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2-3

 結果的に露店街を訪れたのはメルヴァンの勧めに従ったからというかたちになってはいるけれど、シオンには個人的に来訪するための理由があった。

 食品を扱う屋台の群を抜け、東へと道なりに進む。()(みせ)が途絶えると、次いで見えてきたのは古物市だ。


「ああシオン! ちょうどいいところに来てくれた! ちょっと手を貸してくれないか?」


 北東部(ヴェズ)東部(プフリヒト)との境となる区役所の影が遠方(おちかた)に薄らと見え始めた頃。突として投げかけられた声に目を向けると、地面に広げたビニールシートの中心に胡座(あぐら)をかいて座り、こちらに手を振る恰幅のいい男性がいた。


「そこに品物が入っている箱があるんだが、適当に見繕ってここに並べてくれないか?」

「……あんた、俺を小間使いかなにかと勘違いしてないか?」

「いやいやまさか! 頼れるみんなの何でも屋さ! 仕事は的確で迅速、なによりこちらが望んだ以上の働きを見せてくれる優秀な仕事人じゃないか!」

「そうやって(おだ)てれば助けてもらえると思ってんなら大間違いだぞ」

「ありゃあ、バレちまったか」


 微塵も繕うことなく呵々(かか)と笑う男性を見下ろして、シオンは再びに嘆息した。仕事柄、気軽に声をかけてくれるのはありがたいが、だからといって無償の雑用を進んで請け負うほどの献身は持ち合わせていない。


「というか、あんたが自分で取りに行けばいいだろ。客の相手をしているわけでもなし、わざわざ俺に頼む理由があるように見えないけどな」

「そう頭の堅いことを言ってくれるなよ。ほら、僕の周囲を見れば動けない理由がわかるだろう?」

「いいや、さっぱり」

「相変わらず可愛げがないなぁ」


 やれやれと肩を(すく)めてみせる男性を見返して、シオンは鼻頭に(しわ)を刻む。


 陽に焼けて色が()せた正方形のシートに、所狭しと陳列された品々。すでに購入された品物があったのだろう位置には空白が生まれていて、それを差し引けば足の踏み場はほぼない。おそらくはシートの外側から中心に向かって並べていったのだろう。

 とはいえ、慎重に足を置いていけば脱出できないほどではない。単に移動が億劫なだけだろう。


 このまま無視して先を急ごうかと目を逸らした先にいたマリーがちょうどこちらを見上げていて、曇りのない金茶の双眸がじっと見つめてくる。助けてあげなくていいの? と、言葉こそなくとも雄弁に語る眼差し。


「……箱は持ってきてやるから、並べるのはあんたがやってくれ。物の良し悪しなんて、俺にはわからないから」

「さすが、街のみんなの救世主だ! きみは本当に心優しい青年だよ、シオン」


 世辞はいい、と羽虫を()けるように手を振って、シオンは箱を持ち上げた。木箱は蓋が閉められていて中身は知れないけれど、抱えた重量と重さの分散具合で相当な数がしまわれているのだろうと推察する。


 箱を受け取った男性がこれがいいか、いやでもこっちもいいなと小声で独り()ちながら陳列を始めた姿を横目に、シオンとマリーは古物市をあとにした。




「シオンって、人気者なんですね……」


 依頼とも呼べないような雑用に呼び止められながら、ふたりは露店街をひた歩く。


 ウルリヒから受け取った依頼書のなかには、この露店街に店を構える住民からの助けの声もいくつか含まれていた。あそこの生鮮市場でなければ買えない食材の代理調達であったり、それこそ先ほどの男性のような小間使いじみたものばかりで、内容の難易度は総じて高くはなかった。


 しかし、声をかけられるたびに前後左右へと縦横無尽に歩き回っていたせいか、ホテルを出立して一時間程度しか経過していないにもかかわらず、隣を歩くマリーはすでにぐったりと疲弊しきった様子だ。


「まさか、こんなに、たくさん歩くなんて……」


 長距離走を終えたあとのような呼吸の合間で彼女は呻く。

 もともと低い背を疲労に丸め、普段よりもさらに下にある琥珀色(アンバー)の頭頂を一瞥して、シオンは再び前に向き直る。


「人気者ってのは語弊があると思うがな。雑用を押しつけるのにちょうどいいから、いいように使ってるだけだろ」

「でも、みんなシオンのおかげで助かってるって言ってましたよ。……そういえば、さっきの女の子が『ヒーローのお兄ちゃん』って言ってましたけど」

「知らん。どうせ勝手に言ってるだけだ」


 雑用係だろうがヒーローだろうが、依頼内容に見合った報酬が手に入れば呼称はどうだっていい。


 初めこそ混雑に苦戦していた彼女も、人波の合間を縫って歩く(すべ)を身につけてからはスムーズに歩けるようになっていた。周囲の屋台や展示品に視線を投げながらでも難なく進めるほどだ。

