているのは、やはり二人の関係性の変化です。
最初は敵対心と警戒心から始まった二人が、安酒場のシチューで価値観を共有し、雨の教会で弱さをさらけ出し、そして最後には国境の橋の上で結ばれる。
その過程で、セレスタは「守られる令嬢」から「戦う外交官」へ、アレンは「孤独な官僚」から「国を背負う宰相」へと成長していきました。
彼らが選んだ未来が、読者の皆様にとっても希望を感じられるものであれば、作者としてこれ以上の喜びはありません。
タイトルの「蒼」には、アークレイン家の瞳の色だけでなく、「国境のない空の色」や「不可能を可能にする薔薇」など、様々な意味を込めました。
夜明け前の最も暗い闇を抜けた先にある、透き通るような蒼色。その景色を、二人と一緒に見届けてくださった皆様に、心からの感謝を申し上げます。
最後になりますが、感想や応援をくださった皆様、本当にありがとうございました。
皆様の声が、セレスタとアレンを動かす一番の原動力でした。
二人の物語はここで幕を下ろしますが、彼らが築いた平和な世界で、きっと今日も幸せに暮らしていることと思います。
(美味しいシチューを囲んで、笑顔で議論しているかもしれませんね)
それでは、また新しい物語でお会いできることを願って。




