第十七話 冥王の玉座―《滅びの鐘が鳴る時》
【第十七話 冥王の玉座―《滅びの鐘が鳴る時》】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
天を裂き、星々の海を渡り、いま戦士たちは最後の門へと辿り着く。
――そこは「無の境界」。 全ての神域が消えゆく“死の狭間”に佇む、黒き玉座の城塞。
その中央、巨大な虚無の穴が口を開けていた。 その奥に、冥王アザラフの玉座があるという。
「ついに……ここまで来たのか」
日向アキトが呟く声は、静かに震えていた。恐怖でも絶望でもない。ただ、“魂の重み”だった。
彼の周囲には、これまで共に戦ってきた仲間――
リア=セラフィム、クレイン・グリムヴァルド、メルロ=アンダルシア、カイル・フォルセティ――
フェン=レグナスの遺志を胸に、彼の涙を引き継ぎ、戦士たちは立ち向かう。
その時だった。
虚無の穴から、不気味な“鐘の音”が響いた。
「……聞こえるか?」
クレインが眉をひそめる。「これは……まさか、時の神域で聞いた鐘と同じ……いや、それ以上だ」
「違うわ、これは……世界の“終わり”を告げる鐘よ」
リアの顔が蒼白になる。
それは〈アザラフの胎動〉。
眠り続けていた冥王が、いま、目覚めようとしていた。
冥王アザラフの真影――
虚無の奥から、禍々しい意識が立ち上がってくる。
「来たか……我が玉座に挑む、選ばれし者たちよ」
声ではない。思念だ。
その圧倒的な存在感は、空間すら震わせた。重力が歪み、周囲の大地が音もなく崩れ落ちる。
だが、その中でもアキトたちは前を向いていた。
「アザラフ……!」
「お前がすべての元凶か……!」
だが、アザラフの真意は語られない。
語られるのは、ただ一つ。
「神々は愚かだ。民もまた愚かだ。ならば、“終焉”が世界を浄化すべきだろう……我が意志により、時は“始まり”に還る」
それが冥王の計画――
“時の逆流”による神域すべての初期化だった。
神も、世界も、魂も、記憶も。すべてを最初の一秒に戻し、「罪のない楽園」へ再構築する。
「……そんなの……っ」
メルロが絶句した。
「過去を消すなんて……命を、涙を、絆を、すべて無かったことにする気……?」
アザラフの思念が響く。
「愛も涙も、苦しみも、それが“あった”と誰が証明できる。ならば、最初からなければいい。美しき静寂の中で、新たな始まりを迎えよう」
「それが“神”の答えかよっ!!」
クレインが吼える。
「ふざけるな!! 俺たちは生きた! 死んでいった奴らの痛みも、笑顔も、ここにあるんだ!!」
拳が震える。アキトもその場で一歩踏み出す。
「神でも、冥王でもいい。だけど――そんな悲しい“始まり”を、俺たちは望まない!!」
彼の言葉に、皆の魂が同調する。
やがて虚無の奥から“玉座”がゆっくりと姿を現す。
漆黒に染まり、星々が沈んでゆくような深い闇の玉座――その上に、まるで神像のように座す影。
冥王アザラフ、その仮面の王の姿だった。
アキトたちの瞳に、最後の戦いの灯が宿る。
――世界は、死を孕んでいた。
黒き玉座が完全に姿を現すと同時に、空間が歪んだ。
そこはもはや、時も空も意味を成さない“虚無の劇場”。
冥王アザラフは、ゆっくりと立ち上がり、その仮面を外した。
露わになったのは、人間の顔だった。
「……え……?」
リアが息を呑む。
それは、どこにでもいる青年の顔。けれど――瞳の奥にあるものは、すでに人ではなかった。
「“私”はかつて、《終の神域》の預言者だった」
アザラフの口が動いた。音ではなく、直接脳に響くような声だった。
「過去を視る力を持ち、未来を告げる者として、あらゆる可能性を“観測”してきた……だがある時、見てしまった。“神々の終焉”を」
――繰り返される滅び。
どの未来を選んでも、星環は争い、滅び、人々は苦しみ続ける。
「私は確信した。“未来に希望など存在しない”と」
仮面を落としながら、アザラフの背後に黒い翼が広がる。
その翼は、無限の眼を宿していた。
過去、現在、未来――すべてを監視する神の器。
「ならば、時を終わらせるしかない。選択も、分岐も、すべてを凍結させる。“最初の一秒”だけが絶対の真理だ」
その言葉と同時に、空間が捻じ曲がる。
アキトたち五人は、それぞれ異なる幻覚の世界に閉じ込められた。
――そこは、まだ訪れてはいない未来――
アキトが星環から現実世界へと戻った後――都内の大学病院。
妹のミユが、病床で眠っていた。
「兄ちゃん……私、もう……ダメかもしれない」
涙を流す妹に、アキトはただ、手を握り返すしかできなかった。
《この時、お前に神の加護があれば……助けられたんじゃないか?》
脳裏に、未来に起こるであろう“後悔”が幾度も繰り返された。
「救えなかったお前に……何が神を超えるだと?」
振り返ると、そこに立っていたのはアキト自身だった。
――だが、彼の目はアザラフのものと同じ、絶望の瞳だった。
リアは光の神域の廃墟に立ち尽くしていた。
周囲には、過去に自らの指導で死なせてしまった民の霊が佇んでいた。
「リアよ。あなたの理想に従った者は、死んだのです」
「あなたの光は、何を照らしたのですか?」
リアは震える。自分が信じた“正義”に、重みはあったのか?
