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第53話 合宿メニューにない地獄メニューの始まり



 その夜、ベットラーが帰宅したのは日が昇りかけている頃だ。

 おれは玄関まで迎えに出たが、いつもの強面にはトップ会談の晩餐をやり遂げた達成感はなく徒労色の強い疲労があった。


「本当に間違いねえのか」


 自問のような問いかけに、おれは用意していた言葉で答える。


「運転手が[ダインスレイヴ]の名前を口にした。後で記録デバイスの音声チェックをしてみてよ。あの名前を口にできるのはベットラーの友達にしかいないだろ?」


「小此木とは、友達じゃねえよ。脊髄装甲の製造はたまたま見られて見逃してもらってた。ただの、腐れ縁だ。その気づき、他に誰にいった」


「ミカコ姉とその場にいた結城と季鏡だけ。もう一人は性別が男以外は解らなかった」


「そっちはさっき割ってきた。(ハン)士元(シーユエン)という元唐華帝国軍の特級狙撃手だ。会談があった夕方から音信不通だったらしい」


「元軍人?」


「三日目の夜に、俺たちを小金井公園までつけてきた車の運転手だよ。あいつは元オリンピックの銀メダリストだ」


 初対面からガキ呼びされたので、おれはすぐに思い出せた。


「黄道会と日本の警察官がグル?」


 ベットラーは押し黙ると、おれを押しのけて台所に向かった。冷蔵庫からビールを二本掴みだしてテーブルに座る。トルップを開けるなり一息にあおって握りつぶし、二本目を開けた。


「聞き回れば回るほど、どうなってるのか、さっぱりだ」

「小此木警部補とメキシコ華僑との繋がりは?」

「そこだ。そこが全くつながってこねえんだ」


 おれは、冷凍庫からパルムを取り出して袋を破りながら、


「メキシコの警察とは?」

「むこうの警察?」


「そもそもカルロス・ズールイ・ホイはなんで死んだ? マフィアが彼の死を隠そうとしてる? 違うよな。日本で隠そうとされていたのは、外から海で運ばれた行旅死亡人の存在だけだ」


 日本国内でカルロス・ズールイ・ホイなんてメキシコ人、誰も知らない。でも知ってる奴らは彼の死体に聞きたいことがあった。


「ホイの価値は、マフィアの倉庫番として溜め込んでたはずの百五十億の金の鍵だよな」


「そりゃあ……」


漆黒の五掌蛇(カサス・グランデス)は、すでにホイが死んだと信じて刑務所いるわけだろ? あとは金庫番の死で宙に浮いた百五十億の存在を知っているのは、死体を回収した現地警察くらいじゃないのか?」


 メキシコはキリスト教国、埋葬法は土葬が主流だそうだ。逮捕されたマフィア幹部たちは出所後に墓を暴いて目玉をくり抜くなり、指を切り落とすなりして使えば金を引き出せると考える。十数年、何十年先になっても金は安泰だ。


 しかしその汚れた金が欲しい警察官たちは、そうもいかなかった。


 当事者(マフィア)ではない彼らが死亡したホイの眼球や指を単品で持っていっても銀行は金庫を開けてくれないからだ。本人が生きていることが絶対条件のはず。そこで遠く海の向こう日本のダンジョンで復活させることを思いついた。


「そこまで考えついたのは誰だ? 小此木警部補やそのハンという人じゃないよな。その発案者こそがこの事件の言い出しっぺ、真犯人だ。なら、おれ達がどんなに探し回っても黒幕は日本にはいないよ」


「うっ、うぬぬ……」


「ベットラーが探偵のマネごとを始めたのだって、その争奪戦に首を突っ込むためじゃないだろ。二人に『馬鹿な真似はするな』と叱るためだろ?」


 おれはパルムをかじって、上品な甘さで口福に満たされる。


「ベットラーが戻ってこない間に、辰巳に調べてもらった。メキシコ国境町の警察署長がメキシコ在住の唐華人二世で、長年、漆黒の五掌蛇(カサス・グランデス)とも繋がってたみたいだって」


「本当か!? そうか、樊が小此木に持ちかけた可能性か」


「辰巳の感想だけど、なんかその署長、ホイの埋蔵金をつかって別の唐華帝国マフィアがメキシコで組織してる麻薬カルテル幹部の(イス)を買おうとしてる節があるらしいってさ」


