第30話 電波塔を奪取せよ
正午五分前。
帝都は、死んだような静寂に包まれていた。
空からは冷たい雨が降り続いている。
大通りの要所には装甲車が配置され、銃を構えた憲兵たちが、家々から引きずり出された市民たちを整列させていた。
『総点呼』。
それは名ばかりの、恐怖による支配の儀式だった。
私たちは、放送局の裏手にある路地裏に潜んでいた。
目の前には、天を衝くようにそびえ立つ鉄の塔——帝都中央放送局の電波塔が見える。
周囲は高い塀と鉄条網で囲まれ、厳重な警備が敷かれている。
「……警備兵の数、想定より多いですね」
アレンが物陰から双眼鏡を覗き、苦々しく呟いた。
彼は松葉杖をついているが、その目はかつてないほど鋭く光っている。
「正面ゲートに四名、通用口に二名。……屋上には狙撃手らしき姿も見えます」
「どうするの? 陽動班の合図はまだ?」
私が腕時計を見た、その時だった。
ドォォォン!!
南の方角——軍の食糧倉庫がある辺りで、腹に響くような爆発音が轟いた。
黒煙が雨空に立ち上る。
「始まった!」
続いて、東の貴族街方面からもサイレンの音が響き渡る。
ジャックたちが仕掛けた陽動だ。
無線機から、憲兵たちの焦った声が漏れ聞こえてくる。
『第3地区で爆発! 暴動発生!』
『食糧倉庫が襲撃された! 至急応援を!』
放送局の警備兵たちがざわめき始める。
隊長らしき男が怒鳴り、半数の兵士をトラックに乗せて走り去っていった。
「……かかった。警備が半減しました」
アレンが合図を送る。
「今だ! 突入!」
私たちが飛び出すと同時に、護衛についていた数名の精鋭兵士たちが、通用口の警備兵に躍りかかった。
一瞬の早業で気絶させ、鍵を奪い取る。
「急いで! 戻ってくるまでに十分もありません!」
私はアレンの身体を支え、通用口へと走った。
松葉杖の音が、濡れたアスファルトに響く。
痛むはずの足を引きずりながら、彼は一度も弱音を吐かなかった。
***
放送局の内部は、外の喧騒とは無縁の静けさだった。
無機質な廊下。整然と並ぶ機材室。
アレンは迷うことなく進んでいく。
「放送室は最上階です。……昇降機は使いません。動力を切られる危険がある」
「階段ね。……大丈夫?」
「君がいてくれれば」
私たちは非常階段を駆け上がった。
三階、四階、五階。
アレンの呼吸が荒くなる。脂汗が額を伝う。
私は彼の右腕を肩に回し、半ば担ぐようにして登った。ドレスの下で鍛えた足腰が、こんな時に役に立つとは。
「止まれ! 何者だ!」
六階の踊り場で、見回りの職員と鉢合わせした。
男は私たちが薄汚れた作業着姿であることに驚き、警報ベルに手を伸ばそうとする。
「いけない!」
私が叫ぶより早く、後ろからついてきていた兵士が飛び出し、男を取り押さえた。
「すまねぇな。少し眠っててくれ」
手刀で気絶させ、物陰に隠す。
心臓が破裂しそうだ。
ここは敵の中枢。一歩間違えれば、即座に包囲される。
ようやく最上階に辿り着いた。
廊下の突き当たりにある、重厚な防音扉。
『第一放送スタジオ』。
あそこが、私たちの目的地だ。
だが、扉の前には二人の武装した憲兵が立っていた。
陽動に釣られずに残った、最後の砦だ。
「……強行突破するしかねぇな」
護衛の兵士が銃を構える。
しかし、ここで銃撃戦になれば、中の技術者たちがバリケードを築いたり、機材を破壊したりするかもしれない。放送ができなくなれば、すべてが終わる。
「待って。……私がやるわ」
私は兵士を制し、アレンに目配せをした。
アレンは一瞬驚いたが、すぐに私の意図を察し、頷いた。
私は髪を整え、服の汚れを払った。
そして、胸を張り、堂々と廊下を歩いていった。
作業着姿だが、その所作だけは、王宮で培った「大公令嬢」のそれだ。
「な、何だ貴様は!?」
憲兵たちが銃を向ける。
私は眉一つ動かさず、氷のような声で言い放った。
「無礼者! 銃を下げなさい!」
凛とした一喝。
憲兵たちが気圧されてたじろぐ。
「私は……グランツ侯爵の特使です。緊急放送の命令を受けて参りました」
「と、特使? そんな話は聞いていないぞ!」
「緊急事態だからです! 市内で暴動が起きているのを知らないのですか? 一刻も早く国民に鎮静化を呼びかけねば、帝都は火の海になります!」
私は畳み掛けた。
