第64話 ダンジョン突入直前の準備の中で
水元公園に戻ると、トラックの物資配給が始まっていた。
作業班と潜穽者たちが総出でコンテナの中を降ろしている。
「こいつは、アタシらは出遅れたね」
いねが軽口を叩くと、[山鳥毛]の司令車からぼさぼさ頭の宇佐美が顔を出した。
「おたくらの分は司令車の前だよ。あと[ノーム5]、記録データを提出してくれ」
おれはベットラーが頷くのを確認して、こめかみ部分に内蔵されているSDカードをつまみ出して、宇佐美に手渡し、彼から新しいカードをもらってこめかみに押し込んだ。
「さっき連絡が入った。[姫鶴一文字]の竹下が息を吹き返したそうだ」
「そうですか」
「君のおかげだよ。君がバイクを繋いでいたワイヤーを切ってなかったら、竹下の復旧シーケンスを外部起動できるヤマさんたち作業員までやられてたんだ。このことは上に報告しておくからな」
査定のことだろうか。潜穽者ではないのでどこまで報酬が加増されるのかよくわからない。
「あの、宇佐美さんは国際ダンジョン事情に詳しいですか。教えてほしいことがあるんです」
「なんだい。答えられる範囲でなら答えるよ」
「ラクエル・メイズという名前に心当たりは? たぶん女性だと思いますが」
「メイズか。んーとね。あー、んー、あるよ」
肯定された。相当言い渋られたが。
「何者なんですか。盗掘屋とかダンジョン宗教家とか?」
「端的に、傭兵だね。海外の」
「よう、へい?」
「名前が知られるようになったのは去年の香港ダンジョン採掘層だ。そこで貯蔵されていた輸出用の新麻薬六百キロを盗み出して、香港総督府の前に積み上げた。それをSNSで世界にばらまいた。『謹啓、総督様 大尚書(唐華帝政の実権者。首相の上)への奉献分を御査収ください』って置き手紙を残してね」
「それで?」
「そのおかげで香港議会は紛糾し、野党が総督キャンベル・リンと帝国マフィアとの癒着を半年以上たった現在も責め立てられてる」
「つまり、ラクエル・メイズは脊髄装甲を使った政治活動家、怪盗や義賊ってことですか?」
「違うんだ。彼らは――ラクエル・メイズはチームだという噂があるんだが、金で動く。合法非合法に関わらずだ。香港のゲリラ活動で名前だけ一躍、時の人になったが、それにしたって帝国主義の圧政に抵抗する民主活動家の誰かが彼らを雇ったと憶測が飛び交ってる。ただし黄色い脊髄装甲ってことすら香港民は知らないはずだし、大手メーカー各社は製造すら否定しているから自作の線が濃厚だ。SNSメディアに至っては名前以外、性別も国籍も掴んでいないよ。これくらいでいいか?」
「そんな人物なら、ここのダンジョンには興味はないでしょうね」
「そうだな。少なくとも【忌兵】は興味ないかもな。東京ダンジョンも他所と毛色が違う」
「毛色が違う?」
「その話はまた今度だ。タイムアップ。備品の配給と地下ロケットの燃料供給ができ次第。作戦を始動させる。君も再調整を急いでくれ」
おれは会釈だけして[三島瓶割]のランチボックスに戻った。
「なあ、冬馬くん」
宇佐美に呼び止められて、おれは振り返った。
「君は、あの映像を見たんだよな」
「映像……ここの底の?」
「もちろん。どう思った」
「どう……特に思うところはありません。襲う意思を持ってるなら殺せるのではないかと」
宇佐美は一瞬呆れた様子でこちらをまじまじと見た後、シニカルな笑みを浮かべた。
「寅さんの弟子に愚問だったな。忘れてくれ」
「ねえ、まじまじと見ないでよ」
ランチボックスに戻ると、ミカコが車内奥のスツールに座っていた。
おどおどした様子で、おれと目を合わせようとしない。
前立天冠を頭に戴き、千早の舞衣を羽織り、赤い袴に白足袋、草履と。どこから見ても巫女装束だ。
「おい、ミカコ。馬子にも衣装って言うが、違和感ありまくりだな」
いねが男たちが言わないようにしてたことを、容赦なく吐き捨てた。
ミカコの体型は一七三センチの欧米スタイルなので、たわわな瓢箪を折り紙で包んでいるみたいだ。なので、おれも少し、いやだいぶ……目に困る。
「うっさい。こっちも好きでやってんじゃないわよっ、仕事だからやってんの!」
豪胆な司令がマジギレしたが、そこで気圧されて黙る女ドワーフでもなかった。
「はんっ、仕事なら装束の下に晒くらい巻いてこいって話だろ。あと、口と顔は一致させるもんだぜ。鏡で見た時、満更でもねえってニヤつかせてたろう。低賃旅行者のOtakuみたくな」
「おい、いね。いつまでもお嬢をイジってねえで、さっさと用意しろっ」
「うっ……へーい」
ベットラーに窘められて、いねも辰巳もノートパソコンを叩いて摂取時刻を記入し、空圧式の無針注射で首筋に予防ワクチンを打ちこむ。効果は三十分後から。再確認のブリーフィングを行って作戦開始の運びとなる。
おれは作業員なので先に地下ロケットに〝子実体〟燃料の積み込み作業を手伝う。山吉豊は爆発現場に負傷者と残ったが、他の作業員五名はトラック荷台に同乗して戻っていた。
おれを迎えるなり、ねぎらいのグータッチを求められた。素直に応じたが、気分は復調しなかった。
ラクエル・メイズに気圧されたことが悔しくて、おれは仲間のことすら見えなくなっていたのに。
[三島瓶割]だけでなく、他のチームも潜穽者総出で準備作業を進めていた。
[日雁青江]の青迷彩[ムラクモ]も作業していたけど、みんなフェイスガードをあげている。結城で季鏡は話しかけては来なかった。きっと二人ともデビュー戦で緊張しているのだろうし、そんな余裕はもうどこにもなかった。
「おい、マモル。〝子実体〟燃料はあといくら積み込むんだ?」
いねが燃料容器を抱えながら声をかけてきた。
「五百八十で、あと二百だよ。いね、ブリーフィングは?」
「おい。みんなフェイスガードあげて無線回線。つか、お前だって非公式には専務作業員じゃねーかんな」
「あ、作業員回線のままだった。回線、いくつだっけ?」
いねに尻を軽く蹴られた。
「アホか。128.47。あと予防スタンプも忘れんなよ、キャディ!」
「わかってるよぉ。そこまで抜けてたわけじゃないって」
苦しい言い訳を残してランチボックスに戻ると、車内奥でミカコと童夢が話をしていた。
おれは構わずノートパソコンに摂取時刻を記載して注射を打つ。
プシュッ。鋭い空圧がひやっとして注射針の頃の痛みを思い出させる。
「マモル。ちょっといい?」
ミカコが声をかけてきたので、おれは注射器を童夢に渡す。針がないから使い回し放題だと、いねが意味深長な冗句をとばして一人で笑っていた。
「時間記入」
「あ? 忘れねぇって。辰巳のあとにお前の念押しまでいらねぇって」
車内通路ですれ違うと、おれは改めてミカコの巫女衣装を見た。
「いねは、ああ言ってたけど、意外と似合ってるよ」
「意外とって何よ」
ミカコは少し笑うと、表情を曇らせた。
「でも正直、こんなメに遭うとは思わなかったわ」
「こんなめって?」
「嵌られたのよ。祖父に」
「どういうこと?」
おれは眉をひそめた。




