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第55話 人の深淵、ダンジョンの底



 あの時、あいつの噂をしたせいかもしれない。

 スマホが鳴って、テッド・ウォーレン博士に呼び出された。


『衣装合わせしたいから、青山に来てくれない?』


「了解。いつ頃までに向かえばいい?」


『午前中に済ませたいから、九時ごろ来てくれる? 社員通用口は憶えてるわよね?』


「先月も行ってるから、忘れてないよ」


『警備員の和田に、よく言っておくから。何かされたらアタシに言いなさいね』


「わかった」過保護か。


『それと、午後からベットラー達と対戦してもらうから』


「え、対戦?」


『軽くよ。本当に軽く。駆動数値を見ながら十五分程度。……マモル、あんたもしかして太ってないわよね?』


「えっと、筋肉が太くなりました、かな?」

『体重(はか)れ。今すぐにっ』


 スマホを持ったまま脱衣所のところに向かうと、レトロな体重計があったはず。


「この体重計だと、六十……二?」


『十五歳よね。なにげに身長も伸びてたりするから……前回計測から六週で増減(プラマイ)三キロは正常範囲だけど。ねえ、今すぐ来れない? 身体検査し直さないとダメかもよ、これ』


「いいけど。朝食は食べないほうがいい?」


『そうね。量ったら食べていいわ。朝食くらい奢るわよ。てか、一緒に食べない?』


「テディの朝食って、キングバーガーとかドーナツじゃないよな?」割と真面目に訊いた。


『失礼ね。ホテルのビュッフェよ』食べ放題じゃねえか。


 さしあたりすぐ動くことを伝えて電話を切った。


 翌朝。バッグに着替えを詰めこみ、ベットラーの部屋に顔を出す。


「ベットラー。これから青山に行ってくるよ」


 バスタオル一枚かけて大の字だったドワーフは薄っすらと目を開けた。


「んぅ、あおや、ま……午後から……模擬戦、はいってたな」


「おれもさっき聞いたよ」


「機体調整によっては、そこまでしな……俺はもう少し、寝ていく」


「わかった。博士に伝えとくよ」


「ん。ったく、寝不足抱えたまま模擬戦とか……ドワーフを不死身か何かだと思ってんのか、あの天才様(ジーニアス)は」


 相場三兄妹もここ十日間は働き詰めで、お疲れらしい。

 行ってきます。ドアをそっと締めて家を出た。


「さて、行くか」


 地上が早くもけつくのを感じながら、おれは走り出した。


   §


 アーバレスト・ジャパン/社主室。

 東城景麒は朝の調剤を口に入れ、水で流し込んだ。


「始めてくれ」


 最高経営責任者の東城尚之が席を立つ。


「東京華僑グループ傘下の潜穽者二十名による落盤事件発生から二週間が経過している。【忌兵】の探査状況と潜穽(せんせい)計画立案を報告してくれ」


 会議テーブルに並ぶ取締役たちの表情は、期待、懐疑、猜疑、怪訝など様々だった。


 不告潜穽イリーガル・エントリーについては、もはや被疑者死亡を決め打ちするような発議だったからだ。


「それでは、戦略立案委員会より第1地下事業課・宇佐美(うさみ)孝之たかゆきがご説明申し上げます」


 50型液晶画面に電源が入り、タイトルロゴが入る。


【2023.8.13 DUNGEON No.2 IMIHYO/bottom】


「ボトムっ、底だと!?」

「浅い、【忌兵】は他のダンジョンとは比べ物にならん浅底なのかっ」


「【忌兵】は幕末時代に発見された、八施設で最古のダンジョンですよ。記録上の採掘目的は泥炭だったと思われます」

 警備部長・坊城(ぼうじょう)実祝(みのり)が抑揚なく言った。

「わめき散らすのは後にして、最後までご覧になってからお口を開きください」


 映像は入口から下降し続け、[03:24:48]で終了した。


「真っ暗なままじゃないか」


 さっきわめいた取締役の一人が、お約束のような言葉を吐いた。


「藪、幸せなやつだよ」取締役員の一人が力なく呟いた。


「なんだと? 君らには何が見えた?」


「藪さん。早送りですよ」別の取締役員も戸惑った口調で呟く。


「はっ、早送り?」


「あの映像、八倍速に早送りされていた。タイマーカウンターの速度を見てなかったんですか」


「坊城」東城景麒が声を掛ける。

「はっ」


「このドローンは、どこから工面された機体だ。東京都へ申請したドローン飛行許可範囲を超えている。警備部が初動配備した巡回ドローンではないな?」


 実祝みのりは神妙に低頭して、


「第7地下事業課のGPS誘導型追跡ドローンでございます」


「第7、[三島瓶割]いや、ミカコの私物か。――東園(ひがしのその)


 黒眼鏡の三十代半ばの男性スーツが体ごと上座を向いて、低頭する。


「総務部、委細承知しております。しかしながら、一機百七十万円のドローンを備品補償するのは、いささか」


「なら、褒賞として買ってやれ」


「恐れながら、御前。総務部といたしましては、当日、会談警備範囲外における第7地下事業課の損失と見ておりますが」


 東城景麒は涼しげな眼ざしで、自分の孫ほども年の離れた青年を見つめた。


「[三島瓶割]を警備外に置いたのは、警備部の意向ではあるまい? 東園」


 黒眼鏡はメガネを震える指先でお仕上げて、


「第7地下事業課は例の龍装を擁しており、此度のことは増長ぞうちょう推参すいさん(思い上がって出しゃばること)と見ております」


 東城景麒は残った水を飲んで、そっと息をついた。


「東園。お前の目には、これが増長推参の産物と見えるのか?」

「えっ。いえ、それは……風聞でございます」


 脊髄反射の弁明で本音を撤回し、あくまでも客観評価として取り繕う。処世術としては模範的であった。総務部が把握している内情に、取締役たちの顔に猜疑(さいぎ)が浮かんだ。


 景麒は続けた。


「私の耳には、誰の指示も出さぬ外様(とざま)の身でありながら、襲撃犯の車両を阻撃そげきして逮捕目前まで迫り、追尾を怠らなかったとの風聞(・・)が入っている。なのにその功労を褒賞で報いないのは、あの会談を守られた側として不義理だ。よって褒賞弁済とする。よいな」


「は……かしこまりました」


「東園。たった一機のドローンで狙撃犯追跡中にダンジョンの底まで到達してしまったことが不可抗力の僥倖(ぎょうこう)であっても、功績には違いない。そもそも東城ミカコはこれしきのことで功績と誇る者でもない。あの者の目標はあくまで、在日就労期間中にこのテーブルに座ること。その事実を持っての凱旋だそうだ」


 東園をはじめとする取締役員は沈黙を保つ。主人の言葉ががれるのを待つ。優秀であるがゆえに、主人に従順である姿勢を自らに課しているのだ。 


「龍装もそれを着る雛も当面、相場が育て、ミカコに統括させる。前の取締役会でそう決定した。変更はない」


「御意」

「余談だった。すまないな、宇佐美。会議を続けてくれ」



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