第九話 凍てついた記憶 ― 氷の神域〈グレイシア・ドーム〉
【第九話 凍てついた記憶 ― 氷の神域〈グレイシア・ドーム〉】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
深い霧が立ち込める氷原。無音の世界の中、五人のソルナイトは慎重に歩を進めていた。
「見て……!」
メルロが指差した先に、氷でできた巨大神殿が浮かび上がる。
その中央に立つのは、白銀の巫女衣をまとう美しい女性。長い銀髪、氷のように無表情な瞳――
「氷哭のエリシエラ……」
リアが息を呑んだ。
「この神域に入った者は、記憶と心を封じられるわ。彼女は……かつて私の姉弟子だったの」
「リアの……?」
「お願い、アキト。ここは、私に戦わせて……」
すると、エリシエラの唇が静かに開いた。
「感情は、痛みをもたらす。記憶は、争いを呼ぶ。ゆえに、私は全てを凍らせる。永久の静寂こそ、救済」
氷雪の風が吹き荒れ、視界が真っ白に染まる。空間が反転し、五人は四方に引き裂かれ――
そして、リアの前にだけ、彼女の“過去”が立ち現れた。
それは――リアの実の妹だった。
「お姉ちゃん……なぜ、私を置いていったの?」
氷でできた幻影が、リアの心を突き刺す。
「一緒に逃げるって、言ってくれたじゃない……!」
リアの脚がすくむ。心が凍る。
「記憶と感情――それが貴女を弱くする」
エリシエラが手をかざすと、巨大な氷槍が形成される。
「氷葬術式・《零哭氷矢》――!」
その時。
「感情を捨てて強くなったつもりか……?お前は、本当にそれで救われたのか?」
静かに響く声。氷を裂いて、フェン=イグニスが現れた。
「――“生きたい”と願った声を、オレは忘れない」
彼の焔が吹き上がる。冷気と焔、両極の力がぶつかり、神域が震える。
そして始まる、姉弟子と弟子の、凍てついた絆を取り戻す戦い――
氷と炎――両極のエネルギーが空間を引き裂き、氷殿の天井に無数の亀裂が走る。
フェン=イグニスは焔の剣を構えたまま、リアの前に立ちはだかる。
「……フェン……どうして……」
リアが震える声で問いかける。
「俺は……ずっと、迷ってたんだ」
フェンはエリシエラに目を向けたまま、静かに語る。
「感情に振り回される人間の弱さが、あんたの言う通り何も生まないって……思ったこともある。だけど――」
フェンの瞳が、確かな炎を灯す。
「誰かを想って、傷つくことすら、俺たちの“証”なんだ」
「生きて、怒って、泣いて、笑って……それが“人間”だろうが!」
「…………甘い」
エリシエラが指先を振ると、冷気が地面を這い、瞬く間に広がる。氷の蔓がフェンとリアを包み込む。
「ならば、その感情ごと凍らせてあげる……永遠に眠りなさい」
氷哭の術式が再び展開される。
「氷葬術式・《白零天鎖》」
無数の氷鎖が天井から降り注ぎ、空間を封じようとする――だがその瞬間。
「――《陽焔結界》!」
リアが両手を広げ、炎を纏った魔術陣を展開。
その火はフェンの焔から受け継がれた“希望”の火――
「私の感情を、私の記憶を……誰にも奪わせない!」
「リア……!」
「私は、貴女に追いつきたくて、ずっと魔術を学んできた!」
リアの目に、熱い涙が浮かぶ。
「でも……貴女が選んだのが、こんな絶望だけだって言うのなら――私は、その幻想を、壊してみせる!」
リアが魔導杖を掲げ、燃え上がる魔力を一点に集中させる。
「――《陽光連星術式・終章(ソル=ノヴァ)》!」
黄金と紅の混じり合った星光が、氷の神域を貫いた。
エリシエラの氷鎧が砕け、彼女の身体が膝をつく。
「……どうして……私の氷を……」
「だって、貴女は――私に、“感情を大切にしろ”って教えてくれた姉弟子だったから」
リアが歩み寄る。
凍える手を取る。エリシエラの頬に、一筋の涙が伝った。
「……リア……」
氷の神域を覆っていた霧が、静かに晴れていく。
白銀の光が差し込み、エリシエラの顔に、初めて“微笑”が戻った。
――神域の試練、突破。
その瞬間、仲間たちが次々に結界から解放され、リアのもとに集まった。
「……よくやったな、リア」
フェンが肩に手を置く。
リアはそっと頷き、微笑み返した。
「ありがとう、フェン。……私、もう迷わない」
そして五人は、次なる神域――雷の神域へと歩み出す。
だがその背後では、氷殿の奥深くで“黒き瞳”がそっと瞬いた。
「……順調すぎるな、ソルナイトたちよ」
不敵に笑う影――冥王アザラフの親衛幹部のひとり、“雷刃ヴァルトロス”が、密かに彼らの行く末を見据えていた――。
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