嘘に真実(暴動)を混ぜることで、信憑性を持たせる。これが外交の基本だ。
「もたもたしていると、侯爵に報告しますよ? 『無能な門番のせいで帝都が燃えた』と」
「そ、それは……」
憲兵たちが顔を見合わせ、動揺した一瞬の隙。
「今だ!」
私の合図で、物陰からアレンたちが飛び出した。
不意を突かれた憲兵たちは、抵抗する間もなく制圧された。
「……見事なハッタリですね」
アレンが感心したように呟く。
私はウィンクして見せた。
「嘘も方便よ。……さあ、開けるわよ」
私たちは防音扉を押し開け、スタジオへと雪崩れ込んだ。
***
スタジオの中には、数名の技術者とアナウンサーがいた。
彼らは突然の侵入者に悲鳴を上げ、逃げようとする。
「動くな! 全員、壁際に並べ!」
兵士たちが威嚇し、制圧する。
アレンはすぐに調整卓へと向かい、複雑なスイッチ類を操作し始めた。
「セレスタ、そこのマイクの前へ! 回線を繋ぎます!」
「分かったわ!」
私はガラス張りのブースに入り、重厚なマイクの前に立った。
『ON AIR』のランプはまだ消えている。
「き、貴様ら、何をする気だ! ここは国家の重要施設だぞ!」
縛り上げられた局長らしき男が叫ぶ。
「黙れ。……国を救うために借りるだけだ」
アレンは冷静に返し、マイクのケーブルを接続する。
その手つきは鮮やかだった。かつて官僚時代、広報部門にもいた経験が生かされている。
その時。
廊下から、けたたましい足音と怒号が聞こえてきた。
「侵入者がいるぞ! 最上階だ!」
「取り囲め! 一人も逃がすな!」
戻ってきた憲兵隊だ。
早い。早すぎる。
ドンドン! と扉が激しく叩かれる。
護衛の兵士たちが、机や椅子を積み上げてバリケードを作るが、長くは持たないだろう。
「アレン! まだなの!?」
「あと少し……! 予備電源の起動に時間がかかっています!」
アレンが額に汗を浮かべて叫ぶ。
扉の向こうから、銃声が聞こえ始めた。鍵が破壊されようとしている。
「急げ! 突入するぞ!」
敵の声が近づく。
私の心臓は、破裂しそうなほど脈打っていた。
これが、最後。
もし失敗すれば、ここで全員死ぬ。
私は胸元の『蒼い薔薇』を取り出し、机の上に置いた。
古びた書類の束。
これが、私たちの武器。弾丸よりも強く、剣よりも鋭い、真実の言葉。
(お父様、お母様。……そしてアレンのお父様)
(どうか、私に力を貸して)
私は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
バァン!!
扉が爆破され、黒煙と共に憲兵たちが突入してくる。
「撃て! 反逆者を殺せ!」
銃弾がスタジオ内を飛び交う。ガラスが割れ、破片が降り注ぐ。
護衛の兵士たちが応戦し、盾となって倒れていく。
「アレン!!」
「——繋がったッ!!」
アレンが叫び、フェーダー(音量調整つまみ)を一気に押し上げた。
ブースの上にある『ON AIR』のランプが、鮮烈な赤色に点灯する。
電波は繋がった。
今、私の声は、帝都中に——いや、帝国全土のラジオへと届いているはずだ。
アレンがこちらを見た。
銃弾が飛び交う中、彼は調整卓を死守し、私に向かって力強く頷いた。
『話せ! セレスタ!』
彼の声なき声が聞こえた。
私はマイクを握りしめた。
震えは止まった。
腹の底から、熱いものが込み上げてくる。
これは、ただの演説ではない。
魂の叫びだ。
「……帝国民の皆さん」
私の第一声が、ノイズ混じりの電波に乗って放たれた。
「聞こえますか。……私は、レーヴァニア王国のセレスタ・アークレインです」
一瞬、銃撃戦の音が遠のいた気がした。
突入してきた憲兵たちも、ラジオを聞いている市民たちも、その名前に息を飲んだはずだ。
敵国の悪女。魔女。
そう呼ばれ、憎まれてきた私が、今、彼らの耳元で語りかけている。
「私は今、貴方たちの国の放送局から話しかけています。……銃を向けられながら」
私は割れたガラスの向こう、銃を構える憲兵を睨み据えたまま、言葉を続けた。
「どうか、聞いてください。……私がここに来た本当の理由を。そして、この戦争の裏に隠された、真実の物語を」
ランプの赤色が、私の瞳の蒼色を照らし出す。
ここからが本番だ。
私は、世界をひっくり返すための、最初で最後の演説を始めた。




