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蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする 〜捨てられた令嬢と左遷された官僚が、世界を覆す最強のふたりになる話〜  作者: ぱる子
第4章:国境を越える愛

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第34話 氷解する鉄仮面

『……こちら、レーヴァニア王国宰相、リオネル・アークレインである』


 ノイズ混じりのスピーカーから、父の声が響いた。

 それは、私が幼い頃から聞き慣れた、感情の一切を削ぎ落とした「鉄仮面」の声だった。

 王宮の謁見の間は、水を打ったように静まり返っている。

 皇帝ヴィクトール三世も、近衛騎士たちも、固唾を飲んで事の成り行きを見守っていた。


 私は受話器を握りしめる手に力を込めた。

 汗が滲む。

 この回線の向こうに、父がいる。私を政略結婚の道具とし、妹を人質に取り、そして国を守るために心を凍らせた父が。


「……お久しぶりです、お父様。……セレスタです」


 私が名乗ると、長い沈黙が落ちた。

 無線特有のざらついたノイズだけが、シュウシュウと鳴り続ける。

 父の息遣いすら聞こえない。

 怒っているのか。それとも、呆れているのか。


『……生きていたか』


 やがて紡がれた言葉は、短く、冷ややかだった。


『結婚式の当日に逃げ出し、敵国へ密航し、あまつさえ放送局を占拠して扇動を行うとはな。……アークレイン家の歴史始まって以来の醜聞だ』

「ええ、存じております。……ですが、私は恥じてはいません」


 私は背筋を伸ばし、マイクに向かって言葉を叩きつけた。


「私は逃げたのではありません。……外交官として、貴方が捨てた『仕事』を拾い上げに来たのです」

『……何だと?』

「『蒼い薔薇』です、お父様」


 私がその名を告げると、スピーカーの向こうで息を飲む気配がした。


「貴方は焼き捨てたと言いました。……でも、母は守っていました。北の離れの、冷たい暖炉の中に隠して」

『……セフィリアが……』

「今、その『蒼い薔薇』……十年前の『恒久平和条約草案』は、ヴィクトール皇帝陛下の御手元にあります」


 私は皇帝に視線を送った。

 皇帝は頷き、自らマイクに近づいた。


『——リオネル大公。……久しぶりだな』


 若き皇帝の声に、父が絶句するのが分かった。


『……皇帝、陛下……?』

『余だ。……そなたの娘と、そなたの旧友の息子がもたらしたこの条約案。……余はこれに署名する決意を固めた。全軍には既に停戦命令を出した』


 皇帝の宣言。

 それは、父が長年恐れ、備えてきた「帝国との全面戦争」という前提を、根底から覆すものだった。


『……信じられん。……それは、罠だ』


 父の声が震え始めた。


『帝国が……あの野心にまみれた軍部が、大人しく条約など結ぶはずがない。……これは時間稼ぎだ。その間に我が国を……』

『軍部は粛清した。グランツ侯爵は失脚した』


 皇帝は淡々と告げた。


『信じられぬのも無理はない。……だが、リオネルよ。そなたは娘の声を、ラジオで聞いていなかったのか?』

『…………』

『彼女の演説が、我が国の民を動かしたのだ。……恐怖ではなく、希望によって』


 再び、沈黙が落ちた。

 父の頑なな心が、揺らいでいるのが分かる。

 彼は「愛など無力だ」と言い続けてきた。力こそが正義だと。

 しかし今、その「力(軍事力)」の暴走を止めたのは、彼が切り捨てたはずの「愛と理想(娘の言葉)」だったのだ。


 私は再びマイクを握った。


「お父様。……ここにもう一人、貴方と話したがっている人がいます」


 私はアレンに受話器を渡した。

 アレンは緊張した面持ちでそれを受け取り、深く息を吸い込んだ。


「……初めまして、アークレイン閣下。……元・外務省儀典局、アレン・ヴァルシュと申します」


 アレンの落ち着いた声が響く。


『……ヴァルシュ……?』


 父の声色が、明らかに変わった。

 驚愕と、そして古傷を抉られたような苦悶の響き。


「私の父の名は、フレデリック・ヴァルシュ。……十年前、貴方と共にあの条約を作った通訳官です」

『……フレデリックの……息子か……』


 父の声が掠れた。


『そうか……。あの時の……』


 父の脳裏に、かつての親友の面影が蘇っているのだろうか。

 共に酒を酌み交わし、理想を語り合った日々の記憶が。


「父は、貴方を恨んではいませんでした」


 アレンは静かに、けれど力強く語りかけた。


