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1-4

 玄関のドアを開けたシオンの視界に飛び込んだのは長閑(のどか)な居住区の風景ではなく、(せき)()を固めたような茶色の壁だった。予想外の状況に思考が(にぶ)ったのも束の間、三段に積み重なった荷箱だと気づいて引き絞っていた警戒の弦をゆるめる。


 リビングから玄関へと向かう道中に洗面所がある。彼女が来客を迎えに来るとなれば必然的にシオンとすれちがうことになるけれど、五秒ほど待てどこちらへ近づく足音は聴こえてこなかった。朝支度に集中しているのだろうと察して、代わりに来客を迎えた直後のこれだ。


 土色の壁が僅か右にずれて、陰からひょこりと配達員が顔を覗かせた。動作に合わせて跳ねる、荷箱よりも淡い香莢蘭(バニラ)色の髪先。


「え、シオン?」


 配達員の青年がしばたたく。それから見間違いかと思ったのか、眉根に(しわ)を刻むほど固く目を(つむ)ってから開眼し、ぱっと笑みを咲かせた。


「やっぱシオンじゃん! 久しぶりじゃんってかいつ帰ってきてたんだ?」


 郵便配達の口上そっちのけで、溌溂(はつらつ)とよく(とお)る声がシオンの鼓膜を揺さぶる。興奮のあまり前のめりになったせいで一番上の荷箱が傾き、咄嗟にシオンは右腕を持ち上げて落下を防いだ。

 やっべ、とさして焦りを感じていなさそうな軽い口調で呟く配達員の、ちょうど顔面に押しつけるかたちになるのも構わず押し返して溜め息を落とす。


「……どちらさんか知らないけど、朝から騒がないでもらえるかな」

「おいおい、友達に向かってどちらさんはないだろ……って、仕事中なのに名乗ってないおれが悪いか」


 青年が取りなすような咳払いをひとつ。


「おはようございます、ブライドポスト郵便局のウルリヒ・シラーです! お荷物の配達にまいりました!」


 燦々と照りつける真夏の太陽を思わせる青年の笑顔の爽やかさがいまだ眠気の残る瞳に直撃して、シオンは反射的に(すが)む。なぜ早朝からそうも元気でいられるのか、朝に弱いうえにどちらかといえば陰気な部類に含まれるシオンにはいまいち理解し(がた)い。


 中途半端に開いていたドアを九〇度まで押し開けると、すかさず彼は横歩きでドアに背中を預ける体勢になるように移動した。真正面にあった人影が退()き、アプローチの先にある白磁の門の(かたわ)らに郵便局のロゴが入った小型バイクが停められているのが見えた。


「んで? いつこっちに帰って来てたんよ?」

「昨日の朝だけど」

「朝ぁ!? ならなんで昨日のうちにおれんとこ来てくれなかったんだよ!?」

「なんで帰って早々(そうそう)お前に逢いに行かないといけないんだよ」

「寂しいじゃんか!」


 めそめそと泣き真似をしようとして、顔を覆い隠すための両手が塞がっていることに気づいたらしい。幼い子供が泣き出す寸前のように歪めた顔を一瞬で引っ込め、とりあえずこれ受け取ってくんない? とウルリヒが目線で荷箱を示して言う。


 中身がわからない以上、三つまとめて受け取るのは危険だ。そう判じて、まずは一番上の荷箱から取り上げる。箱の隙間を幾重にもテープで止めている厳重さに僅かながら緊張していたものの、予想に反して特別重くはなかった。食品、あるいは日用品だろうか。

 (きびす)を返して靴箱の隣に荷物を置き、再び受け取っては上に重ねてを二回繰り返す。ひと息ついてから振り返ると、身軽になったウルリヒが両腕を頭上に突き上げて伸びをしていた。


