第69話 禍《まが》つ脊髄 後
『おこのぎーっ!』
相場寅治郎の悲声で、斎藤たちは我に返った。
「散開だっ、散開しろ!」
[山鳥毛]が誰ともなく叫ぶと、メンバーは一斉に怪物のそばから急いで離れた。
[三島瓶割]の会話は共闘パーティの動向把握には当然で、BGM代わりに聞いていた。どうやら相場が会話している小此木計劃が〝ダンジョンに喰われた〟らしいことまでは把握した。そして眼前の怪物の手応えのなさと相まって嫌な予感がした。
この怪物は独立していない。本体は別にいるのではないか。
なら、本体はどこだ。
そう思い始めたところに、小此木の遺言を通信が拾った。
『お願いです。寅さん。あたしを殺してください。脊髄を砕いて……』
脊髄。そう言えば、この怪物には脊髄がない。こいつの脊髄は、どこだ。
そこからの[山鳥毛]の反応は正確だった。攻撃を一斉にやめて跳び離れた。
ただ暴れるだけだった怪物が突如として静かに鎌首をもたげ、石塚の方へ走り出した。蛇のように巨体を蠕動させて水面を滑走していく。
「[ビシャ1]、合流させていいんですか!?」
「[ビシャ3]デニー、無理だ。アレに追いすがった所で、我々は決め手を欠いた。それよりもここからが本番だろう。備えろ」
輝彦の英断に、側近衆も全身で呼吸を整えつつ頷くのみだった。
§
[山鳥毛]が相手をしていた怪物が急速で向かってきて、クトゥニアンを飲み込んだ。
ぬめぬめとしたイモムシだった体表にカエルが次々とはりついて強硬な鱗が生え揃う。髑髏だった頭部にはりついたカエル達は流線を形づくる。先が割れて屈強そうな顎に、赤い眼の光が宿り、角まで顕れて頭頂に先ほどの黒騎士が大剣を持って出現した。
「なんつうか……急にグロから、見慣れた形になったよな」
童夢が興ざめした口調でつぶやいた。
「あれで完全体なら、弱点はあそこの騎士の脊髄じゃね?」
「童夢。メタ読みはやめようよ」
のんびりツッコミを入れて辰巳が閃光手榴弾を竜騎士へ投げあげた。
頭上で強い光と音が炸裂し、もうもうと煙が立ち込める。クトゥニアンは視界を確保するため頭を低く下げ、煙から抜け出した。
それを見て、おれと藍鐵が先陣を切る。
龍鱗の胴をうねらせ、横から唐突に眼前に迫る。とっさに絶縁小太刀を交差させて受けるや、体ごと上に吹き飛ばされる。
波うつ胴体へ[山鳥毛]の偃月刀と西洋薙刀が斬り込んだ。生物の胴を斬っているというより丸太を削っているようだ。クトゥニアンが小うるさそうに追い払う。
おれの降下が始まると、その落下速度にのって唐竹割り。対してクトゥニアンは、おれの斬撃に大剣の切っ先を突き出した。刃の長さで、おれの小太刀が届かない。その時だった。騎士の肩当てにナイフが刺さる。ベットラーの厚刃ナイフだ。大剣の切っ先が鈍り下がる。
もらった好機をおれは逃さなかった。刃の上を走り、漆黒のドラゴンヘルムに肉薄、絶縁小太刀を叩きつけた。
〈浅い〉
藍鐵が容赦なく断じた。
その生真面目な報告に、おれは口許に笑みがこぼれた。
「これでいい。今日の手柄は予約済み、[三島瓶割]は囮役だ」
絶縁小太刀をクトゥニアンの竜兜に残したまま離脱、間髪を入れず、長大両手剣を振り上げた[トリシューラ]が、漆黒の脊髄龍鎧に襲いかかった。
「〝車輪斬〟っ!」
短縮詠唱で脊髄装甲[トリシューラ]の上腕と双肩が膨張、そのまま体軸を旋回させた将馬切りをクトゥニアンの背後にあびせた。
刹那の火花とともに、漆黒の龍鎧を右肩から左腹まで斬り割いた。
クトゥニアンは数秒の痙攣して爆発、その下に連なる蛇の胴も何かも、その肉片を天井まで撒き散らかした。
「かいっ、かんっ……だーっ!」
[トリシューラ]長尾輝彦は、浅い水底から長大両手剣をバーベルのように持ち上げて勝利を吠えた。
〈よもや人の手で脊髄龍鎧が屠れてしまうとはな〉
おれが水中から絶縁小太刀を拾っていると、世を嘆くつぶやきが聞こえてきた。
〈いや。あの後れを取ったクトゥニアンが特別弱かったのかもしれぬ。現地霊体と融合するなどという浅知恵を弄すほどだからな〉
「長い年月ここに閉じ込められてて、壊れかけてたとか?」
〈それは……そうかもしれぬ〉
「藍鐵。人は長い年月をかけて科学という知恵をつけた。一方で、あいつは長い年月の中、ダンジョンの底に封印されて知恵の進化を停めた。その歳月の違いなのかもしれない」
〈知恵の進化を停めた……歳月の違い、か〉
「おれ達は、クトゥニアンが実力を発揮する前に閃光手榴弾で威嚇して、複数人で一方的に襲った。多勢に無勢だったんだ」
〈衛。その考え方は稀有だ。いかなる戦においても死は敗北だ。お前たちが勝ったのは優れていたからだ〉
