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蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする 〜捨てられた令嬢と左遷された官僚が、世界を覆す最強のふたりになる話〜  作者: ぱる子
第4章:国境を越える愛

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第31話 蒼き声の演説

『——帝国民の皆さん。聞こえますか』


 私の声が、マイクを通じて電気信号に変わり、雨に濡れた帝都の空へと放たれた。

 

 スタジオの中は、戦場だった。

 バリケードの向こうでは、憲兵隊が扉をこじ開けようと斧を振るっている。

 ドガン、ドガン、という暴力的な音が響くたび、護衛の兵士たちが銃を構え直す。

 いつ突入されてもおかしくない。私の命は、風前の灯火だ。


 けれど、不思議と恐怖はなかった。

 ガラスの向こう、調整卓の前に座るアレンと目が合ったからだ。

 彼はヘッドホンを片耳に当て、無数のスイッチを操作しながら、私に向かって静かに頷いた。

 

『大丈夫。君の声は届いている』


 その瞳がそう語っていた。

 彼が守ってくれているこの回線を、一秒たりとも無駄にはできない。


「私は、レーヴァニア王国のセレスタ・アークレインです。……貴方がたが『魔女』と呼び、忌み嫌う敵国の女です」


 私はあえて、挑発的な言葉から始めた。

 ラジオを聞いている人々は、今頃驚愕し、憎悪をたぎらせているだろう。

 それでいい。無関心よりはずっといい。


「私はこの国に来て、多くのものを見ました。……煤にまみれた空。疲れ切った労働者たち。そして、高騰するパンと、薄められたスープ」


 脳裏に浮かぶのは、アレンと食べたあの安酒場の光景。

 塩辛くて、泥のような味のシチュー。


「貴方がたの指導者は言います。『戦争に勝てば、生活は豊かになる』と。『隣国から奪えば、腹いっぱい食べられる』と。……ですが、それは嘘です」


 私は手元の資料——アレンが集めた軍部の裏帳簿を握りしめた。


「戦争が始まってから、貴方がたの生活は豊かになりましたか? ……いいえ、逆のはずです。物価は上がり、家族は戦場へ奪われ、食卓からは笑顔が消えた。……肥え太ったのは、兵器を作る一部の貴族たちだけです」


 バリケードの一部が破られ、憲兵の銃口が覗く。

 銃弾が天井を掠めた。

 私は悲鳴を上げそうになるのを堪え、声を張り上げた。


「私は知っています! 貴方がたが本当は、戦争なんて望んでいないことを! ただ、今日を生き延びたいだけだということを!」


 ——届いて。お願い、届いて。

 闇市の老人へ。地下水道の脱走兵たちへ。

 そして、アレンの母、マーサさんへ。


「私の父、アークレイン大公もまた、貴方がたの敵として描かれています。……ええ、父は冷酷な男かもしれません。……ですが」


 私は胸元のポケットから、古びた手帳を取り出した。

 『蒼い薔薇』。

 十年前の真実。


「十年前。……私の父と、貴国の外交官は、ある『約束』を交わしていました。……それは、戦争ではなく、平和によって両国を救うための条約でした」


 マイクに向かって、条約草案の表紙を見せることはできない。

 だから、私は言葉で紡いだ。


「関税をなくし、互いの資源を分け合い、手を取り合って生きる未来。……それが、かつて確かに存在した『可能性』だったのです。ですが、それは軍部の野心によって握りつぶされました。……その条約を作った貴国の外交官は、口封じのために戦場へ送られ、殺されました」


 アレンの背中が、ピクリと震えた。

 私は彼を見つめたまま、告げた。


「その外交官の名前は、フレデリック・ヴァルシュ。……今、私の目の前で、命がけでこの放送を守っている、アレン・ヴァルシュ事務官の父です」


 アレンが驚いたように顔を上げた。

 私は涙ぐみながら微笑んだ。

 言ってやるわ。貴方の名前を。貴方のお父様の名誉を。

 貴方は「裏切り者」なんかじゃない。この国の誇りなのだと。


「アレン・ヴァルシュは、父の遺志を継ぎ、平和のために戦い続けました。……私を守るために銃弾を受け、左遷され、それでも諦めずにこの真実を私に託しました」


 ドォォォン!!

