第6話 怪物の〝相棒〟
その後、拉致グループが逮捕されたという報道はない。
報道がないからと言って、もみ消しがあったわけではない。
連中は、よりにもよって東京を幕末から支える黒獅子の尾を踏んだのだ。裏路地の住人なら、外国人であろうとも、それがどれほどの愚行であるか噂に聞こえていたはずだ。
この国には触れることさえ許されない家族がある。
後は本人たちが身をもって報いればいい。
よせばいいのに辰巳がその後の「決裁」を上から聞き出し、酒が飲めなくなるほど顔色をなくしていたが、俺は耳にも入れなかった。
今回もただ仕事をし、正当な報酬を手にした。それだけでいい。
東城家とは一定の距離を保つべきなのだ。
「おれが、進学!?」
ミカコは入院からわずか二日で退院し、三日目にはスーツで相場家にやってきた。
退院祝いがてら酒持参の来訪だったので、俺は久しぶりに自宅で料理の腕を振るうことにした。
酒瓶や空き缶が散乱していた相場家のリビングはすっかり掃除が行き届き、いつ振りの床が見える居住空間に俺たち兄妹を驚かせた。
「あんたら一体どういう生活してきたんだ。この家の空き缶を全部潰して廃品工場に売りに行ったら八千円になったぞ」
しっかり者な新入りの苦言もそこそこに、久方ぶりになる本業達成の祝杯をあげた。
さっぱりしたリビングで白ワインを口につけて、ミカコはサプライズを披露した。
「都立の段手町高専ってダンジョン系の学校なんだけど、入学キャンセルが割と多くてね、東城の人通力がなくても私の交渉だけでどうにかなったの。正式な入学手続きと入学金は済ませてあるから、四月からしっかりやりなさい」
進学先を勝手に決められていたことに冬馬衛は困るどころか、嬉し半分困惑半分に頭を掻いた。口では拝金を唱えながらも、本心は進学したかったのだろう。
「あの、その学校の奨学金とか受けられるのかな、できるだけ迷惑かけたくないから」
少年の配慮にミカコもまんざらでもなさそうに目線をさげて、記憶を引き出している。
「一学期と二学期の成績上位五~七名に審査が入って、年末、特待生に決まれば授業料が返還、翌年度の授業料から無償になる仕組みね。だから最初は私が立て替えてあげてもいいわよ」
「あ、うん……お願いします」
衛は居住まいを正して、頭を下げた。
「それと合わせて、四月から六花ちゃんも東京の病院に転院することになってるから」
「えっ、六花もっ!?」
衛があげた顔には驚きと警戒が浮かんだ。
東城ミカコは真摯な眼ざしで、少年を見つめた。
「六花ちゃんはダンジョンで発症する病気を研究している専門医療機関に入院してもらうことにしたわ。心配しないで、東城系列にしては規模は大きくないけど一般患者さんも外来受診する、ちゃんとした病院よ。そこは信頼してくれていいわ」
「でも……治療法があるのか? 長期入院になるんだろう?」
「そうね。今は、ないみたい。でも六花ちゃんと見つけてみせると担当を受けてくれた医師から直接聞いてる。費用に関しては当面、新薬治験者枠に入ってもらうことで東城家が全面的に支援するわ」
「そっか。東城さん、おれたち兄妹のために、ありがとう。よろしくお願いします」
衛は頭を下げた。こういうところは、少年も妹の親代わりなんだと思えた。
そしてミカコは、帝王の血なのか素直な感謝に弱い。顔を赤らめて小鼻がヒクヒクしている。
衛が言葉を継ぐ。
「でも。実は、六花は伯母が面倒を見てくれてたんだけど、仕事で海外出張してて、まだ連絡してなくて。その話をしたらちょっとこじれるかも」
「ああ、羽生天華さんね。それなら私が入院してた病院にお見舞いの電話をくれたわよ。ワシントンDCで〝ロングヘア〟研修に長期出張してるんですって。ふっ」
なんだ、最後の失笑に棘があったぞ。
「ロングヘア、の研修?」
衛は怪訝な顔をする。
ミカコは白ワインを颯爽とあおると、衛に給仕をせがむ。
「アメリカ軍特別プロジェクトチームの通称。政治がらみの微妙な問題を調査する内偵組織ね。いわゆる米国版NINJA組織ってとこかしら。大統領官邸が中央情報局と仲違いして機能不全に陥ったときの奥の手にでもする気かしらねえ。日本だと警察庁警備局や内閣官房室みたいな感じ?」
衛はわからないながらも伯母が職務上、家族を顧みれない状況にあることは理解したようで、目線を落とした。
「それで、その未成年後見人どのは、お嬢の勇み足に納得してんのかい」
俺が話の先を促すと、小娘はけろりとした顔で肩をすくめた。
「最初は『勝手に他人が土足で引っ掻き回して、どういうつもりだ』って怒ってたけど、ある人の名前をだしたら、黙っちゃった」
「お嬢……また交渉相手の腹に拳をエグりこんじまったのかい」
彼女の言葉の綾を、俺は苦笑と黒ビールで流した。
小娘は誰かの名前や威光で人を黙らせる〝威を借る〟手合いじゃない。
むしろ後で背負った七光りの名前が知れて、みんな仕方なく黙らざるを得なくなるのが常のようだ。
ミカコの悪癖なのだ。交渉において相手に息継ぎができる落とし所といった余地を与えない。
相手を徹底的に調べあげ、弱みや落ち度を情け容赦なく突き刺し、ねじ伏せるのを得意とする。初手、和平ではない。屈服か戦争かを相手に突きつける。
衛の伯母という羽生天華も、いきなり脛傷を蹴りあげられて怯んだところへ、ボロボロになるまで言葉で殴りつけられただろう。養育放棄。難病介護放棄。遺産相続。羽生家と冬馬家の継承問題。女性自衛官の出世ジレンマ等々。東城の名がトラウマになってなきゃいいが。
俺はずいぶん前にお嬢の舌鋒は諸刃の剣、味方も切ると諌めたことがある。そしたら、
『なら、それは味方じゃない。弱者か、敵側に与する可能性のある者よ』
と言いきられた。彼女が十四、五の頃だ。
あれから十年以上経ち、親元を離れ、身内ながら日本企業で三年キャリアを積んで気性も少しは丸くなったと思いたい。が、気に入れば何がなんでも手入れたがる「生まれながらのお姫様」の気性は直ってないらしい。
俺が心配するのは、東城ミカコがダンジョンで手負いの子狼を拾ったことではない。
冬馬衛が、ダンジョンで〝黄金王の娘〟に見初められてしまったことだ。
〝相棒〟という言葉はまさに、この二人のことだろう。
お互いを支え合って、さらに手に負えない怪物になろうとしている。
その飼育役が俺というのも、因果な話ではあるが。
「それで、お嬢。こっちに仕事をいくつか回してくれるって話だったな」