 あとは、目移りしすぎて次第に横に逸れていってしまうところだけを直してくれたなら、多少は警戒をゆるめられるのだけれど。


 再びに流眄(ながしめ)で彼女を窺い見る。一拍置いて脳裏に蘇った、数十分前の光景。

 まるでシオンではない、別の誰かを(おそ)れているような。


 砂埃で薄汚れた衣服と、薄茶色の塊で両手を汚していた姿から転倒したのだろうと予想がつくほど、遠目からでも酷い有様をしていた。彼女の前を()き過ぎる通行人がこぞって、一瞥ののちに眉根をひそめるくらいには。

 涙で潤んだ瞳を彷徨(うろつ)かせて惑う彼女に近づいて、真正面から声をかけた。手を伸ばせば触れられる距離まで接近しているにもかかわらずシオンに気がつかなかったあたり、相当に動揺していたのだろうということは想像に容易(たやす)い。


 今にして思えば、それが失敗だったのかもしれない。

 とはいえ、なにが誤っていたのかはシオンには知り得ない。語尾を攫って(まく)し立てる姿はたどたどしい普段の語り口とはかけ離れ、それだけに異常が際立っていた。

 それと。


「……いい子、か」


 夕映えの射す客室で聞いた言葉。(しつけ)にしてはあまりに抽象的で、子供を従わせる呪詛にしては使い古されている。それが下された命令であれ、自己にかけた暗示であれ、彼女を縛りつける鎖であることに変わりはない。


「シオン? 今なにか、言いましたか?」


 視界の端で、波打つ薄茶の髪が軽やかに揺れる。

 いまだあどけない少女の(かんばせ)に浮かべられた、薄ら寒さすら感じさせるほどの微笑を思い出して、シオンは目を(すが)めた。


「……いや、なにも」



   ❅



 グレーを基調とした戸建て住宅が、青やかな芝生に囲われた遊歩道の両側に整然と立ち並ぶ住宅街。紅灰(ローズアッシュ)と白磁色の煉瓦(レンガ)が交互に敷き詰められた歩道は東区(オスト)のどの地域でも変わらない。


 東区(オスト)在住者の大半は住宅密集地たる北部ヤルトアに居を構え、だから他の地域に宿泊施設以外の居住用建築は滅多にない。建てられているとしても二階建ての集合住宅地か、今シオン達が戸建て住宅のみに限られる。


 今しがた招き入れられたばかりのこの住宅もそのひとつである。一人で暮らすには充分な広さの、モノトーンで統一された家具の少ないリビング。室内に唯一の色彩を添える一輪挿しに活けられた花浜匙(スターチス)が、(ひだ)のような天色(あまいろ)(がく)から小さな白い花を綻ばせている。


「あんたの話はいろいろ聞いてるよ。大抵の依頼はなんでも引き受けるし、東区(オスト)だけに(とど)まらず西区(ヴェスト)南区(ズュート)にも足を運んで人々を助ける凄腕だって」

「これまたずいぶんな過大評価だな」


 ソファーに座るシオンは、顔だけを家主がいるキッチンに向けて応じる。あらかじめ目を通していた依頼書から、彼は西部(シュトゥ)の大学に通う学生だそうだ。

 意図的な虚飾すら感じさせる言い種に肩を竦めて、それからはたと気づく。


「話を聞いている、というのは?」

「あぁ、大学の同級生だよ。ザグって奴なんだけど、あんたも知ってるだろ?」

「あいつか……」

「オレが誰でもいいから助けてくんないかなってぼやいてたら、あいつからあんたの話を聞かされたんだ。押しが強すぎて変なセールスに引っかかっちまったのかってうんざりしてたんだけど、あれってあんたの根回しだったりする?」

「断じて無関係だ」


 苛立ちに負けて、つい吐き捨てるような語調になった。


 本人の許可も得ないで、なにを勝手に売名してくれてんだあいつは。


 頼んだ覚えもなければ、依頼が少ないと嘆いたこともない。幸いにも多少話を盛っている程度のようだから単なる親切心ならば咎める気は起きないけれど、もし面白半分で言い広めていたら一発引っ(ぱた)いてやろう、とシオンは心に誓う。


