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蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする 〜捨てられた令嬢と左遷された官僚が、世界を覆す最強のふたりになる話〜  作者: ぱる子
第3章:檻の中の令嬢

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第24話 嵐の夜の脱出

 結婚式当日の朝。

 王都の空は、私の心情を裏切るように晴れ渡っていた。

 大聖堂の鐘が、祝福の音色を響かせている。それは私にとって、自由への別れを告げる弔鐘にしか聞こえなかった。


 私は鏡の前で、最後のお化粧(仕上げ)を受けていた。

 純白のシルク、真珠のネックレス、そして顔を覆うレースのベール。

 完璧な花嫁だ。

 ただし、そのドレスの下には、国の運命を握る機密文書が縫い付けられ、太ももには鋭利な短剣が隠されていることを除けば。


「……時間だ」


 父リオネルが入ってきた。

 彼は正装に身を包み、満足げに私を見下ろした。


「美しいぞ、セレスタ。……やはりお前は、アークレイン家の最高傑作だ」

「ありがとうございます、お父様」


 私はベール越しに微笑んだ。

 これが、父と交わす最後の会話になるだろう。

 最高傑作。ええ、そうね。貴方が作り上げた最高傑作の人形が、貴方の意思に反して動き出す様を、特等席で見せてあげるわ。


「馬車が待っている。……行くぞ」

「はい。……お父様、少しだけ時間をいただけますか? 母の部屋に、最後の挨拶をしてきたいのです」


 私は伏し目がちに願った。

 父は時計を見て、少し眉を寄せたが、鷹揚に頷いた。


「よかろう。五分だけだ」

「感謝いたします」


 私は一礼し、部屋を出た。

 廊下には私兵が並んでいるが、花嫁の感傷的な時間にまで土足で踏み込んでくるほど無粋ではない。

 私は一人で「北の離れ」へと続く廊下を歩いた。


 角を曲がった瞬間。

 壁の陰から手が伸び、私をリネン室へと引きずり込んだ。


「……お待たせしました、お嬢様」


 マリーだった。

 彼女は既に侍女服を脱ぎ、地味な商人の娘のような服に着替えていた。手には、私用の外套とブーツを持っている。


「時間は?」

「三分もありません。……裏口の馬車はスタンバイしています」

「行きましょう」


 私はウェディングドレスの裾をまくり上げ、用意されたブーツに足を突っ込んだ。

 華美なヒールなど履いていては走れない。

 純白のドレスに、無骨な革のブーツ。

 なんとも不格好だが、これが私の「戦闘服」だ。


 私たちはリネン室のダストシュート(汚れ物を落とす穴)を開けた。

 ここから地下の洗濯場へ直通している。


「……覚悟はいい?」

「はい!」


 私はドレスを抱え込み、暗闇へと飛び込んだ。


***


 地下洗濯場に着地すると、そこには既に協力者が待っていた。

 野菜の納入業者に変装した、ハンス氏だ。

 彼は私たちが滑り落ちてくると、目を丸くして帽子を取った。


「こりゃ驚いた。……空から花嫁が降ってくるなんて、お伽話でも聞いたことがねぇ」

「無駄口はいいわ、ハンス。出して!」

「合点承知!」


 私たちは裏口に停められていた荷馬車に乗り込んだ。

 空の木箱の裏に隠された、狭いスペース。

 ドレスが嵩張って押し込むのに苦労したが、なんとかマリーと共に身を潜める。


 「よし、行くぞ! 舌噛むんじゃねぇぞ!」


 ハンスが鞭を振るう。

 馬車が急発進し、石畳を駆け抜ける。

 ガタガタと激しい振動。身体が箱にぶつかって痛むが、声を殺して耐えた。


 門番の声が聞こえる。


「おい、止まれ! 検問だ!」

「へいへい、野菜の搬出ですよ。腐っちまうから急いでるんでさぁ」


 ハンスの野太い声。

 一瞬の静寂。

 心臓の音がうるさい。もしここで中を見られたら、万事休すだ。


「……よし、通れ」


 門が開く音。

 馬車が加速する。

 抜けた。

 私たちはアークレイン大公邸の敷地を脱出したのだ。


「やった……!」


 マリーと手を取り合って喜んだのも束の間。

 背後から、けたたましいサイレンの音が響き渡った。


 ウウウウウウウッ!!


「……早すぎる!」


 私は木箱の隙間から外を覗いた。

 屋敷の方角から、黒煙が上がっている。

 私の失踪に気づいた父が、即座に非常事態宣言を出したのだ。


「お嬢ちゃん! バレたみたいだ! 追っ手が来るぞ!」


 ハンスが叫ぶ。

 振り返ると、数台の騎馬隊が、猛スピードでこちらへ向かってくるのが見えた。

 アークレイン家の私兵部隊だ。


「止まれ! 止まらないと発砲するぞ!」


 警告と共に、銃声が響く。

 パン!

