第9話 攻撃力全振り少年にバイトをさせる
「おれが地上でバイト? 仕事ならダンジョンに行けばいいはずだろう?」
さも当然のように言い切った冬馬衛の表情に、俺は自分の危機感が正しかったことを確信した。
伯母という羽生道雪の娘――天華だったか、彼女は冬馬兄妹を持て余していたか、あるいは誰か人を雇って世話させていたか。衛の発想の異常性を知らないのではないだろうか。
おそらく、今ここに伯母が現れて家族の情や常識的な人情を説いても、甥は耳を貸さず、本心では彼女を家族とすら見なすまい。
ミカコはそこまで計算して冬馬兄妹に恩を着せて引き取ったのだ。
推しの英雄の子をネグレクトした女は万死に値する、か。恐ろしい洞察力と陰謀力である。
「衛、企業専属のプロ潜穽者チームになれるのは、ごく一握りだ。プロになっても三六五日、仕事があるわけじゃねえ。だから地上で働く経験も積んでおくことは大切だ」
「そう、なのか。わかった」
まるでロボットだな。
知らないことは多いが、素直だし、学習能力も高い。
ただ基準が金、とりわけダンジョンで大暴れすれば金が入ることに固執しすぎているのが玉に瑕か。
これは案外、バカな父親や不器用な伯母のせいばかりとも言い切れなくなってきた。
「今さらだが、剣術はどこで習った」
「ビデオで。母さんが父の練習風景を撮影していた記録から見様見真似で。あとは父の師匠だった祖父が三ヶ月ほど面倒を見てくれた。それだけ」
「撮影は……雪華か?」
「ベットラーは、母さんを知っているのか」
「まあ、な。羽生道雪どのにも面識はある」
「祖父まで知ってたのかっ」
俺を見る衛の目が変わった。彼の中でようやく俺は遠き他人から近き他人になったらしい。
「別に一手ご教授願ったわけでもねえよ。東京にいる間だけ酒を酌み交わした程度の、友達だ」
「そっか。もしかすると祖父がベットラーのところに導いてくれたのかも知れない」
「ふんっ、そんな殊勝な言葉が出るなら、金にがっつくのはやめな」
「人の縁と金は、別だ。金は夢を語るより雄弁だ」
妙な割り切り方をするから、こちらも調子が狂う。
「とにかく、お前は俺の店でバイトとして雇うことに決めたから、しっかりやんな」
「わかった、ありがとう」
「こんちわ~い。オーナーいるぅ?」
中性的な声が下からして、俺は玄関にでた。
下から上がってきたのはくりくりとした目と茶トラ髪の小柄な青年だ。
五月で十九歳になるんだったか。見た目だけは衛よりも幼く見える。
「ヒスイ。今日はすまねえな」
「いいよいいよ。学生身分で生の髪を切らせてもらえるなんて、なかなかないから嬉しいよぉ」
ニコニコと朗らかな青年を招き入れて、俺は衛を紹介する。
「衛、彼は松風翡翠だ。ヘアメイクを目指して専門学校に通いながら、うちの店で給仕のバイトをしている。お前の先輩になる」
持参したバッグを床に降ろして、ほかほかした笑顔で二本指の敬礼をしてみせる。
「ヒスイだよぉ。漢字じゃ書きにくいから、カタカナでいいよぉ。よろしくねぇ」
「冬馬衛です。四月から段手町高専に通います。よろしくお願いします」
「お、れいぎ正し~、ぼくもようやく先輩かあ。ダンテはクセ強の人集まるよねえ」
「翡翠。コイツの髪、タクロウみたいにしてやってくれ」
「オーナー、あれは三十代向けのパーマ。十代であれはホストでもイキりすぎなんだからぁ」
翡翠は笑いながら衛を椅子に座らせ、持参したバッグから刈布をかける。髪に霧吹きで水をかけて櫛梳かしていく。