「それで、まんまとあいつの宣伝に乗せられたあんたの依頼の詳細を聞かせてほしいんだが」

「あ、ああ。それは、えーっと……いざ話せって言われるとなんか緊張するな……」


 トレーはないのか、右手に二つと左手に一つ指を通して器用にカップを運んできた青年がローテーブルにそっと下ろす。木製の天板にカップの足が触れた振動で細波(さざなみ)立つ、湯気の(くゆ)る暗褐色の水面(みなも)

 会話の切り出しを吟味しているような、しばしの静寂が訪れる。


「そうだ、まず名乗んないと。すっかり忘れてた。オレはディック・リーツマン、ザグと同じ大学の四年で専攻も同じ建築学部で……あ、あと生まれも育ちも東区(オスト)北東部(ヴェズ)で、あとは、えーっと……」

「いい、もう充分だ。というか、依頼内容を話すうえで個人情報の開示が必須になるのは確かでも、求められてもいないのにそう易々と明かそうとしないほうがいいと思うが」

「あっ……そ、そうか、そうだな……あーもう、なにやってんだオレは……」


 呻きながら(うな)()れた頭を掻きむしる姿に、隣に座るマリーがおろりと身を乗り出したのが視界の端に見えた。彼女なりに気を(つか)おうとしているのだろうか。

 しかし、それも男性——ディックが顔を持ち上げたと同時に(さっ)と引っ込んだ。素知らぬふうを装って真直ぐに背筋を伸ばす姿に、思わずこぼれそうになった失笑を喉奥に押し(とど)める。


 取り繕うような咳払いをひとつ。ややして真直ぐに顔を向け直した彼の瞳に、決意の光がまたたいた。


「子供の頃に疎遠になった幼馴染みを探してほしいんだ」


 言ってから、すぐさま眉尻を下げて苦く笑う。


「いや、オレも正直、それくらい自分でやれよって思うんだけどさ……でも、どんだけ探してもあいつの居場所が掴めないんだよ」

「……なるほど。そもそもその幼馴染みが、すでに東区(オスト)にいないという可能性は?」

「いやそれは……ああでも、あり得なくはないかも。もともと親の仕事に都合でガキの頃は引っ越してったんだし、また同じ理由で西区(ヴェスト)とかに出てってもおかしくない」

「まだ請け負うと決めたわけじゃないが。もし区外にいることが判明した場合、依頼の継続についてはあんたの意思に委ねることになる。東区(オスト)の外まで探しに行けと言われたら俺は従うが、そのぶんそれなりの対価を——」

「報酬ならいくらでも払う! 何万でも何十万でも、それであいつとまた逢えるなら、オレは——……!」


 ばん! と突として机上に振り下ろされた手のひらがけたたましい音を立てた。砥がれた(まなじり)は鋭く、先ほどまでの小心の面影は今やどこにもない。

 まるでなにかに急き立てられているかのような、焦燥と希求。


 しんと降り落ちた沈黙のなか、シオンは沈思に瞼を伏せる。

 遠ざけられた相手との再会を(こいねが)う感情は、シオンの心の(うち)にも芽吹いて久しい。もう二度と逢えないかもしれないからこそ切望し、探し続けることそのものが生きる糧にもなり得る。

 シオンこそが、まさにそうであるように。


 絡めた睫毛をゆっくりとほどいて、ディックを見返す。夜空を駆ける流星に縋りつくような、悲願に揺れる双眸を。


「承知した」


 え、と吐息だけの喫驚が彼の唇から洩れた。シオンは言い連ねる。


「依頼は請け負おう。ただ、現状ではその幼馴染みに関する情報が少なすぎる。まずは情報収集が先だ」


 次いでシオンは、収集はこちらでも行うがディック自身でも心当たりを虱潰(しらみつぶ)しに探してほしい旨を伝えた。行方(ゆくえ)不明だとはいえ、国を跨いでさえいなければ再会の望みはある。推測でも構わないから行動範囲を(せば)めたい、というのがシオンの希望だ。


「情報の共有は逐一行うこと。詳細はこちらで定め次第追って伝えることになるだろうが、できればあまり時間をかけずに進めていきたいと思っている」

「……ほ、本当に引き受けてくれるのか?」

「ああ。……だが、初めに断っておく。当然最善は尽くすが、それでも見つからない時は——」

「どんだけ頑張っても無理だったら、おとなしく諦めろってことだろ? ……わかってるよ、そんなことは」


 果たして彼は遠く、窓の向こうに鼻先を向けた。

 吹き抜けた春風がセピアの髪を攫って横顔を覆い隠す。その声色に、表情に、仕草の端々に(にじ)み出る本心を見せまいとするように。


「何年も何年も、ずっと諦めようとして諦めきれなくて、ようやく前に進んだんだ。これでなんの結果も得られなかったら、……それはもう、あいつのことは忘れろってことだろ」

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