そのとき、天空にアザラフの声が響く。
「全ての善意は、他者にとっての暴力となる。ならば、意志も希望も否定されるべきなのだ」
リアの頭に光の冠が戻ってくる。だが、それは刺の冠となって彼女を責め続ける。
星環領土内での冥環帝国との戦場。
かつての仲間、ガイアが首を垂れて死んでいた。
「お前が……遅れなければ、俺は死ななかったかもな……」
足元には、幾千の死者の影。クレインが守れなかった命たち。
「俺は……!」
「赦されたいのか?」
アザラフの問いが、心を抉る。
「ならば忘れろ。罪も、痛みも。最初の一秒ならば、お前は何も知らないままでいられる」
それぞれの“心の最深”
アザラフは彼らの“弱さ”に侵食していく。
メルロには、“嘘つき”だった記憶。
カイルには、“恐怖から逃げた”過去。
だが――
そのとき、微かな光が差した。
アキトの中で、誰かの声が響く。
「……兄ちゃん……もう、泣かないで」
妹のミユの幻が、アキトの手を握る。
幻覚ではない。魂の記憶だった。
「……俺は……"あの日"が未来で訪れたら、確かに後悔しただろう。だけど……」
アキトは拳を握る。
「その後悔と一緒に生きて行かなければならない!! そんな未来が訪れたのなら…… 俺は…… ミユの想いと共に前へ進む!!」
叫びと同時に、幻覚が破られる。
「――みんな、目を覚ませッ!! こんなものに飲まれるな!!」
彼の声に導かれ、仲間たちは幻から一人ずつ解放されていく。
冥王アザラフの瞳が、わずかに揺れる。
「……抗うか…… ならば見せてやろう、“時の終焉”の本質を」
彼の背後に、次元の裂け目が開く。
そこから現れるのは、神々すら存在しなかった世界の原初――“混沌”。
冥環帝国――かつて天の十二神域によって封じられていたその中心に、巨大な城塞がそびえていた。
黒き螺旋のように空を穿つその城は、天と地の理を逆転させるかのように、重力すら歪めていた。
その最奥に、冥王アザラフとソルナイトたちはいた。
冥王。星環界のあらゆる戦乱の裏でただ微笑み、待ち続けた者。
誰もが口を閉ざしていた“存在”――
「次元の裂け目が開く。真実と真理の先にある“混沌”をその目で見るがいい。選ばれし者たちよ」
低く、そして澄んだ声が響く。
まるで全てを悟ったような、終末を歓迎する者の声音だった。
◆
先陣を切ったのはアキトだった。彼の瞳には、迷いはなかった。
「冥王アザラフ……これで終わらせる」
「終わり……それは“始まり”の別名でもある。さあ、ソルナイトよ。私に“光”を見せてみよ」
黒き玉座が霧散する。立ち上がったアザラフの姿は、どこか人間に似ていた。
だが、その背後には光も影もない“虚無”が広がっていた。空間すら存在しない――理の破壊者。
アキトの光刃が火を灯す。
「リア! クレイン! 今だ!」
「了解――風を切り裂く!」
「雷鳴一閃!!」
リアの風刃がアザラフを包み込み、クレインの雷槍が疾風と共に奔る。
――が。
「……悪くない」
アザラフの指が軽く動いた。すると世界が“静止”した。
◆
「動け……ない……!」
クレインの叫びが空に溶ける。アザラフはただそこに立っているだけだった。
「時とは、選ばれた者にのみ等しく流れる。貴様たちはまだ知らぬだろう、死の時間すら美しいということを」
その言葉に、リアの目が微かに揺れる。
「……これは、冥妃ヘドリーヌの術……!? いえ、違う。もっと根源的な、“時間”そのものを掌握している……!」
アキトは目を閉じた。
心の奥で、仲間の声がこだまする。
《諦めるな、アキト……信じろ……》
フェンの声が蘇った。
死したはずの仲間の、かすかな祈りが彼の魂を照らした。
アキトの光が再び強くなる。
「……俺たちは、何度だって立ち上がる」
時の静止を、アキトの魂の熱が打ち破る。
「“未来”を取り戻すために――!」
――《神環解放・光焔剣カレド=ルミナス!!》
膨大な光が世界を貫いた。静止した時が揺らぎ、裂ける。
◆
「ふむ……確かに、光は美しい」
アザラフが微かに笑う。
だがその笑みの奥には、微かな“痛み”があった。
それに気づいたのは、リアだった。
「……あなたは、何を求めているの……? 世界を壊すことが目的ではない、あなたは……」
アザラフの双眸が、アキトたちを映す。
「――我が望みは、希望なき世界の“再起動”だ。天も地も、善も悪も、あまりに腐りすぎた。ならば、一度この宇宙の“理”そのものを――」
