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3-4

「さすがに驚いたわ。外に出て戻ってきたら、家の前にあなた達がいるんだもの」


 ことり、とローテーブルに並んだソーサーの上に、順にカップが乗せられていく。おもてなしもできず申しわけないのだけれど、と謝罪とともに運ばれてきたそれの中身は淡い琥珀色で満たされていた。湯気と(くゆ)る香りからしてハーブティーだろうか。


「あんたこそ、こんな雨のなか外に出てなにをしてたんだ?」

「大したことはしてないわ。雨が強くなりそうだったから、あの子達の様子を見ておこうと思って」

「あの子達ってのは……」


 テーブルを挟んだ対面の椅子に腰を下ろし、衣服の(しわ)を伸ばしていたミオは、あぁとひとつまばたいた。


「曖昧な言いかたをしてしまってごめんなさい。でも、そちらの子はともかく、あなたはすでに気づいているのではなくて?」


 それはどこか、試すような口調だった。


 シオンの脳内で開かれた記憶の(ページ)は、昨日の帰路での出来事だ。

 人里離れた森の奥にひそりと佇む民家の、そのさらに奥まった道を進んだ先に広がる色彩とりどりの花畑。復興学会(ゲルトネライ)の本拠地が置かれている北区(ノルト)に次いで胎芽(シュプロース)の普及が進んでいる東区(オスト)の随所にも引けを取らないほど鮮やかな春の錦。


「……あそこで咲いている胎芽(シュプロース)は、あんたとどういう関係だったんだ?」


 胎芽(シュプロース)という単語に反応して、隣に座るマリーが肩を跳ねさせたのが視界の端に映った。


 ミオの天色(あまいろ)の双眸が伏せられた睫毛の影に暗む。つと伸ばされた細い指先がカップの取っ手に絡んで持ち上げられ、水面に息を吹きかける。(ふち)に寄せられた唇が水蒸気で薄らと濡れ、ひと口飲み下して、ふうと短く息をついた。陶器が触れ合う甲高い音を微かに立てて、ソーサーにカップが収まる。

 無意識に目で追ってしまった一連の動作の末に、ようやっと彼女は口を開いた。


「私のことを話す前に、先にあなた達のことを訊かせてちょうだい。——あなた達は、どうやってこの場所を知ったの?」


 訝しむというよりは、純粋な疑問のようだ。真直ぐに見据えてくる瞳に苛烈な光は宿っていない。


「ある者から南部(ルーイヒ)の地図を受け取った。桃色の髪に、黄色の目をした女子供だ。あとは黒縁の眼鏡をかけて……そういえば、今のあんたと同じ髪型をしていたな」

「……年齢は、そちらの子と同じくらい?」

「あぁ、そうだ。その子供に、この家の場所に印がつけられた地図を渡された」


 言いつつポケットに手を差し込み、(くだん)の地図を取り出した。されど、道中で雨に(さら)されたせいで(しわ)くちゃによれており、慎重に広げてみれば(にじ)んでぼやけた洋墨(インク)と、少女が書き記した赤色の丸がかろうじて見てとれた。

 メリア、とミオが呟く。聞き覚えのない名だ。


「この地図は私があげたものの一部ね。まさかこれをあげたせいで、あの子がここを出て行ってしまった、なんて。今となっては、もうずいぶんと昔のことのようだわ。……あの子とは、どこで?」

西部(シュトゥ)のヴィッセント図書館で、こいつが逢ったそうだ。地図を渡されたのはその帰り道だな」

「そう。あの子は元気そうだった?」


 シオンは瞬息、唇を噤んだ。

 初対面の時——シオンの場合は唐突に路地に連れ込まれたマリーを追った際だけれど、あの時は特段異変を感じなかった。けれど、そのあとは。

 復興学会(ゲルトネライ)に捕獲されて温室(トライプハウス)に輸送されてからの彼女を、シオン達は知り得ない。迷いなく首を縦に触れる状態でないことだけは確実だ。


 どう答えるべきだろうか、と思考するさなか、ミオが淡く笑声を転がした。


「実は私、あの子にここを出ていくと明かされた時、すごく反対したの。それまで暮らしていたお屋敷を出てここに住み始めるまで他の街には行ったことがなかったし、そもそもの()()がもう残されていなかったから」

「時間……」

「寿命、ってことか」

「ええ、そう。……あの子ならきっと、綺麗な夢百合草(アルストロメリア)を咲かせるのでしょうね」


 ふと、ミオが顔を右に向けた。その視線の先を辿ると、整理箪笥(チェスト)の上にぽつりとひとつだけ置かれた写真立てがあった。

 表面が室内灯に反射しているせいで細かい部分までは見えないけれど、おそらく集合写真だ。現代では珍しい単彩画(モノクロ)で、写真撮影に明るい者がいなかったのか、写真立てを地面に見立てると被写体が斜めに立つ恰好になっている。

 それでも、大勢が身を寄せ合って笑顔を咲かせている姿は幸福に満ちている。


「カルナにコルザ、ソニーにロウカ、ベル、リリ、双子のラーレとラタ、メリア、そして私。この一〇人で北部(ヤルトア)のお屋敷から脱走して、ここまで逃げてきた。ずいぶんと前にリリが亡くなって、とうとう私ひとりになってしまったとずっと思っていたけれど……そっか。メリアはまだ、生きてくれていたのね」

