表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする 〜捨てられた令嬢と左遷された官僚が、世界を覆す最強のふたりになる話〜  作者: ぱる子
第3章:檻の中の令嬢

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/41

第23話 花嫁の逃亡準備

 『蒼い薔薇』を発見した翌日から、私は人が変わったように大人しくなった。

 父の命令通り、本邸へ戻り、花嫁修業に従事した。

 刺繍、ダンス、ミルティン家の家系図の暗記。

 かつてあれほど反発していたそれらの課題を、私は文句一つ言わず、完璧にこなしてみせた。


「……見事だな」


 父リオネルは、私の刺繍を見て満足げに頷いた。

 私が「改心」したと信じているようだ。

 無理もない。私はアークレイン家の娘として、感情を隠す術を幼い頃から叩き込まれている。

 心の中でどれほど舌を出していようと、顔には淑女の微笑みを貼り付けることなど造作もない。


「ガレス殿も喜んでおられる。……明日の式は、盛大なものになるぞ」

「はい、お父様。……アークレイン家の名に恥じぬよう、務めさせていただきます」


 私はカーテシーで応えた。

 その言葉に嘘はない。

 私は明日の式で、アークレイン家の真の使命——「国を守る」という責務を、誰よりも大胆な形で果たすつもりなのだから。


***


 結婚式前日の午後。

 私の部屋には、純白のウェディングドレスが運び込まれていた。

 最高級のシルクとレースで作られた、目のくらむようなドレス。

 ガレスが特注させたものだという。


「やあ、僕の小鳥ちゃん。準備は順調かい?」


 ノックもなしに、ガレスが入ってきた。

 彼は上機嫌で、私の肩を抱いた。

 強い香水の匂い。吐き気がするのを、必死で笑顔の下に隠す。


「ええ、ガレス様。素晴らしいドレスですわ」

「だろう? 君の美しさを引き立てるために、金に糸目はつけていないからね」


 ガレスは私の顎を持ち上げ、ねっとりとした視線で見つめた。


「正直、君がこんなに素直になるとは思っていなかったよ。……やはり、父親の威厳と、私の財力には勝てなかったかな?」

「……私は、自分の運命を受け入れただけです」


 私は目を伏せて答えた。

 ガレスは満足そうに笑い、私の頬にキスをした。


「賢い選択だ。……愛だの理想だの、そんなものは貧乏人の暇つぶしだよ。我々のような選ばれた人間には、もっと高貴な『支配』という楽しみがある」


 支配。

 この男にとって、結婚とは所有であり、支配なのだ。

 もし私が本当にこの男と結婚すれば、私は一生、籠の鳥として飼い殺されるだろう。

 アレンが愛してくれた「強くて美しいセレスタ」は死に、ただの美しい人形で終わる。


 (……ごめんなさい、ガレス様)


 私は心の中で冷ややかに呟いた。


 (貴方が手に入れようとしているのは、空っぽの抜け殻よ。……中身(魂)はもう、ここにはないの)


