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蒼き大公家の令嬢は、敵国の青年官僚に恋をする 〜捨てられた令嬢と左遷された官僚が、世界を覆す最強のふたりになる話〜  作者: ぱる子
第2章:深まる絆と迫りくる暗雲

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第12話 残酷な嘘

 帝都に戻った私たちは、すぐさま現実に引き戻された。

 泥だらけのドレスとスーツ。疲労困憊の身体。

 ホテルへ戻る馬車の中で、アレンは一度も私と目を合わせようとしなかった。昨夜、教会で交わした熱っぽい視線が嘘のように、彼は硬い表情で窓の外を見つめ続けていた。


「……アレン?」


 私が恐る恐る声をかけると、彼はビクリと肩を震わせ、事務的な声で答えた。


「到着しました、レディ。すぐに着替えてください。……午後に外務省で査問会が開かれます」

「査問会……?」

「昨日の暴動についてです。私たちが『扇動した』疑いがかけられています」


 その言葉に、背筋が凍った。

 被害者であるはずの私たちが、なぜ加害者扱いされるのか。

 だが、アレンの深刻な表情と、小刻みに震える指先を見て、私は悟った。これは、単なる誤解ではない。政治的な罠だ。


***


 数時間後。

 私は身なりを整え、外務省の審問室にいた。

 窓のない、無機質な部屋。

 長テーブルの向こうには、ボルドー課長補佐と、その背後にふんぞり返るグランツ侯爵の姿があった。

 アレンは私の隣ではなく、参考人席——つまり、私とは距離を置いた場所に立たされていた。


「やあやあ、無事で何よりですな、姫君」


 グランツ侯爵が、蛇のような目で私をねめつけた。


「ですが、困りますなぁ。貴女が勝手な行動をとるせいで、我が国の治安が乱されるとは」

「勝手な行動? 私は正規の手続きを経て視察に向かいました。警備の不備を責められるならまだしも、私が非難される謂れはありません」


 私が毅然と言い返すと、ボルドーがバンと机を叩いた。


「黙れ! 報告によれば、貴様があの地区の労働者を挑発し、暴動を誘発したそうではないか!」

「馬鹿な。誰がそんな報告を……」

「複数の『目撃者』から証言が上がっている。貴様が炭鉱の組合長に『帝国政府に反逆しろ』と唆したとな!」


 嘘だ。完全にでっち上げだ。

 私は瞬時に状況を分析した。

 彼らの狙いは、私を「扇動罪」という重罪で捕らえ、政治的に抹殺すること。もし認められれば、私は即座に投獄され、最悪の場合は処刑もありうる。


「証拠はあるのですか?」

「証拠ならあるとも。……おい、ヴァルシュ」


 グランツ侯爵が、アレンに声をかけた。


「貴様はずっとこの女と一緒にいたな? 昨夜も、廃墟となった教会で二人きりで一夜を明かしたそうだが……そこで何を見た? この女が労働者たちと接触し、何かを企んでいなかったか?」


 部屋中の視線がアレンに集中する。

 私は彼を見た。

 アレンなら、真実を話してくれるはずだ。私たちが被害者であり、私は暴動を止めようとしていたのだと。


 アレンはゆっくりと顔を上げた。

 その目は、眼鏡の奥で冷たく凍りついていた。

 私に向けられたことのない、他人行儀で、無機質な目。


「……いいえ、閣下。扇動など、ありえません」


 アレンの言葉に、一瞬安堵しかけた。

 しかし、続く言葉は、私の予想を裏切るものだった。


「なぜなら、彼女には……レディ・アークレインには、群衆を扇動するような知性も、政治的野心も皆無だからです」


「——なっ!?」


 私は息を呑んだ。

 アレンは無表情のまま、グランツ侯爵に向かって淡々と続けた。


「彼女はただの、世間知らずで愚かなお嬢様です。私の制止も聞かず、『汚い場所が見てみたい』と観光気分で現場に入り込み……そして、労働者たちの怒号に怯えて、泣き喚いて逃げ出しただけです」


「な……何を言っているの、アレン!?」


 反射的に反論しようとして、私はハッとした。


 アレンの手を見て気づいたのだ。

 ズボンの横で握りしめられた彼の拳が、血が滲むほど白くなっていることに。

 そして、彼の額に浮かぶ脂汗に。


 ——ああ、そうか。

 私の脳内で、パズルのピースが組み合わさる。


 もしここで彼が私を庇い、「彼女は立派な外交官だ」と証言したらどうなる?

 侯爵たちは私を「有能なスパイ」と認定し、全力で潰しにかかるだろう。

 逆に、私が「無能な馬鹿」であれば?

 敵は警戒を解く。馬鹿を殺しても政治的メリットはないからだ。


 彼は、私を守ろうとしている。

 自分の良心を殺し、私への敬意を踏みにじってでも、私の「命」を救うために、あえて私を貶めているのだ。


「昨夜の教会でも、彼女はずっと『怖い、家に帰りたい』と震えていただけでした。……そこに政治的な意図などありません。ただの子供の癇癪です」


 アレンの声が、微かに震えているのを私は聞き逃さなかった。

 彼は今、私を傷つける言葉を吐くたびに、自分自身の心をナイフで切り裂いている。


 ——分かったわ、アレン。

 貴方の作戦シナリオ、乗ってあげる。


 私は湧き上がる屈辱と悲しみを、理性でねじ伏せた。

 ここで私が「そんなことない!」と賢く反論すれば、彼の捨て身の演技は無駄になる。

 私が生き残るためには、彼の言う通り「愚かな女」になりきるしかない。


 私は膝を震わせ、わざと涙目を作って叫んだ。


「ひ、酷いわ! アレン、貴方まで私を馬鹿にするの!?」

「事実です。貴女の軽率な行動が、我々に迷惑をかけたのです」


 アレンは私を見ずに切り捨てた。

 その冷たさが、演技だと分かっていても、胸を抉る。

 

