第67話 禍津神/マガツカミ
〈損傷一%未満……驚きすぎだぞ、衛〉
藍鐵にたしなめられた。
「て、敵影反応、アリ……下からっ? あれ、いま右舷?」
「うっ、痛てて……マモル、言うの遅ぇんだよぉっ!」
童夢が水没した船内で半身を起こしながら喚いた。
「辰巳、いね。被害は」ベットラーが弟妹を呼ぶ。
「オーケェ、無事だよ。船体を船室からへし折られたらしい。――童夢、この部屋の天井だったところから蹴破って外に出よう」
「りょうかい、だあっと!」
「やれやれ、モグラが燃料切れ直後で助かったぜ。ドリルが回ったままだったら、踊り狂う棺桶の中でシェイクされてたぜ」
いねがリストモバイルを操作すると、フェイスガードの三ラインがブルーからグリーンに変わった。索敵感度を上げた。
「うわ、兄ちゃん。何か外にトドなみにでかいヤツがいんぞっ!」
「[三島瓶割]から[山鳥毛]へ、[三島瓶割]から[山鳥毛]へっ。輝彦、そっちの状況はっ」
『こちら[山鳥毛]……まだ船室だ。船体が床ごとちぎれ飛んだが、ロープ設置中なのが助かって、四人は無事。[ビシャ3]甘粕機が湖沼へ落下。パーティ通信で寒い寒い言ってるから、軽傷だと思う……どうやらまだダンジョン神と仲直りできてないみたいだ』
「チッキショウ。長尾家に手柄を全部もってかれてたまるかよ!」
童夢も急に必死になって鉄板を蹴りだした。
ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ!
盛大な先制攻撃を食らっても、みな恐怖はない。
むしろ打倒すべき敵の存在こそがダンジョンに挑む潜穽者の存在価値を見出していた。
それを狂気と呼ぶ者は、この場には誰もいなかった。
おれを除いては。
「童夢っ、蹴るのをやめろ。音でこっちに――」
おれが叫び終わるのを待たず、船体が横へ跳ね飛ばされた。
辰巳が折れたティーカップハンドルを両手に持ち、折れたシャフトの尖端を船体を切り裂いたわずかな隙間に突っ込んだ。
「うわっ、やわらか過ぎだって……っ!」
不快な感想とともに、辰巳は刺さった円ハンドルを蹴って、その場を跳び離れた。
円ハンドルが開けた小さな隙間の範囲で激しく暴れ、隙間がみるみる広がっていく。ついにシャフトが折れると今度は外から船体を体当り。二度三度と船体が転がされてようやく収まった。
まるで動物的な仕返しを受けたようで、おれ達は投げ出された体勢のまま動けなかった。
破れ窓から垣間見たのは、人によく似せた無数の白い腕。関節が二つ多く、細く、多脚昆虫のようにおのれの醜い獣躯を持ちあげて水面の上を這っていく。
〈禍津神だ。地の底で澱沈んだ荒覇気の成れの果てだ。脊髄を持たぬので、およそ痛みもなかろう。些細な敵意をぶつけられて白痴の如き衝動でしか応じられぬ浅ましき肉塊よ〉
藍鐵の嘲弄をおれは聞いていたが理解できなかった。
「辰巳、でかした。陽動としちゃあ上出来だ」
ベットラーが気を取り直すように立ち上がった。
「兄貴。あいつを刺した感触はモロ生物、クラゲみたいだったよ。機械獣じゃなかった」
「ふむ、なら地上に持ち帰っても金にならん呪物怪異が確定か。ダンジョン副産物で収入を期待してたんだが俺の皮算用もちっとばかしアテが外れたか。――[山鳥毛]、そっちはどうだ?」
『こちら[山鳥毛]。陽動に感謝する。[ビシャ3]を無事合流できた。湖沼の水深は十五センチから二十センチ、脛あたり。セーフハウス建設に向いた乾地は見当たらない。水温は摂氏三度を計測』
「三度だと? 夏の地下水にしちゃあ、ずいぶん冷えてやがるな」
『おそらく山岳からの地下水脈がここを掠めているからだと思う。東京の水脈は複雑だからな』
「まあな。地下鉱水か……当面はあの巨大ミミズだかトドだかを仕留めれば、ゲームクリアで周囲探索できそうか。[山鳥毛]、先陣を仕切り直してみるかい?」
『了解。本当に褒賞首は[山鳥毛]がもらっていいんだな?』
「それ一頭とは限らんがな」
『えっ、たいしょー、でも……っ』
「油断するなってのは、そういうこった。[三島瓶割]は三十秒後にそちらのサポートにつく。できるだけ動いて、この階層の情景を送ってくれ。谷底や深みに気をつけろよ」
『了解した。よろしく頼む。[ビシャ1]通信終わり』