「にしても、マジで久しぶりじゃん。東区(オスト)出てったのいつよ?」

酔楽月(エブリエタス)の中頃あたりから西区(ヴェスト)に。三日前に突然呼び出されてな」

「へー、コンテスティさんが? 放任主義の人なのに珍しいな。西区(ヴェスト)ではどんな仕事してたんだ?」

「いつもと同じだよ。人探しやら私人間トラブルの仲裁やら雑用やら、内容はどこに行っても変わらないし」

「それら全部引っくるめて雑用って言うんじゃね?」


 そういえば昨日も似たような話をしたな、と会話を交わしつつ頭の隅で思う。あの時は、依頼に関する話は黙秘を貫いたけれど。

 互いの近況を語り合うさなか、臙脂色のキャップを脱いで髪を直していたウルリヒが、ふと思い出したというふうな声を洩らした。


「依頼といえばさぁ、お前と顔見知りだからっておれのほうに話回ってくんだけど? おれはお前に依頼を届けるための郵便ポストじゃねぇってのに」


 やれやれと冗談めかして肩を(すく)めてみせる仕草も(あい)()って、生憎(あいにく)と過剰に罪悪感が湧くことはなかった。

 そもそも、シオン自ら東区(オスト)不在の際はウルリヒ宛てに依頼を寄せてくれと言って回っているわけではない。住民達が勝手に判断して行動を起こしているのだから、正直なところ愚痴をこぼされても困るところではあるけれど。


「そういうわけで、依頼書とかは全部郵便局(うち)に保管してあるからさ。どうせこっち戻ってきたばっかで暇してんだろ?」

「いや……」

「なんだよ、その微妙な返事。まさかもう新しい依頼受けてたりすんの?」


 小馬鹿にするような言いかたに(まなじり)を尖らせる。


「まさかってなんだ。……まあ、別に受けるって決めたわけじゃないけど」

「へー、珍し。迷ってんだ?」

「どう断れば相手を納得させられるかをな」

「なんで断んの? 受けてやりゃあいいのに」


 なにも知らないから好き勝手言えるんだろ、お前は。


 ついこぼれかけた悪態を(すんで)のところで飲み下して、シオンは細く息を吐く。

 ヘルマンの依頼を受けるか否かを決め(あぐ)ねているのは事実だ。現状で与えられている情報が少なすぎるがゆえに、可否の判断の為所(しどころ)がどうにも掴めない。


 内容だけで言えば至極単純で難易度も低い。提示された報酬だって真実ならば最高の稼ぎになる。困難があるとすれば、(くだん)の少女が自らの故郷を朧げにしか覚えていないことと、それに付随して共和国各地をくまなく巡り歩かなければならないことくらいだ。

 あらゆる情報が不透明で尻込みしている、とでも言えばいいのだろうか。この仕事を始めて四年ほど経つけれど、ここまで即断即決ができない依頼を持ちかけられたのは初めてなように思う。


「ちなみにどんなやつ? あ、いや、依頼の話っておれが聞いちゃだめか」


 曲がりなりにも個人情報を扱う仕事に就いているためか、ウルリヒが即座に自制した。

 個人名を伏せた詳細を聞いただけで容易に依頼人(クライアント)を特定できるほど東区(オスト)の人口は少なくない。郵便局職員という肩書きもあって彼は口も堅い。名前を出さなければいいか、と数秒の思案ののちにそう判断し、シオンは会話を継ぐ。


「知人を故郷に連れ帰ってくれって。具体的にどこに向かえばいいのかまでは知らされてないけど、少なくとも数ヶ月に渡るような依頼じゃないな」

「じゃあなんで迷ってんの?」

「……知らない人間と何日も過ごすのが苦痛なんだよ。お前には理解できないと思うが」

「うん、そりゃわからんな」


 咄嗟についた嘘に気づかぬまま、ウルリヒは深く首肯する。

 シオンが初めて女中(メイド)に代わって郵便物の回収に赴いた日、当時は学生アルバイトとして早朝に新聞配達をしていた彼と遭遇し、この辺じゃ見かけない顔だとかどこの学校に通ってるのだとか初対面にもかかわらず質問攻めしてくるような社交的な人間には理解し得ない悩みだろう。


「でも、なーんかもったいないよなぁ」


 数年越しに蘇った喧然たる記憶につい、口を(つぐ)んで彼の襟元あたりに瞳を据えていたシオンは、少しばかり鼻先を持ち上げた。仰向いた先、髪色と同じ色彩の双眸と視線が絡む。