「ほう、そうか」


 グランツ侯爵が、興味深そうに身を乗り出した。


「つまり、暴動は彼女の策略ではなく……単なる『無知』が引き起こした事故だと?」

「はい。彼女が場違いなドレスでうろついたことが、労働者たちを刺激したのでしょう。……彼女は我が国の脅威ではありません。ただの、迷惑なだけの『お飾り』です」


 侯爵が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「なるほどな。アークレインの娘も、大したことないのう。ただの着飾った人形か」

「はい。取るに足らない存在です」


 アレンの断定に、侯爵の目から「殺意」が消え、「侮蔑」に変わった。

 成功だ。

 私たちは命拾いをした。


 けれど、その代償はあまりに大きかった。

 私の外交官としてのプライド。そして、二人が積み上げてきた対等な信頼関係。それらが、公衆の面前で粉々に砕け散ったのだ。


「……ふん。ならば、罪に問うまでもないか。馬鹿を相手にしても時間の無駄だ」


 侯爵はつまらなそうに手を振った。


 私は役割を全うするため、ハンカチで顔を覆い、演技を続けた。


「うっ……ううっ……お父様に言いつけてやるわ……!」

「さっさと失せろ」


 私はよろめく足取りで部屋を出た。

 すれ違いざま、一瞬だけアレンを見た。

 彼は彫像のように動かなかったが、その瞳の奥で、悲痛な叫び声を上げているのが見えた気がした。


 (許してください、セレスタ)


 声なき声が聞こえた。

 私は心の中で答えた。


 (いいのよ、アレン。……貴方は間違っていない)


 けれど、正しいことが、これほどまでに痛いなんて。


***


 ホテルに戻った私は、ベッドに倒れ込んだ。

 マリーが心配そうに駆け寄ってくる。


「お嬢様……?」

「……一人にして、マリー」


 彼女を下がらせると、私は枕に顔を埋めた。

 演技はもう終わりだ。

 理性で抑え込んでいた感情が、決壊したダムのように溢れ出す。


 悔しい。

 スパイの汚名を着せられそうになったことではない。

 愛する人に「取るに足らない存在」と言わせなければならなかった、自分自身の無力さが悔しい。

 私がもっと力を持っていれば。もっと彼を守れる立場にいれば、彼にあんな残酷な嘘をつかせずに済んだのに。


 頭では分かっている。

 あれは愛ゆえの裏切りだと。

 でも、心に残った傷跡は、そう簡単には塞がらない。

 『お飾り』『迷惑』。

 その言葉の棘が、私の自信を内側から蝕んでいく。


 これで私たちは、世間的にも決裂したことになった。

 もう、以前のように肩を並べて歩くことはできない。

 「無能なお嬢様」と「それを軽蔑する官僚」。

 それが、私たちが生き延びるために被らなければならない、新しい仮面なのだ。


***


Side:アレン


 審問室を出た後、私はトイレの個室に駆け込み、胃の中身をすべて吐き出した。

 胃液の酸っぱい匂いが鼻をつく。

 手が震えて止まらない。


「……くそっ……くそッ!」


 私は拳で壁を殴りつけた。痛みなど感じなかった。


 彼女は、気づいていた。

 私があの酷い言葉を吐いた時、彼女は一瞬傷ついた顔をしたが、すぐに私の意図を察し、「愚かな女」を演じてくれた。

 その聡明さが、今は何よりも辛い。


 彼女に、あんな惨めな芝居をさせてしまった。

 「父に言いつける」などという、彼女が最も嫌悪するような台詞まで言わせて、私の嘘を成立させてくれた。


 彼女は私の共犯者になってくれたのだ。

 自分の矜持をドブに捨ててまで、私のシナリオに合わせてくれた。


「……守るって、誓ったじゃないか」


 鏡に映る自分を睨みつける。

 蒼白な顔。充血した目。

 そこには、昨夜彼女と夢を語り合った青年の面影はない。

 ただの、嘘つきで薄汚い官僚がいるだけだ。


 だが、後悔はしない。

 彼女が生きてさえいてくれれば、私は悪魔にでもなる。

 たとえ彼女に軽蔑されようとも、二度と隣に立てなくなろうとも。


「……ヴァルシュ事務官」


 個室を出ると、ボルドー課長補佐が立っていた。

 彼はニヤニヤと笑いながら、私の肩を叩いた。


「よくやったぞ。貴様もようやく、どちらに尻尾を振ればいいか分かったようだな。……あんな小娘、適当にあしらっておけばいいんだ」

「……恐縮です」


 私は深く頭を下げた。

 地面を見つめる視界の端で、ボルドーの磨かれた革靴が光る。


 耐えろ。

 耐えるんだ、アレン。

 今はまだ、泥水をすする時だ。

 この屈辱を、怒りを、すべて腹の底に溜め込め。


 いつか必ず、この腐った連中を地獄へ叩き落とし、彼女の名誉を取り戻す。

 その瞬間まで、私はこの「裏切り者」の仮面を被り続ける。


 (ありがとう、セレスタ。……そして、ごめんなさい)


 届くはずのない謝罪を胸に、私は再び灰色の廊下へと歩き出した。

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