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蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする 〜捨てられた令嬢と左遷された官僚が、世界を覆す最強のふたりになる話〜  作者: ぱる子
第1章:氷の令嬢と鉄の官僚

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第3話 通訳はいらない

 帝都到着から三日後。

 私は、帝国産業連盟が主催する「歓迎レセプション」に出席することになった。

 場所は、帝都の中心にあるグランドホテル・アルメストの大広間だ。


「……緊張なさっていますか、セレスタ様?」


 控室で、アレンが声をかけてきた。

 今日の彼は、いつものくたびれた事務服ではなく、儀礼用の正装に身を包んでいる。とはいえ、袖口が少し短く、借り物であることは明らかだったが、背筋の伸びた立ち姿は不思議と様になっていた。


「まさか。武者震いよ」


 私は鏡の前で、真珠のネックレスの位置を直しながら答えた。

 今日のドレスは、レーヴァニアの伝統色である深い蒼色ロイヤルブルーのシルクだ。背筋を伸ばし、扇子を手に取る。


「今日は帝国の重鎮たちが集まると聞いているわ。私の値踏みをするには絶好の機会でしょうね」

「ええ。特に注意すべきは、帝国の重工業を牛耳る『鉄鋼貴族』たちです。彼らは誇り高く、排他的で、そして……レーヴァニアに対して良い感情を持っていません」


 アレンは手元の資料に目を落とし、淡々と、しかし的確な助言をくれる。

 この三日間で分かったことがある。

 アレン・ヴァルシュという青年は、極めて有能な官僚だということだ。

 私のスケジュール管理から、面会相手の裏情報の収集、さらには帝都の新聞各社の論調分析まで、彼は完璧に仕事をこなしていた。


「彼らは貴女を『無知な小娘』として扱い、恥をかかせようとするかもしれません。困ったことがあれば、すぐに私に目配せしてください。私が盾になります」

「頼もしいこと。でも、心配無用よ」


 私は鏡の中のアレンに向かって、ウインクしてみせた。


「私の盾になる前に、貴方が彼らの安酒に酔わないように気をつけてちょうだい」


 アレンは呆れたように苦笑し、眼鏡の位置を直した。

 

「……では、参りましょうか。戦場へ」


 彼は恭しく右手を差し出した。

 私はその手に、自分の手を重ねた。

 彼の手のひらは、意外なほど大きく、そして温かかった。


***


 大広間の扉が開いた瞬間、熱気と喧騒、そしてタバコの煙が押し寄せてきた。

 きらびやかなシャンデリアの下、燕尾服を着た男たちと、宝石をちりばめたドレスの貴婦人たちがひしめき合っている。

 そこには、王宮の夜会のような優雅さは微塵もなかった。あるのは、富と権力を誇示するような、ギラギラとした欲望のエネルギーだ。


「——レーヴァニア王国特命全権大使、セレスタ・アークレイン大公令嬢のご入場です!」


 紹介の声と共に、数百の視線が一斉に私に突き刺さる。

 好奇心、軽蔑、欲望。

 まるで獲物を狙う猛獣の群れの中に放り込まれた気分だ。けれど、私は顎を引き、完璧な微笑みを浮かべて歩を進めた。


 最初の一時間は、退屈な挨拶回りの連続だった。

 

「おお、これは美しい! 我が国の最新鋭戦艦よりも見事だ!」

「小国の姫君にしておくには惜しいですなぁ」


 次々と現れる資本家や貴族たちは、口々に私を褒めそやすが、その目は私を「人間」として見ていなかった。ただの珍しい展示品扱いだ。

 アレンはその都度、私の隣で完璧な通訳をこなしつつ、無礼な発言や下品な誘いを、巧みな話術で躱してくれた。


「(……アレン、助かるわ)」

「(仕事ですから。それに、彼らの相手をまともにしていたら日が暮れます)」


 小声で言葉を交わす。

 背中を預けられるパートナーがいることが、これほど心強いとは。

 そう安堵しかけた時だった。


「——なんじゃ、ここにおったか。レーヴァニアの嬢ちゃんは」


 地響きのような大声と共に、人垣が割れた。

 現れたのは、巨大な熊のような男だった。

 上等な軍服を着ているが、その胸元は大きく開けられ、首には太い金の鎖が巻かれている。顔には古傷があり、鋭い眼光が私を射抜いた。


 アレンの顔色が変わる。


「(……マクシミリアン伯爵です。帝国の南部を支配する大貴族で、軍需産業のトップ。最も強硬な反レーヴァニア派の一人です)」


 アレンが素早く耳打ちしてくれた。

 マクシミリアン伯爵は、私の前に立ちはだかると、不躾に上から下までジロジロと眺め回した。


「ほぅ。噂通りの別嬪じゃな。だが、線が細すぎる。我が領地の牛の方が、もっといい骨格をしとるわ」


 周囲から下卑た笑いが漏れる。

 私は眉一つ動かさず、優雅にカーテシー(膝を折る挨拶)をした。


「お初にお目にかかります、マクシミリアン伯爵。レーヴァニアのセレスタ・アークレインです」


 私が標準的な帝国語で挨拶すると、伯爵は鼻を鳴らした。


「ふん。言葉は喋れるようじゃが……おい、通訳。こいつに伝えておけ」


 伯爵は私を無視し、アレンに向かって顎をしゃくった。


「『わしらの言葉が分かるといい気になっとるようじゃが、帝国の魂までは理解できまい。さっさと国へ帰ってママのお乳でも吸ってろ』とな」


 それは、標準語ではなかった。

 喉の奥を鳴らすような独特の発音。単語も文法も、まるで違う。

 これは——帝国の南部地方特有の、極めて難解な古語方言だ。

 

