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第58話 窮鼠がいつも猫を噛むとは限らない 前



 まさか営業時間内に〝脊髄装甲〟(スパイナルコード)で不法侵入してくる不届き者が現れるとは誰も予想できなかった。

 ただ、個人が予想できなかったからといって、日本の企業がそれを想定していないとは誰も言っていない。「まさか、やるとは」思わなかっただけである。


『侵入者三名、確保。[ミュルグレス]、登録番号から小佐院家所有チーム[長曽祢(ながそね)虎徹(こてつ)]の所属機を確認。所有者は小佐院童夢。他の二名は貸与アカウントを保持。いずれも高校生』


『全員、建造物不告侵入で逮捕。被疑者は地下一階談話室へ連行。電磁カフスは外すな。飲食不可』

『了解』


 メインパネルで警備部の無線を傍受していた、いねは腹を抱えて大笑した。


「サイッコー。警報器作動からたった六分で拘束(ホールド)かよ。ゴキブリだってもう少し逃げるぜ」


「いね。ミカコ姉がさ。警備部には逮捕する権限がないって言ってたんだけど」


「いんや、あるぜ。私人逮捕は六法全書にも載ってる。あいつが言った権限ってのは、証拠を並べて『お前が犯人だ』って言えねーだけだ」


「そうか。じゃあ、この場合はそれか」


「ああ。ただ残念なことに、この建物は機密情報がそこら中に転がってる。高校生といっても、涙の一滴出し尽くすまでこってり絞られんだろうよ」


 いねのニヤけた顔が止まらないので、おれはカマをかけた。


「いね。もしかして……っ?」


「ああ、今、上層部の会議室にはテディがいる。あのモノリスがタダの天才じゃなけりゃ、会議中に懲罰的運用の許認可を取る手続に入ってんだろ。あいつらの助命と称してな。マモル、たまにはアタシらを楽させな」


 悪辣な大人たちだ。でも禁じられた遊びの代償は支払わせるべきなのだろう。


「素人の高校生を藍鐵(アイテツ)の実験台にするのか。大型機械獣を一刀両断にできる脊髄装甲なんだぞ?」


 いねは緩みきっていた笑みを収めると、胸の下で腕を組んでこちらを見た。


「なら、あのガキどもは脊髄装甲なんか着なきゃよかったんだ。んで、アーバレストジャパンに忍び込まなきゃよかったんだ。違うか?」


「それは……そうかもしれないけどっ」


「上の考え方次第だけど、アタシは青山(ここ)が原子力発電所なみのヤバい施設だと思ってる。子どもの肝試しを不問にするにも脊髄装甲を用いたという火遊びが、ケジメの付け方を難しくさせてる」


「地上で脊髄装甲の不法行為はすべて、テロ行為、だから?」


「そうだ。脊髄装甲の問題は脊髄装甲で解決するのが手っ取り早ぇんだ。今なら漏れなく基礎能力格差(ポテンシャルギャップ)があるのも承知の上だ。要はテロリストとしてボコられて、ゴミになってこの施設を出るしか不問にできねえわけだ。それならアーバレストも〝なかったこと〟にできる。幸い、ポテンシャルコントロールは藍鐵(アイテツ)の課題だし、アタシらも暴走しそうなら止めに入る。どうせ腕の一本や二本くらいなら脊髄装甲の治癒機能で修復されるしな」


「でも下手すれば、彼らが地上に出て警察に駆け込んだら、企業ぐるみの集団暴行にされかねないけど」


「それで困るのは、小佐院家だ。あいつらだって、親にバレたら大目玉じゃ済まねえ。勘当か義絶は避けられねえだろうよ」


「待ってくれよ。カンドウとかギゼツって、いつの時代の話してんのさ」

「マモル。小佐院家は、東城の分家だ」


「え?」


「お嬢の遠縁だ。お互い東城の外孫だから、あの女も小佐院家とは他人同然、【殺陣(アヤダテ)】で出会うまで面識すらなかったはずだ。家格はあの女のほうが遥か上になるらしいけどな。だからこの建物を親戚の家感覚で遊び場にしたとしてもあの女が庇う筋の話じゃねえのさ」