「だって、その苦痛だって一緒にいるうちに薄まってくかもしんないじゃん? そりゃ初めは気まずいかもしんないけどさ、その理由だけで断るのはなんか、可哀想だろ」


 せっかくお前を頼りにしてくれてんだし、と言い添えた声色はどこか、気分が乗らないから学校を休みたいと駄々を捏ねるきょうだいを諭すような響きを含んでいた。

 シオンが意図的に本心を隠したせいで、(はな)から論点がずれているのはさておき。正論を突きつけられたシオンは反駁もできず、さらに唇を固く引き結ぶ。


 そんなこと、俺だってわかってる。


 結局のところ、どんな理由を並べたところでただの言い逃れにすぎないのだ。自分の眼前に立ち塞がるであろう不都合や障害に背を向けるための、警戒という名目の逃避でしかない。

 内心を見透かされた、わけではないのだろう。曖昧に(ぼか)した話の内容から推察したということでもないはず。それでも、的確にシオンの口を(つぐ)ませるような言葉を選び抜いて、照れも迷いもなく突きつけてくる。彼のそういう一面が前々から、少し苦手だ。


 まばたきひとつぶんの間を置いてから口を開こうとした、その寸前に。ウルリヒが突如、重大ななにかを思い出したように声を上げた。何事かと問うよりも早く彼は制帽を(かぶ)り直し、ドアに預けていた背を浮かせる。


「いっけね、そろそろ次行かねぇと! じゃあなシオン! 今度(メシ)でも食いに行こうぜ!」


 慌ただしく(きびす)を返して駆け出した彼は、停車していたバイクに(また)がるとすぐさまエンジンを()かして走り去っていった。

 まるで吹き荒れた(はる)疾風(はやて)が地面に敷き広がった花殻を巻き上げるような忙々(せわぜわ)しさに、玄関先にひとり残されたシオンは呆然と立ち尽くす。


「結局なんだったんだ、あいつは……」


 溜め息の代わりに落とした独り言に相槌を打つように、風でロープが揺れたらしい呼び鐘がからん、と鳴った。



   ❅



 荷物を受け取ったことをアンネに知らせようとリビングに向かったシオンは、眼前に広がった光景に危うく三段に重ねた荷箱を落としそうになった。 


「あぁ、おはようシオン。相変わらずきみは朝が早いねぇ」


 庭側に面するリビングの窓辺は陽当たりがよく、特に早朝から正午にかけての時間帯にはレースカーテンを透かして射し込む陽光が程よく体温を上昇させて心地がいい。

 そこに揃え置かれた丸型天板のカフェテーブルと二対の椅子、そのひとつに腰かけるヘルマンが欠伸(あくび)混じりに言う。

 荷箱が視界のほとんどを遮っているせいで彼の顔半分しか見えなかったけれど、口調と寝癖がついたままの頭髪から起床直後なのだろうと察する。


 いや、そんなことはどうでもいい。


「なんで今日も早起きしてるんだよ」

「ひどいなぁ。いくら僕でも、一年に数回くらいは早起きする日だってあるさ」

「そんな貴重な日が二日連続で続いてたまるか。しかもあんたら、昨晩映画観て夜更かししてただろ」

「あぁ、あれかい。開始から三〇分も経たないうちにマリーが寝ちゃったから、結局最後まで観ていないんだ。きみも観るかい?」

「観ない」


 ばっさりと切り捨て、限られた可動域で首を巡らせて荷箱が置けそうな場所を探す。

 カフェテーブルにはヘルマンの飲みさしのカップがある。四人掛けのダイニングテーブルにはおそらく、これからアンネが作る朝食が並べられるだろうから避けるべきだ。床はあまり清潔とは言えないし、ならば残るはどこかの椅子か。


 そこで、はたと気づく。この時間なら朝支度をしているはずのアンネの姿が見当たらない。リビング奥のキッチンに気配はなく、玄関からここまでの道中で遭遇することもなかった。