「父は最期まで、貴方を信じていました。『彼ならいつか、必ず平和への道を見つけてくれる』と。……だからこそ、あの日、彼は自ら身を引いたのでしょう」

『……違う』


 父の呻くような声が聞こえた。


『私が……殺したのだ。……私が保身のために、彼を見殺しにした。……条約を封印し、友を切り捨て、心を殺して……。そうして守った国が、この様だ……』


 自嘲と後悔。

 鉄仮面の下に隠されていた、父の生身の感情が溢れ出してくる。

 彼は十年間、ずっと自分を責め続けていたのだ。

 友を裏切った罪悪感と、愛する妻を不幸にした絶望を、冷徹な仮面の下に押し込めて。


「いいえ、お父様」


 私はアレンからマイクを奪い取るようにして叫んだ。


「貴方は守りました! ……貴方が国を存続させてくれたから、私が生まれ、アレンが生まれ、こうして出会うことができたのです!」


 私は涙声で訴えた。


「過去を悔やまないでください。……貴方が残してくれた『種』は、死んでいなかった。母が守り、私が運び、アレンが育てました。……今、やっと花が開くのです」


 『蒼い薔薇』。

 不可能の象徴。

 でも、それは長い冬を耐え抜き、ついに蕾をほころばせたのだ。


『セレスタ……』


 父の声が震えている。

 それは、私が初めて聞く、弱々しく、そして温かい「父親」の声だった。


『お前は……私に似なくてよかった』

「……え?」

『セフィリアの優しさと……そして私にはなかった「信じる強さ」を持っている。……お前は、私を超えた』


 敗北宣言だった。

 しかしそれは、屈辱にまみれた敗北ではない。

 娘の成長を認め、未来を託す、安堵に満ちた敗北。


『……分かった。降参だ』


 父が、ふっと息を吐く音が聞こえた。

 肩の荷を下ろしたような、長い溜息。


『皇帝陛下。……レーヴァニア王国は、アルメスト帝国との停戦協議に応じます。……直ちに全軍に攻撃中止を命じましょう』

『うむ。賢明な判断だ、友よ』


 皇帝が満足げに頷く。


「お父様……!」

『勘違いするな。まだ問題は山積みだ』


 父の声が、少しだけ元の厳しさを取り戻した。


『ミルティン家との婚約破棄、議会の説得、戦後処理……。私の政治生命は終わりかもしれん。……だが』


 父はそこで言葉を切り、少し間を置いて、言った。


『……後のことは、私に任せろ。……泥を被るのは、古狸の仕事だ』


 それは、父なりの最大の愛情表現だった。

 私が起こした騒動の責任をすべて引き受け、私の未来を守ろうとしてくれているのだ。


「……ごめんなさい、お父様。……そして、ありがとうございます」

『礼などいらん。……その代わり、一つだけ条件がある』

「はい」


 私は姿勢を正した。どんな難題でも受ける覚悟だった。

 父は、少し照れくさそうに、ぶっきらぼうに言った。


『……帰ってくる時は、その……フレデリックの息子も連れてこい。……積もる話がある』


 ——え?

 私は隣のアレンを見た。

 アレンも目を丸くし、それから……くしゃりと顔を歪めて、泣き笑いのような表情になった。


「……はい! 必ず、二人で参ります!」


 私が答えると、スピーカーの向こうで、父が小さく鼻を鳴らしたのが聞こえた。

 それが、泣くのを堪えている音だと気づいた時、私の目からも涙が溢れ出した。


 鉄仮面は溶けた。

 氷の下から現れたのは、不器用で、傷だらけで、けれど娘を愛してやまない、一人の父親の素顔だった。


『……通信終了だ。……元気でな』


 プツン、と通信が切れた。

 後に残ったのは、静寂と、温かい余韻。


 私はその場にへたり込みそうになった。

 アレンが支えてくれる。

 彼の腕の温もりが、震える私を包み込んでくれた。


「……よかったですね、セレスタ」

「ええ……。本当によかった……」


 皇帝が、玉座から降りてきた。

 彼は私たちを見下ろし、穏やかに告げた。


「さて、感動の再会は後回しだ。……仕事が残っているぞ、外交官たち」


 皇帝は窓の外を指差した。

 雨上がりの空に、虹がかかっている。


「国境へ向かえ。……そこで、歴史を変える署名をするのだ」


 私たちは顔を見合わせ、頷いた。

 もう、迷いはない。

 父との和解は、私に最後の勇気をくれた。


 私は涙を拭い、立ち上がった。

 アレンの手を強く握りしめる。


「行きましょう、アレン。……私たちの『蒼い薔薇』を、完成させに」


 王宮の扉が開かれる。

 差し込む光は眩しく、私たちの未来を照らしていた。

 長い、長い冬が終わり、本当の春が訪れようとしていた。

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