 いねは鼻で笑うと椅子から立ち上がり、藍鐵の水槽に近づく。


「聞いたな、[フツノミタマ]のひめ。マモルと少し遊んでこい」


〈それもよいが、はよ、禍津(マガツ)カミほふらせろ。わが使命である〉


 おれは顔を背け、ハニカムモニターを眺めて聞こえなかったことにした。

 いねは会話をした様子もなく、また席に戻るとメインパネルを操作し始めた。


「あー、腹減ったなあ。警報器うるせー。ステーキ食いてー」


 おれは何も言い出せなかった。



 二時間後。アーバレスト地下一階。模擬試験場。


『試験、開始』


 ブザー音とともに[ミュルグレス]が三機同時に襲ってくる。

 無線周波数は違う。相手から悲痛な絶叫がヘルムを貫いて直接耳に聞こえた。

 そんなことはどうでもよくて、まさか[フツノミタマ]の外装をはずしたインナースーツの見た目が[ダインスレイヴ]だなんて聞いてなかった。


 おかげで少しだけ気負いがなくなった。

 十八秒で、三機を制圧する。その中で一機、終始無言の倒れ方に違和感を覚えた。


「こいつ……っ?」


『試験、停止。十八秒三六』



『生きて地上に戻って家族に会いたいのなら、死ぬ気で戦いなさい。もう一度』

 テッド・ウォーレン博士の容赦ない叱咤は、おれにまで言われているような気がした。

『それにテスト機、試験項目にチェックが入らないわよ。これ、遊びじゃないの。やる気がないなら報酬減額よ』


「了」


 六花に会いたいなら、六花を養うためなら、戦わなければならない。

 でも弱い者いじめを楽しめるほど、おれは病んでいない。


『試験、再開』


 無慈悲な、ブザー音。

 給料のために、おれもやるしかない。


 ダッシュで二メートル先の標的に跳躍体当たり、二十メートル先の壁まで吹っ飛んで叩きつける。腰にむしゃぶりついてくる機体を跳躍で躱し、八メートルある天井に着地、そこから跳躍して床に突っ伏した機体の背中に膝落としを叩きつける。もちろん、相手の脊髄ゲージは外す。


 最後の一機が鋭そうな蹴りを放ってきた。[ダインスレイヴ]なら肘で受ける一撃。割と速い。だが[フツノミタマ]の演算処理では子どもが特撮ヒーローを真似た蹴りに等しい。


 その蹴りが振り切られる前に懐に入り、左右フック三連打。脇腹、胸、あご、相手は片足立ちのままきりもみしながら吹っ飛んだ。


『試験、停止。二十七秒四二』


「今ので何項目にチェックついた?」

『五十項目のうち、十六項目にチェック――。いいわよ、続けて』


 管理者からは好感されたが、窮鼠(きゅうそ)なぶっている猫の気分だ。

 気分の良いものじゃないが、あくまでも仕事と割り切って集中する。


[ミュルグレス]が破壊と再起を繰り返して髄液(フリュイド)切れで再起不能になるまで約五十分間を戦い抜いた。


『一回の試験で、五十三項目にチェック。上出来よ。十五分間のインターバルののち、次からは武器使用を試すわね』


『おい、ふざけんな!』

 突然、[ミュルグレス]から怒号が飛んだ。聞き覚えのある声、小佐院童夢だったか。


『髄液切れで終わりのはずだろうがっ、次があるなんて聞いてねえ!』


『髄液交換なら、してあげるわよ』

 テッド・ウォーレン博士は無機質に応じた。いつもの優しい温かみのある声とは別人格みたいだ。

『そもそも髄液切れで今日の件を忘れてあげるなんて誰が言ったのか、その人物の名を挙げてご覧なさいな』


 返事がない。


『あなた達のおイタは、新製品開発のデバッカーとして雇われた体にしてあの機体と戦うことで許され、地上に戻してあげるとは約束したわ。でもそれがいつになるかはこちらが決めること。それとも今すぐ池袋署のパトカー三台に乗って帰る?』


「うっ」


『ダンジョン業界最大手の本社ビルに不告侵入して社内の動画撮影は、れっきとした営利業務妨害罪、企業テロよ。弊社の警備部と法務部には、いつでも被害届を提出できる準備はさせてるからね』


 小佐院童夢は、その後も散々悪罵をわめいていたので無線を切って、おれは試験場脇の補給室に入った。ロッカールームと通称する小部屋では、いねと辰巳がすでに待機してくれていて髄液交換に入った。


「いね、これきつい。体力的にじゃなくメンタル的に」

「ああ、だろうな」


「なら、マモル。とっておきのネタを話してやろうか?」

 辰巳が液晶端末(タブレット)から伸びたプラグを背中に差して画面をタッチしながら、

「小佐院家はシロだ」


 おれは思わず背後を振り返った。



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