第61話 ウザミ先輩と届かない補給
水元公園。
公園名であるとともに町名でもある。
葛飾区内に属しているが、隣接する三郷市との境界も決まっていない。
江戸時代に「溜井」と呼ばれる古利根川を堰き止めて作られた用水地だった。
一七二九年(享保十四年)に八代将軍徳川吉宗が紀州出身の井沢弥惣兵衛に指示し、水害防止と灌漑用水を調整するために設置された。これにより、東葛西地域五十余の町村を潤したので、「水元」と呼ばれるようになった。
現在も公園として地域の憩いの場となっている。駐車場も完備し、春には散歩道の桜が咲き誇り、人々の目を楽しませている。
ゆえに、ここにダンジョンが発見されていたことを知る人は少ない。
この夜。
サーチライトが公園を真昼のように照らし、観音像が撤去され、その下から錆びついた直径十五メートルの鉄製マンホールがクレーンで引き上げられた。
いつもはがらんとしている駐車場に潜穽者用の蒸着車両や司令車、物資輸送トラックがいくつも並ぶ。
立てられた天幕も並び、そこへ備品ボックスが次々と運び込まれていった。
「[菊一文字]第5階層制圧を確認、狩人の死体なし」
「[姫鶴一文字]第5階層制圧を確認、狩人の死体なし」
「[吉岡一文字]第5階層制圧を確認、狩人の死体なし」
先遣隊は、ダンジョン内へ逃亡したと見られる[フラガラッハ]二機を捕捉できず。
この報告は、地上の司令車にいる指揮者たちを困惑させた。
「第5階層にゾンヴォイド化した二人組がいないとなると、いよいよ自棄のやん八で奥まで入っちまってるなあ」
[山鳥毛]の司令車。
本作戦の現場統括および第1地下事業課・宇佐美孝之である。
「あるいは誤って落ちたか、でしょうね」
[日雁青江]の司令車。総括補佐に第3地下事業課・遠山久遠が就く。司令車は他にあと六台。全八チーム十一パーティというオフシーズンとしては異例の大所帯になった。
「しかし彼女、どうやってこのダンジョンの中にドローンなんて入れたのかねえ」
「ここからじゃないですよ。三郷市側の河川地下水道がここと繋がってたんです」
「勘弁してよぉ。【忌兵】の抜け道は第五次の時に、封鎖を頼んどいたんだけどなあ」
「実際、【忌兵】のゾンヴォイドも、年々減ってはいたそうですよ」
「年々ね。地下にまで管轄越境の呪いに振り回されるのは勘弁だな。外国人だけでなく、他県の悪ガキまで都の税金範囲で処理させられてるこっちの身にもなってほしいなあ」
「小此木計劃と樊士元がここのダンジョンを通って三郷市に逃れた可能性は」
「ないな」
宇佐美は両手を後頭で組んで、椅子に体を預けた。
「機械ってのはある意味バカ正直な証言者でね。GPSドローンは彼らを捕捉したままダンジョンの底まで追いかけていった」
「そうか。三郷市へ逃げたのなら、三郷市から入ったドローンが捕捉しているはずだから、撃墜された映像が残っててもおかしくありませんね」
「そういうこと。俺がいま気になり始めてるのはさ、どうしてダンジョンは逃亡者二名をゾンヴォイド化する前に最下層まで招き入れたか、なんだが」
「[フラガラッハ]のダンジョン装置で、ある程度は防止できたはずでは?」
「遠山さ。あの事件から何日経ってる?」
「すみません。そうでしたね」
「いや、本気で何日経ってるか訊いたんだけど」
遠山はがっくりと肩を落とした。「十日以上です」
「ほらな。脊髄装甲を着てても補給なしじゃダンジョンに留まれる時間はとっくに過ぎてる。けどな、そこにも抜け道がある」
「抜け道?」
「水だ。ダンジョン層に稀に残留する地下水池に留まれれば、十日以上は正気を保てる。もちろん食料や補給水は必要だがな」
「そうなんですか?」
「二年前、唐華帝国の落盤事故で十七日後に自力脱出した地下労働者が証言している。雨水を飲んで凌いだんだと」
「うわぁ、嘘くさい」
「でもさ、もしそれが本当だったらカルロス某の復活はダンジョン最下層でやってんじゃないの?」
「それって、ほとんど黒魔術じゃないですか」
「だな……ところで、ミカコ東城は〝神降ろし〟を習得して、こっち来るって?」
「はい。[三島瓶割]を先輩の指揮下に置くのが心苦しいって言ってましたよ」
「素直にオリジンの初陣が見れないのが悔しいって言えばいいのに。ひねくれちゃってまあ」
地下事業部きっての捻くれ者と出世を争えば、誰でもそうなると思う遠山だった。
§
二〇時二四分。
開封された【忌兵】の入口に、同じ直径の円筒がクレーンで設置される。