 爆発音がして、扉が完全に吹き飛んだ。

 黒煙と共に、憲兵隊が雪崩れ込んでくる。


「放送を止めろ! 殺せ!!」


 隊長が叫ぶ。

 護衛の兵士たちが応戦するが、多勢に無勢だ。

 アレンが立ち上がり、松葉杖を捨てて、調整卓の前に仁王立ちになった。

 彼は自分の身体を盾にして、放送機材を守ろうとしている。


 時間がない。

 これが、最期の言葉になるかもしれない。


 私はマイクを両手で包み込み、祈るように叫んだ。


「私は、敵国の女です! ……でも、私はこの国を憎めなかった!」


 涙が溢れて、頬を伝う。


「だって、この国のシチューは温かかった! 貧民街の人々は優しかった! ……そして何より、私はこの国で、世界で一番愛する人と出会ったから!」


 私の言葉に、突入してきた憲兵たちが一瞬、足を止めた。

 ラジオの向こうの何百万という人々が、息を飲んだ気配がした。


「私が愛したのは、国境線でも、イデオロギーでもありません! ……この国の土と、そこに生きる貴方がたです!」


 これは外交官としての演説ではない。

 一人の恋する女の、魂の告白だ。


「お願いです、銃を置いてください! ……隣人を殺さないで! その引き金は、貴方の家族に向けられているのと同じなのです!」


「黙れェッ!!」


 憲兵の一人が、私に向けて発砲した。

 バァン!

 衝撃。

 マイクスタンドが弾け飛び、火花が散る。

 私は床に投げ出された。


「セレスタ!!」


 アレンが叫び、足を引きずって私に覆いかぶさる。

 その背中に、憲兵たちの銃口が向けられる。


 万事休す。

 放送は途切れた。

 私たちはここで死ぬ。


「……よくやった。見事だったよ」


 アレンが私の耳元で囁いた。

 彼は震えていたけれど、その顔は晴れやかだった。

 

「貴様ら、終わりだ!」


 憲兵隊長が軍刀を抜き、アレンの首に突きつける。

 私はアレンにしがみついた。

 死ぬなら一緒だ。


 その時だった。


 ——ウウウウウウウウッ!!


 窓の外から、地響きのような音が聞こえてきた。

 サイレンではない。

 それは、無数の人々の「声」だった。


「な、なんだ!?」


 憲兵たちが狼狽えて窓に駆け寄る。

 私もアレンに支えられながら、割れた窓から下を覗き込んだ。


 そして、息を飲んだ。


 放送局を取り囲む大通りを、群衆が埋め尽くしていた。

 市民だ。

 鍋や釜を持った主婦、スコップを持った労働者、杖をついた老人。

 数千、いや数万の人々が、雪崩のように放送局へ押し寄せている。


『戦争反対!』

『ヴァルシュを殺すな!』

『あのお嬢ちゃんを助けろ!』


 怒号と歓声が入り混じったシュプレヒコール。

 それは、先ほどまでの「作られた熱狂」ではない。本物の、民意の爆発だった。


「馬鹿な……! 暴動だと!? 鎮圧しろ!」


 隊長が無線で叫ぶが、返ってくるのは悲鳴だけだ。

 

「無理です! 数が多すぎます! 兵士たちの中にも、銃を捨てる者が……!」


 私の声は、届いたのだ。

 アレンが繋いでくれた電波に乗って、人々の凍りついた心に火をつけたのだ。


 さらに、遠くから砲撃のような音がした。

 しかしそれは破壊の音ではなかった。

 軍の主力部隊の一部が、反旗を翻して議会へ向かった合図の空砲だった。


「……聞こえますか、セレスタ」


 アレンが私の肩を抱き、涙ぐみながら言った。


「これが、君が起こした奇跡です。……『蒼い薔薇』が、咲いたんですよ」


 眼下に広がる、人の波。

 その一人一人が、私たちの味方だ。

 私は力が抜け、その場にへたり込んだ。

 安堵と、感動で、涙が止まらなかった。


 憲兵たちは動揺し、武器を下げ始めた。

 もはや彼らに、私たちを処刑する大義名分はない。

 外には数万の証人がいるのだから。


「……勝ちましたね」


 アレンが私を抱きしめる。

 泥と汗の匂い。

 今までで一番、温かくて、力強い抱擁。


「ええ。……勝ったわ」


 私は彼の背中に腕を回し、泣きじゃくった。

 私たちは生き残った。

 そして、世界を変えたのだ。


 雨が上がり、雲の切れ間から光が差し込む。

 その光は、放送局の塔を、そして抱き合う私たちを、祝福するように照らし出していた。


 これが、帝国の「長い一日」の終わりであり、新しい時代の夜明けだった。

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