「藍鐵。たしかに正々堂々と戦う場ではなかったが、勝ちを誇るのも負けを憎むのも虚無だ。武道精神は相手に敬意を持つことから始まるんだ」
〈ふん、テディも言っておったわ。〝汝、隣人を愛せ、敵を愛せ〟とな。だから我は言ってやった。戦のさなかで和を唱えるは逃避だと〉
「逃避……それは、そうかもだけど」
〈雌雄を決する場において和を願うことを臆病とは言わぬ。だがそれは遅きに失している。無い物ねだりだ。敵意を持った以上、数で負けたとて言い訳はできぬ〉
「そうだな。でも勝ち負けは優劣の結果じゃないと、おれもテディも思ってるよ」
そこへ、いねがパーティ通信に割り込んできた。
「おーい、藍鐵。脊髄の残骸を探してくれ」
「破壊した脊髄を? なぜ探さねばならんのだ」
脊髄装甲から初めて聞く藍鐵のAI合成音声は幼い女声で、六花の声だった。おれは目をぱちくりさせた。誰の策謀だろう。辰巳だろうか。テディだろうか。
「知るかよ。ミカコが儀式やんのに必要なんだと。お前こそ詳しいんじゃねえのかよ」
「ふむ儀式……いや禁則事項にかかっている。我のランクでも解除できない。何だこれは」
「お前さあ、もしかして一兵卒だったの?」
「う、うるさいなあっ!」
藍鐵が悔しげに呻いて戸惑い始めた。いねと藍鐵のやり取りは随分親しげだ。
そっとしておこう。
それからしばらくして、地上から器材がゴンドラで搬送されてきた。
水上にミカコが舞うための演舞台を作れ、ということらしい。
[三島瓶割]は童夢以外、この手の工作が得意だ。[山鳥毛]に先んじてテキパキと石塚の前に木材で正方形の水上舞台を築いていく。それはかつて大昔にも同じ事が行われていたようで、水の中に残された布石の位置とぴったり符合した。
『悪いんだけど、マモルとドームで護衛についてくれない?』
久しぶりに聞いた気がするミカコの依頼は、おれを少し驚かせた。
「護衛って、何の? 舞を踊るだけじゃないのか」
『知らないわよ。祖父の指示なんだから。二人の身を清めるための塩と水も降ろすから』
「わかった」
安請け合いして、おれは思わず童夢を見た。
無言。指で耳を叩くので、パーティ無線に切り替えた。
「知らないはずがねーだろ。東城の祭祀は秘中の秘なんだ。分家の小佐院にも伝わってねーんだぞ」
「えっ、そうなのか」
それがどうしたのかと尋ねる前に、童夢が肩を寄せてくる。
「けど祭祀の護衛は聞いたことがあるぜ。なんかすげー名誉らしい。死人も出てるがな」
「死人? それなら、なんでこの祭事に小佐院家の長男、次男がでてこない?」
「うちは代々知識は共有されてても力がないんだ。そんな奴らはダンジョンに喰われて終わりだから東城系列でもダンジョンに潜ることすら許されないらしいぜ」
許されていない。東城一族にとって、この言葉の意味はベットラーたち潜穽者とは違う意味合いを持っていそうだった。
「それなら、童夢はなんで護衛を許されたんだ?」
「ん、オレ? あれ、なんでだ? もしかして、そういうことっ!?」
「お前、アホ過ぎるだろ」
「うっせ。マジうっせ!」
「それじゃあ、東城ミカコも祭祀を任されるくらいだから、相当な力があるのか?」
「そーなんじゃね? あと塩と水以外に神剣も降りてくりゃあ、オレ達の護衛役は決まりだ」
「東城の祭祀に、なんでただの荷物持ちのおれまで巻き込まれてる?」
「今さらだろうが。どうせドワーフには手伝わせられねぇからとか?」
的を射ているようで、なんか違和感がある。厳密な血統での人選がなされる一方で、そこに部外者を混ぜる。使い捨てという意味なら、おれもベッドラーも同じなのではないか。
「思ってたよりも早く剣を見込まれたのかもな。うちの家、少し前まで武芸指南役ってのがいてさ、ガキ時分は泣きながら木刀振らされてた。椿原一刀流ってんだけど」
童夢が聞いてもいないことをウキウキと話し始める。流派は聞いたことがあった。
「おれは、羽生心眼流甲冑兵法だ」
「うそ、お前があの羽生道雪の直系っ? かぁっ、爺にお前を見せてやりてぇよ!」
「絶滅危惧種かよ。爺って、椿原奥伝師範?」
「爺を知ってんのか!? ゲヒヒヒ。爺は誰にでも優しいのに、めちゃくちゃ強いんだぜ」
誇らしげに声を弾ませる。厳しい稽古でも慕ってる師匠なのが伝わってくる。
「でもいくら有段者でも、おれ達が祭祀の護衛って、意味わからなくないか?」
「それな」
「おい、お前らー。時間がねえんだから、油売ってねぇでちゃっちゃと手を動かせ!」
ベットラーにパーティ通信を割り込まれ、おれ達は慌てて舞台制作に金づちを振った。