 馬車の幌に穴が開き、木片が飛び散る。


「きゃあっ!」

「伏せて!」


 私はマリーを抱きかかえ、床に伏せた。

 これは「連れ戻し」ではない。「狩り」だ。

 父は、私が『蒼い薔薇』を持ち出したことに気づいたのかもしれない。

 生かして捕らえるつもりはないのだ。


「ハンス! もっと速く!」

「無理言うな! これ以上出したら車輪がイカれる!」


 馬車は王都の大通りを暴走する。

 歩行者たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。

 追っ手の馬は速い。このままでは追いつかれる。


「……マリー、あれを使うわ」

「えっ? で、ですが……」

「躊躇している場合じゃない! 貸して!」


 私はマリーの懐から、出発前にハンスが「万が一の時はこれを使え」と持たせてくれた包みをひったくった。

 中身は、軍用の発煙筒だ。

 御者台で手綱を握るハンスの背中に向かって叫ぶ。


「ハンス! 貴方の『とっておき』、使わせてもらうわよ!」

「へっ! そいつはお嬢ちゃんへのご祝儀だ! 派手にやってくれ!」


 ハンスがニヤリと笑い、鞭を振るう。

 私はドレスの裾を破り、足元を確保した。

 荷台の覆いを蹴り開け、身を乗り出す。

 風でベールが舞い上がり、千切れ飛ぶ。


「食らいなさい!」


 点火した発煙筒を、追っ手の馬の足元へ投げつける。

 プシュッ! という音と共に、濃い白煙が通りに充満した。


「うわっ!?」「馬が暴れる!」


 視界を奪われた騎馬隊が混乱し、落馬する音が聞こえる。

 その隙に、馬車は路地裏へと滑り込んだ。


「すげぇな、お嬢ちゃん! あんた本当に貴族か!?」

「元・貴族よ! 今はただの……恋する女だわ!」


 私は風に乱れる髪をかき上げ、叫び返した。

 ドレスは泥だらけ。顔も煤で汚れている。

 でも、気分は最高だった。

 私は今、自分の足で人生を切り開いている。


***


 港に到着したのは、出航ギリギリの時間だった。

 そこには、一隻の武装商船が待っていた。

 『黒鯨号』。密輸を生業とする荒くれ者たちの船だ。


「急げ! 潮が変わるぞ!」


 船長らしき眼帯の男が怒鳴っている。

 私たちは馬車から飛び降り、桟橋を走った。

 重いドレスが足に絡みつく。

 息が切れる。肺が痛い。


 その時。

 埠頭の入り口に、数台の軍用車両が滑り込んできた。

 憲兵隊だ。

 先頭の車から降りてきたのは、ガレス・ミルティンだった。


「待てェッ! セレスタァッ!!」


 ガレスが鬼のような形相で叫ぶ。

 手には拳銃が握られている。


「逃がすか! 僕の金と名誉を盗んで逃げる気か!」


 彼は私に向かって銃口を向けた。

 距離は五十メートル。

 タラップまではあと十メートル。


「お嬢様、走って!」


 マリーが私の背中を押す。

 ガレスが引き金を引いた。

 バァン!

 銃弾が私の足元の石畳を砕く。破片がふくらはぎを掠め、熱い痛みが走る。


「くっ……!」

「次は頭だ! 止まれ!」


 ガレスが二発目を構える。

 もう逃げ場がない——そう思った瞬間。


 ドォォォン!!


 轟音と共に、ガレスの車のタイヤが吹き飛んだ。

 船から、大砲が撃たれたのだ。


「なっ!?」

「へっ! 女子供に銃を向けるたぁ、気に食わねぇ野郎だ!」


 『黒鯨号』の甲板で、船長が大笑いしている。

 彼は私たちに向かってロープを投げた。


「乗れ! 出すぞ!」


 私はロープを掴み、マリーと共に船へと飛び移った。

 エンジンが唸りを上げ、船が岸を離れる。


「待て! 撃て! 沈めてしまえ!」


 ガレスが絶叫し、憲兵たちが一斉射撃を開始する。

 銃弾が船体に当たり、カンカンと火花を散らす。

 だが、船は既に射程外へと加速していた。


 私は甲板にへたり込み、荒い息を吐いた。

 助かった。

 私たちは、逃げ切ったのだ。


***


 船は沖へと進み、王都は遠く霞んでいく。

 私は手すりに掴まり立ち上がった。

 海風が、汚れたウェディングドレスを激しく煽る。


 遠ざかる故郷。

 そこには、怒り狂う父とガレスがいるだろう。

 大公令嬢が結婚式当日に失踪し、敵国への密航船に乗った。

 これは前代未聞のスキャンダルであり、事実上の国家反逆だ。


 もう、戻る場所はない。

 アークレイン家の名は地に落ち、私はお尋ね者となった。


「……悔いはないわ」


 私はドレスの胸元を押さえた。

 そこには、確かに『蒼い薔薇(条約草案)』がある。

 私が全てを捨てて守り抜いた、希望の種。


「お嬢様……」


 マリーが私の肩にショールをかけてくれる。

 彼女もまた、すべてを捨てて私についてきてくれた。


「行きましょう、マリー。……アレンの元へ」


 私は北の空を見上げた。

 空は黒い雲に覆われ、海は荒れ狂っている。

 これから向かう先は、嵐の海。そしてその向こうには、砲弾飛び交う戦場が待っている。


 けれど、怖くはなかった。

 私はもう、籠の中の鳥ではない。

 嵐の中を飛び、愛する人の元へ辿り着く渡り鳥だ。


「待っていて、アレン。……今度は私が、貴方を守りに行く」


 船は大きく揺れながら、荒波を越えていく。

 泥と煤にまみれた純白のドレスは、嵐の中で、どんな旗よりも気高く翻っていた。

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