おれは大穴に開いた隙間からそっと顔を出して外の様子を伺いながら、
「ベットラー。ここから反響定位音波装置を使って確認していいか?」
「やめとけ。あの音波装置はもともと機械獣への反響音探査を目的としてる装置だが、昆虫や軟体動物には怪音波らしくてな。狂暴化する信号として受け取られて、手がつけられん場合がある」
「まじかよ。そんな話、免許講習でも訊いたことねーぞ!」
童夢が興奮した様子で、おれのとなりから外の様子を伺う。
「俺はこう見えてガリ勉でな。海外のダンジョン論文界隈じゃ常識になってるぜ」
「けどよ、おっさん。あのバカでかいのって、何なんだ?」
「さあな。今はトドでいいんじゃねえか」本当に論文読んで勉強してるのか。
「急にダンジョンボス特定が雑かよ」
「童夢。あれがいつ、ここのボスだって特定した?」
「えっ、嘘だろ。あれが雑魚なら、このダンジョンめちゃくちゃヤベーぞ!」嬉しそうだ。
「[山鳥毛]も、輝彦はまだ褒賞首と思ってるようだが、そろそろ側近たちは怪しみだしてる頃だろう。【忌兵】も東京ダンジョン。やっぱり一筋縄じゃあいかねえかもな。あとな、童夢」
ベットラーはどこか他人事のようにいって、天井だった鉄板をひと蹴りでぶち破った。
「かっこいい蹴りってのは、一発で決めるもんだぜ」
この時を境に、童夢が蹴りに並々ならぬこだわりを持つようになるのはどうでもいい話だ。
ロケットの残骸から出ると、戦闘は始まっていた。
「あーっ、もう始まってんじゃねえか!」
逆手で腰背の絶縁小太刀を抜きざま駆け出そうとする童夢のホルスターをベットラーが掴んだ。
「慌てんな。戦闘にはタイミングってのがある。今突っ込んだら、お前ごと斬られるぞ」
「オレが、そんなヘマするかよっ」
「違う。[山鳥毛]にじゃない。俺たちに斬られるって言ってんだ」
「へ?」
「お前が気にかけなきゃならねぇのは、前だけじゃなく後ろもだ。なぜなら誰よりも先頭切って走り出すそのクセが、あとに続く味方の邪魔になるからだ」
「邪魔……っ?」
音響デバイスが童夢の声から怯えも拾った。
「視界には常に仲間の姿を入れて戦え。前に進むなら、横を気にしろ。横にいなかったら後ろを気にしろ。仲間を見失って初めて、敵に憎悪をぶつけていい。[長曽祢虎徹]で教わらなかったのか?」
「……っ」
「童夢。俺はサポートに回ると[山鳥毛]に伝えたのは聞いてたな。なのに[三島瓶割]が連中の戦闘に参加して、サポートになると思うか?」
「それは……ならない、かも」
「強くて、優れたユニットが常に最前線で戦うのは当たり前だ。だが仲間を支えるよう裏で立ち回るのも強さが必要だ。サポートに付いたから弱いわけでも劣るわけでもない。攻撃と守備は表裏一体だ」
そう諭していたベットラーが急に、ナイフを引き抜いて投げた。
厚刃の切っ先は[山鳥毛]に向かっていた闇の背中を貫いて、水の中に落ちた。
「兄貴、今のカエルじゃなかったよね」
「そう見えたがな。なんか思わず投げてたぜ」
ベットラーが近寄ってナイフの柄を持って水から引き揚げた。
黒い肌のカエルは顔面だけ白く、萎れた老人の顔をしていた。
「うわ、キモっ」いねがドン引きした。
「なんとも醜悪なもんだ。これが〝禍津神〟ってヤツか。くそったれめ。東京ダンジョンの深淵にはこんなのばっかりか?」
禍々しいカエルを振り払うと、それは闇の中へと戻るように黒煙となって消えた。
ベットラーはふいに胸を張ると、フェイスガードをあげた。
「おこのぎーっ! 生きてたら、返事しろぉお!」
大音声は地下空洞の闇を震わせた用に思えたが、ややもして鎮静し、かすかだが確実に闇が騒ぎ始めた。新たな来訪者に気づいたのだ。そして、
「熱源反応をキャッチ」辰巳が驚きを含んだ報告をした。
「「衛、閃光手榴弾を出せ。ありったけだ。いね、フレアガン用意――三、二、一っ、撃ぇ!」
赤い曳光が放物線を描き、天井に引っかかるみたいにふんわりと弾着する。
闇を失った地下空洞は天井まで石を幾重にも積み重ねて作られた玄室だった。
「人工物っ!?」辰巳が唖然とした声をもらした。
「ゴールは目の前だ、切り開くぞっ。総員抜刀!」
左手に手斧を持ち、右手に手榴弾を持って、ベットラーは歯でピンを抜いた。




