第70話 第2ダンジョン【忌兵】踏破。そして…
築かれた水上舞台は水面から高さ九〇センチ。一辺五.四メートルほどにもなった。
「祭祀が終了とともに舞台を燃やし、この空洞を閉鎖する」
ベットラーの宣言で場を引き締まった。
「なお、祭祀の立会いは東城一族のみとされているが、社主の意向で俺たち相葉家に立会いを許された。[山鳥毛][日雁青江]は撤収を頼む」
「了解。[山鳥毛]は撤収準備に入る」
「了解、[日雁青江]、撤収準備に入る」
おれは彼らを見送ることなく、脊髄装甲に高圧洗浄を噴きかけられて洗われ、盛り塩で手と足を洗い、浄水で洗い流す作業を続けた。
その間、ミカコは舞台の真ん中に榊を持って佇み、精神統一をしていた。
彼女の正面に、小さな社と供物がならび、さらに長尾家に断ち切られた【忌兵】の脊髄が横たわる。
「マモル。いいか、マモル」
ベットラーに声をかけられ、おれは我に返った。
「あ、なんか緊張してきた」
「俺もこういう畏まったことを真面目にやるはめになるなんて思ってなかったぜ」
「なんで、おれが選ばれたんだろう」
「人手不足だからじゃねえか?」それさっきも聞いた。「俺たちは舞台に上がることは許されてない。つまり舞台の上でお嬢を護る騒動が起きたとしても、こっからは手を出せない」
「おれ、荷物持ちだよ?」
「衛。藍鉄と、お嬢を護ってくれるかい」
おれはフェイスガードの裏で深呼吸した。ため息は師匠の前でつけない。
「ミカコ姉は、おれの金づるだ。絶対、護ってみせる」
「ふっ。お前はブレねぇなあ。だがそれでいい。頼んだぞ」
[ダインスレイヴ]はヘルムを掻いて、三宝に載せられた二振りの小太刀がおれの前に差し出された。
「無銘だが業物だ。手前は左利き用の脇差だ」
「へえ、さすがアーバレスト、用意がいいね」
「さあ、神と踊ってこい、お前らでこのダンジョンに引導を渡せ」
おれは左右に脇差を掴み、腰背のホルスターに交差した。
§
【あずさ弓 手にとり持ちて ちはやふる 神の御前に 今日ぞまつれる】
垂紙が結いつけられた榊の一束を手に、ミカコの〝神降ろし〟が始まった。
舞台の四隅に設置された小型スピーカーから流れてくる伴奏は、音源のよい鼓と笛、そして鈴が奏でられる。
詞は老男の声だ。すべて録音再生だが朗々として威厳がある。
それに合わせて、ミカコは静謐神妙な表情で舞う。
【み剣をのみ いつ尊し 八尾わたる やまたのおろち 切り払うらし】
ややもして、周囲からズシンと圧がかかった。
地下空洞の天井に暗雲がたちこめて、その雲間から節の多い蜘蛛の紫脚が伸びてきた。
狙いはもちろん、ミカコだろう。
「マモル。来たぜ!」童夢が少し震えた声で叫ぶ。
「見えてるよ。あれを、斬ればいいんだよな?」
「ここじゃあ、それ以外、オレたちにやれそうなことはなさそうだっ」
童夢は声を弾ませて、欄干から欄干へ跳んだ。
ミカコの頭上を飛び越えながら斬る。斬ったところから黒煙となって消えた。
【八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を】
「くそが。これ斬ってもきってもキリなくねーか、舞台に降りれないのがつれぇ!」
「そのための脊髄装甲だろう。修行不足なんじゃないか?」
「くっ。ぐぅの音も出ねーよコンチキショウ。いっそ椿原家に養子嘆願、出しとくか!?」
「そうだな。また泣きながら剣を振る日々にもどれ。愉しかったんだろ?」
「うるせーよ。絶滅危惧種、天然記念物!」
舞台に降りられないと言うが、欄干が結界となって蜘蛛の脚も侵入できないようだ。それゆえ執拗に結界を侵そうと剣針のような爪が次々と降ってくる。それらを撃退して祭祀完了の時間を稼ぐのが、おれたち「護衛」の役目のようだ。
相場三兄妹は舞台から離れた水面に佇んで見守っている。
おれ達が何を相手に跳び回っているか見えていないのかもしれない。
【久かたの 雨にあがりし むらくもの 剣はいまも よよにつたえき
しげりける 道くさなぎの剣こそ やまと建なる 神のみ心 】
ミカコは現状が見えていようといまいと関係なく、舞い続ける。
荘厳に、清浄に、そして毅然と誇らしく。
そして舞が続けば続くほど、それを阻もうとする爪の獰猛性があがる。
〈小破。損傷十三% 衛、修行不足か?〉
「否めない! 猛省する!」
どんどん傷の数が増えていく。足の数も蜘蛛から百足になった。相手が何者かであるよりも、ミカコの舞さえ終われば勝ちだと信じて、おれたちは躍った。
【いさぎよく 神をいさめて 菖浦かる 君のめぐみは 民の慶び