 アレンが困惑の表情を浮かべる。

 彼のような帝都育ちの官僚にとって、この南部方言は外国語も同然だろう。ましてや、それを外交的な表現に翻訳して私に伝えるなど、至難の業だ。


「あ、あの、伯爵閣下。もう少し分かりやすい言葉で……」

「あん? なんじゃ、帝都のインテリ様は、わしらの国の言葉も分からんのか?」


 伯爵が嘲笑う。周囲の取り巻きたちも、「これだから帝都の役人は」とアレンを嘲笑する空気になる。

 アレンが唇を噛み、拳を握りしめるのが見えた。

 彼は、私のために恥をかかされようとしている。


 ——許さない。

 私を侮辱するのは構わない。けれど、私のパートナーを無能扱いすることは、許さない。


 アレンが謝罪しようと口を開きかけた、その時。

 私は扇子で彼の手をそっと叩いた。


「(下がっていて、アレン)」

「(え……? ですが、彼の方言は……)」

「(問題ないわ)」


 私は一歩前に進み出た。

 そして、マクシミリアン伯爵の目を真っ直ぐに見据え、口を開いた。


「——『牛の骨格と比べるなど、牛に対して失礼ではありませんか? 彼らは貴殿の領地の誇り高き労働の担い手でしょうに』」


 会場が、水を打ったように静まり返った。

 私が発したのは、標準語ではない。

 伯爵が使ったのと全く同じ、完璧な抑揚とアクセントを持った、流暢な南部方言だった。


 伯爵が目を剥き、葉巻を落としそうになる。


「な……貴様、なぜ南部の言葉を……!?」


 私は扇子で口元を隠し、冷ややかに微笑んだ。


「驚かれることではありませんわ。貴国の歴史を学べば、南部こそが帝国の鉄鋼業発祥の地であり、その文化と言語が帝国の根幹を支えてきたことは明白です。外交官として、敬意を表するために学ぶのは当然のこと」


 そして、私はさらに畳み掛けた。

 今度は、さらに古い、南部でも教養ある老人しか使わないような、格調高い詩的な言い回しで。


「『鉄は熱いうちに打て、人は目を見て話せ』——貴殿の故郷に伝わる古い格言ですわね。通訳を介さずとも、私はここにいます。言いたいことがおありなら、私の目を見て仰ってはいかが?」


 もはや、誰も笑っていなかった。

 周囲の貴族たちは、畏怖の念を抱いて私を見つめている。

 あの「蛮族」と見下していた小国の娘が、自分たちよりも深く、自国の文化に精通しているのだ。これ以上の恥辱はない。


 マクシミリアン伯爵は顔を真っ赤にし、口をパクパクとさせた後、唸るように言った。


「……ふん。口だけは達者な小娘じゃ」


 捨て台詞だったが、その声には先ほどまでの侮蔑の色は消えていた。

 彼は荒々しく背を向け、去っていった。逃げたのだ。私の勝利だった。


 ふぅ、と小さく息を吐く。

 緊張が解け、足が震えそうになるのを必死で堪える。

 

「……信じられない」


 隣で、アレンが呆然と呟いた。

 彼は眼鏡の位置がずれているのも気にせず、まじまじと私を見つめていた。


「レディ・アークレイン……いや、セレスタ。貴女は一体、いつの間にあの方言を?」

「来る船の中で、南部の古典文学を読んで覚えたのよ。退屈しのぎにね」


 嘘だ。本当は、アレンが用意してくれた資料の中にあった「地方有力者リスト」を見て、南部の人間が多いと知り、昨夜徹夜で詰め込んだのだ。

 けれど、種明かしをするのは野暮というものだ。


「……降参です」


 アレンは深く息を吐き、それから穏やかに微笑んだ。

 それは、初めて彼が見せた、心からの笑顔だった。


「貴女には、通訳なんて必要なかったようですね。私はただの飾り物だったようだ」

「いいえ、違うわ」


 私は首を横に振った。


「貴方が盾になろうとしてくれたから、私は剣を抜くことができたの。……ありがとう、アレン」


 素直な礼を言うと、彼は少し照れたように視線を逸らした。


「……仕事ですから」


 その耳が少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。


***


 レセプションが終わる頃には、会場の空気は一変していた。

 もはや私を「無知な小娘」と見る者はいなかった。

 「レーヴァニアには、恐ろしい姫がいる」——そんな囁きが聞こえてくる。


 帰りの馬車の中。

 心地よい疲労感に包まれながら、私は窓の外を流れる帝都の夜景を眺めていた。

 隣のアレンも、リラックスした様子でネクタイを緩めている。


「お疲れ様でした。今日は貴女の完勝ですね」

「ええ。でも、これで敵も増えたかもしれないわ」

「構いませんよ。味方も一人、確実に増えましたから」


「え?」


 私が振り返ると、アレンは真面目な顔でこちらを見ていた。


「私がいます。……微力ながら、この国にいる間は、貴女の最強の味方でいると誓います」


 その言葉は、どんな甘い愛の囁きよりも、私の胸に深く染み込んだ。

 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 これは……何だろう。

 同志への信頼? それとも……。


 私は扇子で火照った頬を隠し、窓の方を向いた。


「……期待しているわよ、相棒さん」


 ガラスに映った私の顔は、自分でも驚くほど、嬉しそうに緩んでいた。

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