 再び顔を左に向け直し、ヘルマンに彼女の所在を尋ねようとするよりも一拍早く、今しがたシオンが行儀悪くも足で閉めたばかりの廊下に繋がるドアが開かれた。


「——わっ、」


 待ち()びていた()の人は、けれどシオンの記憶に染みついたそれよりもいとけなさの残る高い声色で喫驚した。さしものシオンも、想像の斜め上をいく反応に瞬息ばかり硬直する。

 体勢の関係で流眄(ながしめ)で窺った後方の、あと半歩前に踏み出せば衝突する距離に見慣れない琥珀色(アンバー)旋毛(つむじ)が見えた。


「あら、シオンさま? そんなところでどうされました?」


 遅れて廊下から投げかけられた声の主こそ正真正銘、アンネだ。彼女の藍玉(アクアマリン)を思わせる双眸がシオンから積み重なった荷箱に移り、またシオンへと戻る。


「申しわけありません、お客さまにお荷物を受け取らせてしまうなんて……」

「いや、いいですよこれくらい。どこに置けばいいですか?」

「ではそちらの棚の上に、お願いいたします」


 白魚の指が示した先、シオンの膝ほどの高さの戸棚の上にそっと荷物を下ろす。全て旦那さま宛のお届け物なのでご自分でお持ちくださいね、とアンネがどこか叱責するような口振りで言ったのが背中越しに聞こえた。また趣味だなんだと理由をつけて無駄遣いをしたのだろうか、この男は。


「よし。これでマリーもシオンも準備ができたね」

「……準備?」


 身支度のことだろうか。素性を知らぬ少女が同居している気まずさもあり、依頼の件に返答したらすぐに屋敷を()つつもりでいたから、外出できる恰好にはなっているけれど。あるいは、リビングに全員が揃ったことをそう言い表しているのか。


 怪訝に眉をひそめて振り返れば、窓辺で優雅にモーニングティーを嗜んでいたはずのヘルマンが少女の隣に並び立っていた。白のブラウスにオリーブグリーンのジャンパースカートを纏った少女が、胸の前で両手を握り締めておろりと見上げる。

 次の時、朗らかに告げられた彼のひと言にシオンは、そして少女さえも目を瞠った。


「それじゃあシオン。マリーをよろしくね」


 は?


 急な展開に理解が追いつかず、けれど訊き返そうとした言葉は喉奥でつかえて出てこなかった。開いた唇がはくりと宙空を()む。

 葵色(モーブ)と金茶の二色の視線を受けて、彼は自分の発言が非難の目を惹いた理由が理解できていない子供のようにことんと首を傾げた。


「あれ、違う? てっきりきみは、そう返事をくれるものかと思っていたんだけれど」

「……そう、ってなんだよ」

「依頼を受けるよって」


 即座に噛みつかなかったシオンの反応を、彼は肯定と受け取ったようだった。笑みを深め、マリーの頭を撫でる。


 押し黙ったのは、返答を言い当てられたからだ。そう返答すると見破られていたからだ。

 他人の意見で簡単に決断を()じ曲げるような人間だと自分で認めるのは癪だけれど、ウルリヒに絆されたのは嘘ではない。どれだけ内容が胡散臭くとも、依頼は依頼。願われたならば、望まれたならば、手を差し伸べるのがシオンの仕事だ。

 凪いだ水面(みなも)に雨滴が降り落ちるように、ヘルマンの声が沈黙に波紋を広げる。


「マリーはかつてのきみと同じで、あまりこの国のことを知らないんだ。だから、きみがこれまでの旅で見てきた美しい世界の姿を、この子にも教えてあげてくれないかな」


 開け放たれていた窓から吹き込んだ春風がシオンの前髪を攫い、双眸に紫黒の(すだれ)をかける。

 彩度の落ちた視界の中心、血の繋がらない少女を慈しむその表情が、古い記憶の(ページ)に記されている姿と重なった。


 幾年(いくとせ)経てど朽ちも欠けもしない、手のひらに収まるほど小さな写真立てのなかで(はな)()む我が子の頬を撫でる、あの横顔に。


「大丈夫。きみ達はきっと、いい友人になれるよ」


 言い添えられた言葉の真意は、されどシオンには知り得ない。

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