いにしへの 神の身と代 あとたれて いまぞ種まく あめのむらわせ 】
〈中破。損傷三四%を突破。試用限界まであと六%。衛、凌げ〉
「うおぉおおおお!」
「だらぁああああ!」
【おろしがみ ここも高天の原なれば 集いたまへや 八百の神々
君が代の 長月こそは嬉しけれ 今日皇神を まつり始めて 】
清澄なる鈴の音が強く、二度三度と響きわたると、一筋の光芒がこの地下空洞に射した。
暗雲を貫き砕いて霧散させ、神の小社に降り注ぐ。
おれと童夢はその眩しさに目がくらみ、同着で水面に落ちた。
§
またいつもの、この流れ、かよ。
意識が戻ったとき、見覚えのある病院だった。
天井に〝You are dead!(お前は死んでいる)〟といねのなぐり書きで張り紙してあった。
「あれ本当なのか。神様って、実在するとか――」
「よう、牛若丸。随分な活躍だったな」
いねが入院着で病室に顔を出した。なんかホッとする。
「藍鐵の損傷は?」
「三六%の中破。テディがほくほく顔で見舞いに来て報告してったぞ。お前があと四パー食らってたら全機能強制終了してたってな」
「試運転保護シーケンスがかかってるなんて忘れてたよ」
「何言ってんだ。そのせいでイモ引いてたら、お前も童夢もやられてたぞ」
「それは、そうかも……童夢は?」
「筋肉痛でベッドから動けない以外は、ピンピンしてたぜ。お前と同じで丸二日の昏睡、さっき目を覚ました。二人揃って過労だとよ」
「そっか」
「そんなことより、だ。[山鳥毛]の若旦那(長尾輝彦)が見舞いでメロンゼリーを持ってきたんだが、食うか?」
「食べる。現物じゃなくゼリーってのが洒落てるね」
「だろ? しかも〈千疋屋〉のとびきりのやつだ」
そう言いつつ、いねはおれのベッド脇の冷蔵庫を開けた。兄弟に取られないよう、ちゃっかり避難させていたらしい。抜け駆けの共犯にされるとしても、一度は食べてみたい高級品だ。
「それで、あれからダンジョンはどうなったの?」
「勿論、踏破したぜ。後のこたぁ兄ちゃんに任せときゃあいい、マモルも金の心配だけしとけ」
「もちろん。成功報酬だから、それなりだよな」
「たりめぇだ。数百万なんてケチなこと言わせねーぜ。なんせあたしらは東京ダンジョンの一郭【忌兵】を踏破したんだ。一人頭二千万は固いぜ」
景気の良い期待で耳をくすぐって、二人でメロンゼリーを一匙すくって、口に入れる。
「うまい……なんだこれっ、生果実よりうまいかもっ!?」
「くっ、さすが老舗かよ、バカ高いのも納得させてくる、いい仕事してやがるっ」
二人で驚嘆してくつくつと笑った。それがおさまるとお互い黙ってゼリーを流し込んだ。
防音ガラスの向こうで蝉が細く晩夏をシャウトしている。
「小此木や樊に関するものは、地上にあげられたのか?」
「いいや。唯一と言っていいのが、今際の死に際で兄ちゃんに詫びていた録画映像だけだ」
「持ってたライターは?」
「溶けてた。金属がろうそくみたいに石塚にこびり付いてた。何で溶けたのかは不明だ」
「それじゃあ、メキシコ華僑との線は、これで?」
「ああ。そもそもマフィア絡みの事件ですらなかった。例の署長も、あたしらがダンジョン潜ってる間に地元のガキに射殺されたんだとよ。ホイの死体を国外へ持ち出したのが組織にバレたらしい」
「あのゾンビ計画失敗を、メキシコまで情報を流した?」
「ああ、黄道会がな。ネタ元は兄ちゃんだ。黄道会は樊の計画を知らなかった。だからどう転んでも樊の命運はダンジョンの底でどん詰まりだった。それを、小此木だけがヤツの道連れになってやった、そういうオチだ」
病室が沈黙した。
おれは今回の結末として、それが相応しいと思えた。
あのダンジョンで、とあるロクデナシがどうしようもないロクデナシのために死んだ。
それだけでいい。
ダンジョンには悲しみも憐れみもない結末が、おれ達には似合っている気がした。
「そういえば、いね。前に小此木に求婚されたんだって?」
「あん? それ、誰から聞いた」
いねに軽く睨まれた。古傷らしい。
「小此木本人。ベットラーと二人で話してるのを、そばで聞いてた」
「ちっ。言っとくが、それ、あいつが大学生の時だからな」
「大学っ!? 二十年以上も前? それじゃあの人、学生結婚で既にバツ2だったのか?」
「しかも、二度目の離婚から二日で、あたしに粉かけてきやがってよ。女を馬鹿にし過ぎだったからぶん殴った」
ドワーフ族は時間の感覚が違う。彼らの最近が人族の最近だと思って聞いてはいけない。
こうして、おれの夏休みが終わった。