その時、空間が悲鳴を上げた。
次元の裂け目の深淵から現れたのは、“混沌”という名の天の神器。
かつてソルナイトたちの力の源であった“星環の核”が、アザラフの背後に浮かび上がる。
「やはり、あれが目的か……!」
リアが叫ぶ。
星環の核――世界の創世を記した光の原初因子。
それが冥王の手に堕ちれば、宇宙そのものが“やり直される”。
◆
「アキト、決着を……つけるぞ!」
クレインが立ち上がる。雷を纏い、最後の一撃に全てを賭ける。
「俺たちの“今”を終わらせないために!」
――《ソルナイト神環陣・完全解放!》
五人のソルナイトの力が共鳴し内に秘めた力が解放され、冥王アザラフへと放たれる。
しかし、アザラフはその光を全て受け止めながら、微笑んだ。
「……やはり、君たちには見えている。“私の最後”が……」
一瞬、冥王の瞳に“涙”が浮かんだように、アキトには見えた。
アキトたち五人の目覚めた新たな神の力が共鳴し放たれた《ソルナイト神環陣》。
全てを穿つ神環の光が、冥王アザラフの身体を飲み込んだ。
だが、アザラフは崩れなかった。
「……やはり“光”は、美しい。だが……」
その身体は、確かに崩れ始めていた。皮膚がひび割れ、そこから溢れるのは“光”ではなく“虚無”――星の死の色。
「貴様は……!」
クレインが叫ぶ。
「自ら死にに来たのか!?」
アザラフは静かに首を振った。
「私の存在は……世界が“光”と“影”に分かたれたその日から始まった。私は、創造と秩序の狭間に捨てられた“失敗”の神柱だ」
リアの表情が凍る。
「失敗……だって?」
「創世の時、十二神域が形成された時に“十三番目”として生まれた私は、調和を乱す“不完全”として……封印されたのだ」
アザラフの背後で、崩れゆく星環核が回転を止める。
彼の言葉が、空間全体に木霊した。
「私は見てきた。神々が生み出した“正義”が争いを生み、人々が“善”の名の下に憎しみを募らせていく様を。そして気づいたのだ。――この宇宙そのものが、間違っていると」
◆
「だから、世界を滅ぼそうとしたのか……?」
アキトの声には怒りではなく、哀しみが混ざっていた。
「それがお前の答えか? 理の“やり直し”? 命の否定をもって?」
「違う」
アザラフは静かに言った。
「私は、この世界に“選択肢”を与えたかったのだ。“終わる”という自由を」
アキトの心に、ずしりと重みのある言葉が刺さる。
彼は拳を強く握りしめる。
「でも……俺たちは、生きてきた。間違いだらけでも、諦めずに。それが“正解”じゃなくても、命をかけて、前に進んできた!」
雷の中に立つクレインも叫ぶ。
「誰にも奪わせはしない! 俺たちが生きてきた、この世界を!」
そして、リアがそっと目を閉じ、祈るように囁いた。
「あなたにも……きっと、光は見えていた。けれど、それを信じるのが怖かったのね……」
アザラフは目を伏せた。
そして――
「……ならば、最後に、“裁定”を与えよう。私の命をもって。ソルナイトよ。私を斬り、終わらせよ」
◆
静寂の中で、アキトは光の剣を手に進む。
その刃は、憎しみではなく、慈しみで光っていた。
「さよなら、アザラフ。……あなたの悲しみも、この刃に込める」
アキトの剣が、冥王の胸を貫いた。
アザラフの表情は――微笑みだった。
「……ああ……ようやく……終わる……」
冥王の身体が光に包まれ、天へ還る。
その中で微かに、かつての少年のような声が響いた。
『ありがとう、アキト……』
――それは、消えた十三番目の神柱であり"終の神域の守護者"であった冥王の救いの声だった。
◆
こうして、冥王アザラフは滅び、崩れ掛けた星環核が元の姿に戻り回転を始める。そして"混沌"は再び次元の深淵へと消えていった。
冥環帝国――封印された十三番目の神域である"終の神域"は崩壊した。
十二神域は再びその力を取り戻し、星環界に光が戻った。
アキトたちは、深い傷を負いながらも、生き延びた。
「世界は……まだ終わっていない」
クレインが呟く。
リアは空を見上げた。
「これからが始まりよ。私たちが“選んだ”世界が……」
そしてアキトは、静かに歩き出す。
新たな時代へ――未来へ。
――完――
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