「浄化フィルターが三カートン入ってなかったぞ。これ以上文句を言わせたくなかったら、さっさと出せ!」
「大宮からの三便トラックがまだ来てないんですよっ。文句ならそいつに言ってください!」
補給備品テントで口論が始まった。俺は通信回線を開いた。
「[ノーム5]から[ノーム1]へ。補給テントでトラブル」
『わめいてる方の機種は』
「[トリシューラ]。作業リボン」
インドのヒンドゥスタン社製で機動型。辰巳に言わせるとコンパクトにまとまった良機らしい。
『すぐ行く。俺が行くまでお前はそのテントに首を突っこむな』
少ししてベットラーが珍しく駆けてやってきて、ごつい手でおれを後ろに下げた。
「ヤマさん、何があった?」
「おお、相場。聞いてくれ、補給パックに浄化フィルターが三カートンも入ってなかったんだ。突入作戦の直前で、このミスは我々に死ねと言ってるようなもんだろうっ」
顔を紅潮させて唾を飛ばす壮年男性に、ベットラーはあえて大笑して両腕を広げた。
「落ち着きなよ。ヤマさん。今回はオフシーズン中の出動でしかも公式最大の八チームだ。備品調達も急なことで方方から集められてる。心配しなくても後から順次分配されるぜ。なんなら[三島瓶割]から先に三カートン渡しておくか? もちろん後から届いたそっちの三カートで埋め合わせてもらうがな」
「むっ。いや……それには及ばんっ。邪魔をしたな」
そういって、壮年のクレーマーは去っていった。
調達部の社員が深々と頭を下げた。
「相場さん。ありがとうございました。今、徳岡長がこの場を離れてまして」
「いや、構わねぇよ。竹下、輸送トラックまだ着きそうにねえのか?」
「ええ。それでさっき徳岡長が大宮ターミナルまで見に行ってます。備品倉庫が都外ってのが面倒な話ですが」
「そうだな。ま、徳さんが戻るまで、何かあったらまた声かけてくんな」
「ありがとうございます。その節は、よろしくお願いします」
調達部社員はペコペコと頭を下げていた。
「ベットラー、さっきの人は?」
「チーム[山鳥毛]の大番頭で、山吉っていってな。古株の潜穽者からは〝ヤマさん〟で通ってる。平時は長尾家当主の長尾輝彦で三代続けて執事をしてる。優秀な人物だが、目下にはあの通り、瞬間湯沸かし器でな。噴火させたらおっかねえぞ」
「浄化フィルターが届いてないって言ってたけど、各チームへの周知はいいのか?」
「オフシーズンの大所帯潜穽だから、補給到着の遅れは優秀な後方支援ほどヤキモキするもんだ。どこのチームも潜穽の開始時刻をずらしても補給は揃えておきたいところだからな」
初動から、どこも順風満帆とはいかないものらしい。
§
「こちら[山鳥毛]司令車」
『調達部の徳岡です。宇佐美さん、助けてほしいっ』
「徳さん、どうした? 今どこ?」
『いま、東京外環(自動車道)の、川口西インター付近を通過しました』
「何があったんです?」
『トラックがバイクに、暴走族に囲まれてる。いま時速三十キロで走行している』
低速。進路妨害。
「徳さんは車で出かけたんじゃなかったっけ?」
『私はトラックの後方。四、五十メートルあたりで随行してます。バイクの数が多くてこれ以上は近づけない』
「警察には?」
『通報済みです。そしたらパトカーが到着後に数が増えて。今バイクの数が二、三十台になってる』
宇佐美は椅子から体を起こしてコントロールパネルを操作し、ディスプレイに東京外環道を映し出す。
「鷹丸、東京外環道。緊急車両を探せ」
『了解』
屋根があるので見えづらいが、やがて赤色灯を探してズームすると二車線道路の左側をトラックのコンテナ部分が垣間見れた。
「徳さん、こちらでもトラックを捕捉した。ダンジョン保護団体の気配は?」
『わからないが、可能性はあるでしょう。軽自動車じゃなく大型トレーラーをからかって遊ぶ度胸も根拠も彼らにはないでしょう』
「積み荷は」
『まだ手にかけてる様子はないです。パトカーも監視してますし、中身を知らされてないのかも知れませんね』
「そう願いたいね。で、〝地下ロケット〟の燃料は確認したかい?」
『確認済みです。あの三便トラックに最終分が積んであります』
なら、なおさら確証あっての乱暴狼藉か。
『宇佐美さん、警察がトラックに停止を呼びかけ始めましたっ』
ちぃっ。鋭い舌打ちとともに、宇佐美はコントロールパネルを叩いた。指が残像を作る。
『パトカーのナンバープレートっ』
徳岡の読み上げた数字を入れて、
「徳さん、一旦通話切りますっ。――おまわりさん、聞こえますか。そのトラックを止めるな」