「では、明日を楽しみにしているよ。……夜も、たっぷりとね」


 ガレスは下卑たウインクを残して去っていった。

 扉が閉まった瞬間、私は袖で頬を乱暴に拭った。

 汚らわしい。

 でも、これでいい。彼らは完全に油断している。


「……マリー」

「はい、お嬢様」


 控えていたマリーが、鍵をかける。

 ここからは、私たちの本当の「準備」の時間だ。


 私はドレスを広げた。

 ふんわりと広がるスカート。幾重にも重なるペチコート。

 隠す場所はいくらでもある。


「鉄箱ごとは無理ね。重すぎるし、動いた時に音がするわ」


 私は箪笥の奥から、あの鉄箱を取り出した。

 中身——『恒久平和条約草案』の書類と、父の手記。

 それらを丁寧に取り出し、油紙で包み直す。


「これを、私のコルセットと、ペチコートの内側に縫い付けて」

「かしこまりました」


 マリーは手際よく針と糸を取り出した。

 書類を分散させ、身体のラインに沿うように隠していく。

 コルセットのボーン(骨組み)の隙間。

 ペチコートのレースの裏側。

 厚みが出ないよう、慎重に、かつ絶対に落ちないように。


 一時間後。

 私は「武器」を纏った花嫁となった。


 見た目は変わらない。純白の、美しいドレス姿。

 けれど、そのドレスの下には、二つの国の運命を変える爆弾が仕込まれている。

 そして、私の太ももには、母の形見の短剣がしっかりと巻かれている。


「……重いわね」


 私はスカートを翻してみた。

 紙の重み。歴史の重み。

 そして、アレンと彼の父、私の両親の想いの重み。

 ずしりとくるその感触が、私に勇気をくれる。


「脱出ルートの確認を」

「はい。……明日の式は、正午から大聖堂で行われます。その直前、午前十一時に、お嬢様は本邸から馬車で出発されます」


 マリーが小声で説明する。


「出発の直前、花嫁の支度部屋は人払いが行われます。……お父様との最後の挨拶のために」

「ええ。父の性格なら、必ずそうするわ」

「その隙に、裏口から脱出します。……厨房の勝手口に、野菜の納入業者に変装した協力者が馬車を待機させています」


 協力者。

 アレンの友人の商人、ハンス氏だ。

 彼もまた、アレンの生存を信じ、危険を承知で手を貸してくれた。


「港には、密輸船の手配も済んでいます。……出航は午後一時。追っ手を撒いて、なんとしてもその時間までに乗り込まなければなりません」


 ギリギリのスケジュールだ。

 一度でも躓けば、全てが終わる。

 父に見つかれば、今度こそ私は地下牢に繋がれ、『蒼い薔薇』は焼かれるだろう。


「……怖い?」


 私が尋ねると、マリーは首を横に振った。


「いいえ。……ワクワクしています。お嬢様が、あんな狐男ガレスの奥様にならなくて済むのですから」

「ふふ。……そうね」


 私たちは顔を見合わせて笑った。

 共犯者の笑み。

 これほど心強い友を持てたことを、私は神に感謝した。


***


 その夜。

 私は一人、鏡の前に立っていた。

 月明かりに照らされた自分の姿。

 明日の今頃、私はもうここにはいない。

 海の上にいるか、あるいは……捕まって地下牢にいるか。


 これが、この部屋で過ごす最後の夜。

 生まれ育ったアークレイン家との、決別の夜。


 私は窓を開け、北の空を見上げた。

 星が見える。

 この空は、遠く北の戦場とも繋がっている。


 (アレン……)


 貴方は今、何を見ているの?

 冷たい塹壕の中で、同じ星を見ているかしら。

 それとも、砲弾の閃光を見ているのかしら。


 マリーの情報では、彼は生きている。

 生存率一割未満の最前線で、しぶとく生き残っている。

 きっと、待っているのだ。

 私が約束を果たすのを。


「……思い出すわ」


 帝都での日々。

 初めて会った時の、冷ややかな視線。

 不味いシチューを食べた時の、苦笑い。

 雨の教会で分け合った体温。

 そして、血まみれになりながら「生きろ」と言った、最期の声。


 すべての記憶が、今の私を形作っている。

 私はもう、誰かに守られるだけの令嬢ではない。

 アレンが愛してくれた、戦う女だ。


「私は、誰かの妻になるために生まれたんじゃない」


 鏡の中の自分に向かって、宣言する。


「この国を……貴方を守るために生まれたの」


 ドレスの下に隠した条約草案が、心臓の鼓動に合わせて熱を帯びる。

 これは「蒼い薔薇」。

 不可能を可能にする奇跡の花。

 

 父は言った。「愛などという不確かなもので国は守れん」と。

 明日、私はその言葉を覆してやる。

 愛こそが、最も強固な武器であり、世界を変える力なのだと証明してみせる。


 私は窓を閉め、ベッドに入った。

 眠れるはずはないと思っていたが、不思議と心は凪いでいた。

 やるべきことが明確になったからだろうか。


 夜明けまで、あと数時間。

 私の人生で最も長い一日が、もうすぐ始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