「そんな大人数で、よく脱走に成功したな」

「ふふ、本当にね。私達は運が良かったの。ご主人さまのお屋敷はとても大きくて立派な造りなのに、警備システムがまるで杜撰だったんだもの」

「それを笑い話にしているあんたが恐ろしいよ」

「笑い話になってしまうのもしかたがないわ。だって、もうすぐ五年が経つのよ」


 ミオがゆっくりと睫毛を絡める。まるで、今は遠き思い出を眼裏(まなうら)(えが)き出すように。


「先ほどの質問にお答えしましょう。ご存知のとおり、私達は胎芽(シュプロース)。生まれも本名も、ご主人さまに買い上げられるまでの人生もなにひとつ知らず、血の繋がりすらもない、ちっぽけな種の集まり。——それでも私達は、確かに家族だった」


 吹きつける風雨がかたかたと窓を揺らす。今しがたまで鳴りをひそめていた左胸の疼痛が、これより語られる一字一句を聞き洩らすなとばかりに鈍く閃いた。




「最後のひとりになった私は、みんなと同じ場所で死ぬ(咲く)ために、ここで暮らしているの」



   ❅



 生家のある北部ヤルトアは住宅密集地であるがゆえに、近隣に同年代の子供を持つ家庭が居を構える確率は限りなく低い。だからこそ、隣家に住む子が同い歳だったのは奇跡的と呼べるのかもしれない。

 両親の話によれば、生後間もない頃から互いの家に一家総出でお邪魔していたそうだから、幼い頃は彼を血の繋がったきょうだいだと本気で思い込んでいたのも無理はないと思う。


 ディック・リーツマン。平凡な見目(みめ)で温厚な性格の、どこにでもいる普通の子供で、異性の幼馴染みというごくありきたりな初恋の相手だった。


 西部(シュトゥ)に数ある初等学校のなかで、なぜか私達は同じ学校に通うことになった。仲のいい親達の思惑を疑う知能など当時は持ち合わせていなかったから、ふたりで手を取り合って喜んでいたけれど。

 でも、今にして思えば、やっぱり両親がそう計らっていたのでしょう。だって、普通の子供とは違う私が、彼と同じ学校に通えるはずがなかったのだから。


 生まれながらに、私は持病を患っていた。戦後急速な発展を遂げてきた現代医学でも完治に至れない先天性心疾患で、入退院と通院を繰り返すような日々を強いられていた。幼稚園すら(ろく)に通えず、卒園証書は東部(プフリヒト)の狭い病室でベッドに寝たまま受け取ったほど。

 だから、嬉しかった。私が通うのは特別支援学級だとしても、彼と同じ学校に通えるという事実だけで、定期的な通院や検査を乗り越えてやろうと自分を奮い立たせられるくらいに。


 本来は制服を着用するよう校則で定められていたけれど、特別支援学級のほうは免除されていて、病院暮らしが大半だった私は私服を揃える代わりに母のお下がりを着ていた。今は廃校になってしまった初等学校の制服のようで、廊下ですれちがう通常学級の女の子が可愛いと褒めてくれるのが少しくすぐったかった。


 正直なところ、学校生活は楽しいことばかりじゃなかった。当然だけれど。

 意地悪な女の子に文房具や靴を隠されたり、悪戯(いたずら)好きの男の子に蚯蚓(ミミズ)飛蝗(バッタ)を鞄のなかに入れられることはしょっちゅうあった。所持品を(どぶ)に捨てられて、虫の死骸を詰め込まれるよりはまだいいほう。


 子供は時に、大人より遥かに残酷だ。自らのの尺度で測った『普通』の範囲の外にあるものは、善悪の判断をする間もなく悪だと決めつけて排除しようとするのだから。


 私は陰湿な嫌がらせを受けていることを、両親にも、もちろん彼にも一度も打ち明けなかった。両親が学校側に提訴したとしても、彼が級友らをきつく叱りつけてもどうせ収束はしないと、幼いながらに擦れた思考をしていた。


 なにもしなくていいと諦念を(いだ)く私を、それでも彼は必死に守り続けてくれた。()くしものを一緒に探してくれて、虫を鷲掴んで忍び寄る悪童達を追い返してくれて、時にはお菓子をいっぱいに詰め込んだ(かご)を携えた彼は遊びに連れ出してくれた。


 そんな正義感が強い彼の、太陽を浴びるとひときわ眩しく光る強い瞳が好きだった。

 屈して涙を流すわけでもない私を慰めてくれる、優しさの(とも)った温かい声が好きだった。

 せめてものお礼にと編み上げた花冠(はなかんむり)を頭頂に乗せてあげた時の、はにかむように眉尻を垂れ下げるあの笑いかたが好きだった。

 『普通』になれない自分のそばにいてくれる彼が、好きだった。


 いじめに心を苛まれることはもちろんあったけれど、彼がいてくれたから膝を折らずにいられた。彼が自分を支えてくれるかぎり、病魔に蝕まれた自分の人生に立ち向かっていけると心底から思っていた。


 けれど人生は、自分の好きなものだけを詰め込んだ箱庭ではない。幸福があれば不幸があって、希望があれば絶望がある。

 出逢いがあれば、別れがある。

 そんな当然の摂理から、幼い私は必死に目を背け続けていた。



 ただひたすら、幸せの甘さだけに、溺れていたかったから。

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