第54話 簡単に言うなよ。人の気も知らないで
八月中旬。
それから合宿は期間三分の二となる十日目を消化した。
おれは結城康介と市村季鏡に毎夜合流して一緒に走っているが、二人が昼間どうしているのかはもうまったく聞かなくなっていた。
二人は北池袋にある、中国武術のコミュニティに通わせてもらうことになったのは聞いた。
「そこの教室、一般的な健康メニューとは別に、裏メニューあんのさ。ガチのやつ」
黄道会の香主(女ボスという言い方は適当でないらしい。現地支配人が正確なのだとか)の黄暁明の口利きで、基礎の一から再教育を受けているそうだ。
二学期が始まってからも放課後に通えると二人は気を引き締めつつも、どこか嬉しそうだった。
それからほんの数日経っただけで、おれ達三人の口数は減った。
ただ高尾山を目指してひたすら走る。メニューをこなす。弱音や愚痴なんて吐いてる暇もないほど集中し、真剣になった。
俺もあの会談以後、ずっとキツい。
ランチタイムだけにセーブされていたはずのバイトシフトがディナータイムにも食いこむようになっていた。深刻な人手不足に陥っていた。
「黄道会だ。シャオメイが一声かけたから、えらいことになってる」
あのドワーフでさえ悲鳴をあげた。
ランチタイムは時間ギリギリまで行列、ディナータイムも予約はキャンセル待ちが一週間連続で続いた。もともと少数精鋭で回していた小さなイタリア食堂だ。中華飯店のように店のキャパが大きいわけではない。
「これ以上は、もう無理だ。盆休みを三日前倒し延長して、明日から店を閉める」
開店以来の好景気のさなかにオーナーが苦渋の決断しなければならないほど客層が様変わりした。損失を出してもクールタイムを入れなければ従業員の健康状態が保てなくなっていたのだ。
ミツルさんやフミヤの厨房係は両指にテーピングを巻いてフライパンを振っていたし、タクロウさんやツバメのフロア係も、チップをやらた渡そうとしてくる女性客の対応にヘトヘトだった。
おれは、そのチップをしっかりポケットに入れさせてもらった。「今回だけいただきます。お名前を頂戴できますか」と笑顔で受け取って名前を覚えれば、不思議と次回からチップは出さなくなる。季鏡の滑らない異文化トークがここで活きた。
彼らは店を気に入れば翌日もフルコース予約を入れてくる食欲と承認欲求の怪物たちだ。テーブルマナーを心得た上客ばかりなのが唯一の救いだが、とにかく彼らはよく食べ、よく飲んだ。
その食欲に、ベットラーは危惧を抱いた。
「今の客が黄道会ブームのそれなんだったら、その時期が過ぎた後に店が昔から贔屓にしてくれてた常連からの信用喪失に気づくことになる。そうなった時、この店は終わるぜ」
ベットラーの経営者としての先見の明は、従業員全員を納得させる力を持っていた。
「どうせだから、この休みの間に、店の修繕もしとくか」
スタッフに夏ボーナスを出し、創業六十年初となる二週間の長期改修休暇を発令した。
そのタイミングを待っていたようにアーバレストから[三島瓶割]が呼集された。
第十八次【忌兵】討伐作戦である。
「よし。二学期の予習も終わりっと」
辰巳の机で教科書を閉じ、四肢を思いきり伸ばすと結城と季鏡から連絡が来た。
モモンガ[にっかり青江から招集が来た]
チベタン[所属チームから招集が来た]
マモル[緊張してます?]
モモンガ[なまらしてるよぉおおほおお!]
チベタン[みんな初対面だと思えば緊張もあるが 楽しみでもある。
今日まで生き残れたのが自信だ]
マモル[二人とも本来この時のための合宿でしたからね]
モモンガ[四日目以降からずっと吐いてた記憶しかないわw]
チベタン[おれは高尾山で三度死にかけた 川で水を飲んでる夢を三度見た]
マモル[相場の特訓メニューは人間用じゃなかったですよ]
モモンガ[衛は[三島瓶割]で出るんだよね まだ現場で荷物持ち言い張るん?]
マモル[そうですね 免許の年齢制限ありますから また後方支援担当でがんばります]
チベタン[相手が法律だから仕方ないが 二年はもどかしいな]
マモル[何事も経験だと思ってます あの三人から学ぶこともまだまだ多いですから]
チベタン[そうだな おれも相場さんからまだ学び足りない 感謝してもしきれない
衛ありがとう]
モモンガ[ありがとうマモル]
マモル[ダンジョン潜る前から負けイベントフラグ立てるのやめてもらえます?w]
モモンガ[草]
チベタン[ww]
マモル[ちなみにさっき二学期の予習も終わりました]
モモンガ[お前もしっかり負けイベフラグ立てるんかい!]
マモル[相場は、創業初めて二週間も休業させて 店の修繕に入りました]
チベタン[やめろやめろ みんなフラグ立てすぎだろw]
モモンガ[草の草]
更新がそこでしばらく止まった。
モモンガ[最後にフラグ立てていい?]
チベタン[どういう意味だ?]
モモンガ[今回のダンジョンも 衛があの青い機体で出たら勝ちじゃない?]
マモル[そもそもダンジョンで勝ちって、どこで決めるんですか?]
モモンガ[知らず]
チベタン[親から聞いたことがないな そもそも採掘層から探索層へ入ることすら 困難だと言
われていた アヤダテの快挙は新聞に載らなかったが 官報と機関誌には載ったぞ]
モモンガ[新聞に載れば勝ちなわけ?]
チベタン[その急解釈にはとげがあるな 言い出したのは季鏡からだぞ?]
モモンガ[そうだけど なんか戦い果てしなくない?]
マモル[案外ダンジョンの底に何があるのかすら 誰も知らないとか?]
モモンガ[あり得すぎて、東京砂漠]
チベタン[もう寝よう 明日は午前中に壮行会でホテルに直行だしな]
マモル[おれ、それ聞いてません]
チベタン[壮行会は参加パーティだけだ 相場兄妹はアヤダテも参加しないのが通例になってる
むしろ前日まで後方支援部長と話し込んでるそうだ 後方支援スタッフは 別日に
資材搬入で呼び出しがある]
モモンガ[このクソ暑い時期に資材搬入とかタヒねる]
チベタン[そういう裏方があって 潜穽者は心置きなく戦えるんだ]
モモンガ[いいこと言った風にまとめるのオッサンすぎ]
チベタン[だったらお前はオバサンだ]
モモンガ[おい、ぶちのめすぞ!]
マモル「おやすみなさい。参加チームの情報待ってます」
イチャつき始めたので、おれはチャットを下りた。
「[フツノミタマ]が出れば勝ち、か」
おれは暗転したスマホを机に投げ出した。
「簡単に言うなよ。人の気も知らないで」