「きみ、きれいな黒の直毛だねえ。ブローかけるよりこの髪質を活かそうか、お店にも出るんだから清潔感のある短めのほうがいいよねえ」
「ああ。なんなら、丸坊主――」
途中まで言った衛の眉間に、ハサミの切っ先を突きつけられた。
「ヘアメイクに丸坊主は禁句。いいね?」
「あ、はい」
「じゃあさ、ぼくに任せてくれるぅ?」
「お任せし、ます」
「りょーかぁい。お客さんの同意がないと、傷害罪になっちゃうからねえ」
「そう、なのですか?」
「そうなのですよぉ。あとぼくもまだ免許が獲れてないから実質無料ね」
「免許がないと、無料。タダ働きなんですかっ!?」
衛は本当に金が絡む時だけ、食いつきがいい。
「そだよ~。地上でのお仕事は色々守らないといけない法律があるのですぅ」
楽しそうに言いながら櫛とハサミで、髪を刈り取っていく。
「翡翠。なんかその髪型、辰巳と同じ感じだな」
「まあね。リバースショートはシンプルで清潔感あるし、安定した流行りだから」
「その髪型、女にモテるのか?」
「んー、それなりじゃない? オーナーは顔の骨格が広いからツーブロックがそのまま似合ってると思うけどなあ」
結局、男は顔か。内心腐っていると、スマホが鳴った。俺のじゃない。
曲名はモーツアルトの交響曲『鎮魂曲第一曲〝永遠の安息を〟』。
翡翠は虚無の表情でダイナミックな悲愴メロディを消し、バッグにほうり込んだ。
「ごめんね。消し忘れてた」
「出なくてよかったのか?」
俺が訊ねた。着信曲を設定するほどだ。親密な相手のはずだが。
翡翠は昏い目でハサミを操りながら、
「うん。後でかけ直すから、大丈夫大丈夫」
微笑んだ。
「おー、こざっぱりしたな、マモル。決まってんじゃん」
その日の夕方。いねが戻ってきて、衛を見るなり髪を褒めた。
「ベットラーの知り合いに切られた。店でバイトすることになった」
「へえ。お前、地上でも働く気になったんか」
「潜穽者は三六五日、ダンジョンには潜らないって、ベットラーが」
「はっ。そりゃそうだ。けどな兄ちゃんの店も今じゃ、戦場だかんな。あと身だしなみにめちゃ厳しい店だからな」
Tシャツとデニムのホットパンツで来店すりゃあ、女性給仕がいないうちの店は、店員を挑発してると客が思うに決まってる。おまけにオーナーシェフを兄ちゃん呼ばわり。メニュー外の料理を注文する。やりたい放題の義妹に、店内の殺気は俺ですら肝が冷えた。
「まあ、髪はそんなもんだろう。風呂は毎日入れよ。兄ちゃんの店は賄いメシがうまいから期待しといていいぜ」
「そうか」
「なあ、いね」
辰巳が自室からでてきて、冷蔵庫からコーラを出した。
「今日の昼過ぎに、ダンジョン依頼はいった?」
「依頼? いんや、ねえけど。どうかしたのか」
「あ、うーん。ならいいのか。この家周辺の着信傍受に妙な電話番号が引っかかっててさ」
「おい、辰巳。お前、この家周辺でかかってくる電話を盗聴してんのかよっ」
いねが睨みつけた。辰巳は心外そうに顔をしかめた。
「内容まで確認するほど僕も暇じゃないよ。ただ通話傍受を考えての着信履歴だ。ダンジョンでダシ抜かれないための防犯の一環だよ」
「あー。二年前のアレか」
「そういうこと。あれは僕のミスだからさ」
「妙な電話番号って、どこの誰?」
衛が促すと、辰巳はコーラをラッパ飲みして、
「同業者〈ガイアックス〉社長の金森芙由美って人」
衛といねは心当たりがなかったのか、顔を見合わせた。