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蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする 〜捨てられた令嬢と左遷された官僚が、世界を覆す最強のふたりになる話〜  作者: ぱる子
第4章:国境を越える愛

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第33話 玉座からの勅命

 近衛騎士団の護送車は、静寂に包まれていた。

 窓の外では、まだ興奮冷めやらぬ市民たちが通りを埋め尽くしているのが見える。しかし、重厚な装甲に守られた車内には、タイヤが石畳を噛む音だけが響いていた。


 私はアレンの隣に座り、彼の手を握りしめていた。

 彼の手は冷たく、小刻みに震えている。極限の緊張と疲労が、今になって彼を襲っているのだ。


「……大丈夫?」

「ええ。……ただ、少し武者震いが止まらなくて」


 アレンは自嘲気味に笑った。

 無理もない。これから会うのは、この巨大な帝国の頂点に立つ人物——皇帝陛下なのだから。

 泥だらけの軍服と、煤けた作業着。

 私たちは、皇帝に謁見するにはあまりに相応しくない姿だった。


「胸を張りましょう、アレン。……私たちは、恥ずべきことなど何一つしていないわ」

「そうですね。……君の言う通りだ」


 車が停止した。

 重い扉が開かれる。

 目の前に現れたのは、天を突くような白亜の巨塔——皇帝の居城『白銀宮』だった。


***


 王宮の回廊は、冷たい静謐さに満ちていた。

 数時間前までいた地下水道や、銃弾が飛び交った放送局とは別世界だ。

 磨き抜かれた大理石の床に、私たちの泥だらけの靴跡が点々と残る。

 すれ違う侍従や官僚たちが、ギョッとして私たちを見るが、先導する騎士団長の威厳に押され、誰も声を上げられない。


「……こちらだ」


 騎士団長が、巨大な両開きの扉の前で立ち止まった。

 金色の獅子の彫刻が施された扉。

 この向こうに、国の意思決定の全てがある。


 ギィィィ……と、重々しい音を立てて扉が開いた。


 謁見の間。

 高い天井からシャンデリアが下がり、真紅の絨毯が玉座へと続いている。

 その一番奥。

 数段高い場所に置かれた玉座に、一人の男が座っていた。


 若かった。

 私やアレンとそう変わらない、二十代半ばくらいの青年。

 しかし、その瞳には老成したような深い知性と、底知れぬ孤独が宿っていた。

 アルメスト帝国皇帝、ヴィクトール三世。


「……面を上げよ」


 静かな、しかしよく通る声が響いた。

 私たちは膝をつき、顔を上げた。


「アレン・ヴァルシュ。そして、セレスタ・アークレイン」


 皇帝は私たちの名前を呼び、じっと見下ろした。

 その視線は、私たちの汚れた服や傷跡を、値踏みするように観察している。


「……酷い姿だな。とても英雄とは思えん」

「恐縮です、陛下。……戦場帰りなもので」


 アレンが臆することなく答える。

 皇帝の口元が、わずかに緩んだ。


「よい。着飾った道化よりも、泥にまみれた戦士の方が、余は好ましく思う」


 皇帝は玉座の肘掛けに頬杖をつき、興味深そうに私たちを見た。


「ラジオは聞いていたぞ。……見事な演説だった。そして、痛快な告発だった」

「お耳汚し、失礼いたしました」

「謙遜するな。おかげで余は、長年の頭痛の種を取り除くことができた」


 皇帝は視線を傍らの側近に向けた。

 そこには、既に拘束され、青ざめた顔で震えている数名の将軍たちの姿があった。グランツ侯爵の一派だ。


「余はずっと機会を待っていたのだ。……軍部の腐敗を一掃し、この無意味な暴走を止める機会を」


 皇帝の声に、微かな熱が帯びる。


「だが、彼らは『愛国心』という盾を持っており、手が出せなかった。……それを貴様たちが剥ぎ取ってくれたのだ。数字という、否定しようのない事実でな」


 皇帝は賢い人だった。

 彼はただ漫然と座っていたわけではない。軍部の暴走に歯噛みしながら、反撃の時を虎視眈々と狙っていたのだ。

 私たちが放送局を占拠した時、彼は即座に「これだ」と判断し、近衛騎士団を動かしたのだろう。


「アレン・ヴァルシュよ。……貴様が提示した『経済崩壊の予測データ』。あれは真実か?」

「はい。……私の首を賭けて保証します」


 アレンは懐から、血と泥で汚れた資料の束を取り出した。

 侍従がそれを受け取り、皇帝に捧げる。

 皇帝はパラパラとページをめくり、眉をひそめた。


「……三ヶ月で破綻か。予想以上に悪いな」

「戦争を続ければ、国は死にます。……勝っても負けても、です」

「ならば、止めるしかないな」


 皇帝はあっさりと認めた。

 拍子抜けするほど合理的で、冷徹な判断。

 これが、一国の主のリアリズムなのだ。


「だが、止めるには『理由』がいる。……ただ『金がないから止めます』では、死んでいった兵士たちが浮かばれまい。国民も納得せん」


 皇帝は鋭い視線を私に向けた。


「セレスタ・アークレイン。……そなたが持っているという『蒼い薔薇』。……それを見せてみろ」


 私は立ち上がり、胸元から油紙に包まれた鉄箱を取り出した。

 あの日、煤まみれになって暖炉から掘り出した希望。

 私はそれを両手で掲げ持ち、玉座の階段の下まで進み出た。


「……これが、十年前に封印された『可能性』です」


 侍従の手を経て、条約草案が皇帝の手に渡る。

 皇帝はそれを丁寧に広げた。

 古い羊皮紙。

 そこに記された、父と母、そしてアレンの父の署名。


「……なるほど。これは美しい」


 皇帝が感嘆のため息を漏らした。


「関税同盟に、資源の共同管理……。理想論に見えて、極めて現実的な利益配分がなされている。……これを作った者たちは、真の愛国者であり、優れた実務家だったようだ」


 皇帝は顔を上げ、私とアレンを交互に見た。


「そなたたちの父は、十年前にこれを夢見た。……だが、時代が早すぎた。しかし今、国が疲弊しきったこのタイミングならば……この『夢』は、国民にとっての『救い』になりうる」


 皇帝は立ち上がった。

 その手に、条約草案を握りしめて。


「余は決断する。……この『蒼い薔薇』を、帝国の新たな国策とする」


 その宣言は、玉座の間に朗々と響き渡った。


「直ちに全軍に停戦命令を出せ! これより我が国は、レーヴァニア王国との平和的共存の道を模索する! ……これは、亡き先人たちの遺志であり、未来を生きる者たちへの責任である!」


「はっ!」


 側近たちが一斉に頭を下げる。

 私は全身の力が抜けそうになるのを、必死で堪えた。

 届いた。

 私たちの声が、父たちの夢が、ついに国を動かしたのだ。


「……礼を言うぞ、若き英雄たちよ」


 皇帝は階段を降り、私たちの目の前に立った。

 そして、信じられないことに、自らアレンの手を取り、握手を求めた。


「そなたのような官僚を持てたことは、余の誇りだ」

「……もったいないお言葉です、陛下」


 アレンが涙を堪えて頭を下げる。

 皇帝は次に私に向き直り、穏やかに微笑んだ。


「そして、美しき令嬢よ。……そなたの勇気には敬服する。父君——アークレイン大公も、さぞ鼻が高いだろう」

「……だと、良いのですが」


 私が苦笑すると、皇帝は悪戯っぽく片目を瞑った。


「心配するな。……頑固親父の説得なら、余が手伝ってやろう」


 皇帝は指を鳴らした。

 侍従が、一台の通信機をワゴンに乗せて運んでくる。

 最新式の、軍用長距離無線機だ。


「レーヴァニア王宮とのホットラインだ。……向こうの宰相——つまりそなたの父君とは、回線が繋がっている」


 皇帝は受話器を取り、私に差し出した。


「さあ、話すがいい。……娘として、そして一人の外交官として」


 私は受話器を受け取った。

 その重みは、鉄箱よりもずっと重く感じられた。

 この回線の向こうに、父がいる。

 私を捨て、国を守るために心を凍らせた父が。


 私は深呼吸をした。

 隣にはアレンがいる。

 彼が、無言で私の肩に手を置き、頷いてくれた。

 『大丈夫。君ならできる』


 私は覚悟を決め、受話器を耳に当てた。

 ノイズの向こうから、懐かしい、けれど冷徹な声が聞こえてきた。


『……こちら、レーヴァニア王国宰相、リオネル・アークレインである』


 父の声だ。

 私は唇を震わせ、そしてはっきりと言葉を紡いだ。


「……お久しぶりです、お父様。……セレスタです」


 長い沈黙。

 電波を通じて、父の息を飲む気配が伝わってくるようだった。


 戦いは終わった。

 これからは、和解のための対話が始まる。

 私はもう、逃げ出した花嫁ではない。

 国を背負い、父と対等に向き合う、一人の「交渉人」として、ここに立っていた。

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