 ベットラーは缶ビールの底をテーブルに叩きつけた。


「けっ。ふてぇ悪党だ。老後の天下り先にしちゃあずいぶん欲の皮の張った皮算用をしたもんだぜ。銀行側もとっくにそれをお見通しで、ホイが生きてるんならその証拠を見せろってわけか」


 ベットラーは何度もうなずくと急に我に返った顔をして、おれを見上げた。


「お前、今日の合宿は?」


 トップ会談があったから合宿は休み、とはならない。言うと思ったので、両腕を広げた。


「ちゃんとやったよ。基礎トレーニングの後に三人で八王子まで走ってきた。途中で何度も鬼を交替しながらね。走って届くゲームだから季鏡が大喜びだった」


「なら、なんでここで余裕かましてアイスかじってる。戻って来る時間が早すぎねぇか?」


 おれはパルムをかじって、目線を逃がした。


「会談警備に使った[ダインスレイヴ]でそのまま走った。せっかく三人とも蒸着してたし、始める時間もちょうど深夜で夜間市街迷彩だし。世間一般の目を引くこともないかなって」


「おいっ!」


「しょうがないだろ、蒸着解除する前にトレーニング時間に入ってたんだから。ちゃんと監視カメラに映らない屋上や森を走ったから。今朝の朝刊に載るヘマなんかしてないって」たぶん。


「ったく。なら、今朝は八王子のどこで引き返してきた」


「えっと、八王子城址? [ダインスレイヴ]のマッピングがなかったら遭難してた」

「そっちに行ったのか。まあ、今回はいいだろう。だが今度から」


「最終日まで蒸着しないよ。脊髄装甲はたしかに便利だけど、トレーニング合宿でラクしてたら心身(フィジカル)を鍛える意味ないからさ」


「当然だな。よし、今夜から高尾山だ。トレーニングも次の段階へ行く。無音疾走を教えてやる」


 帰りの速度が二倍になってたやつか。

 いよいよおっさんドワーフが忍者じみてきてるんだけど。



(リー)春季(チュンジー)……?」

 早朝。

 池袋の児童公園で結城康介と市村季鏡が套路(タオロゥ)の鍛錬をしていると、夏のチャイナ服を着た品の良い老婦人に声をかけられた。たぶん散歩中だったに違いないが、付き添う若い女性の目配りに隙がなかった。


「ごめんなさいね。稽古中に声をかけてしまって。知り合いに癖が似ていたものだから」


「いいえ。春季は、師ですが」


 季鏡がおずおずと言うと、老婦人はびっくりした様子で嘆息した。まさに嘆きの息をついた。


「なんということかしら。期間はどれくらい? あなたは三年、そちらは一年半かしら」


 言い当てられて、二人は思わずその場に片膝を着いた。師に叱られるときの条件反射だ。その後に竹竿が肩に飛んできたものだ。


「不肖の弟子ね」

「申し訳ありません」


「ううん、そうじゃないの。わたくしにとって春季が不肖の弟子だったと解らされたわ。上辺だけ気に入ったところを書き写したような所作は弟子をとっても変わってないようね。師を名乗る前に帰ってくればいいのに」


「あのぉ、師とはどのような」


 老婦人は扇子を取り出して軽くあおいでから、扇子を閉じて居住まいを正した。


「わたくしは、(ファン)暁明(シャオメイ)です。春季は没した友人から八年ほど預かっていたのだけれど、高校を出る頃にいなくなったの。あなた達は春季からどこで教わったかしら?」


「中学生の頃に北海道の札幌で期間は、あたしが三年。彼は一年四ヶ月です」

「まあ、そんな所に。ほぼ独学であれなら、弟子には恵まれたようね」


 二人は顔を見合わせた。三年で独学扱いされた。結構厳しかったのに。

 そろって拱手(きょうしゅ)してひざまずいた。康介がいう。


「近く、俺たちはアーバレスト・ジャパンの潜穽者(ダイバーズ)チームの一員としてダンジョンに入ります。目下、相場寅治郎氏の指導の下、合宿五日目に入りましたが、心身のレベルアップを模索する半ばでございます。二師に仕えんと欲する無礼愚徒の身ではございますが、武術の基礎を再会得しなければ、相場氏の特訓にも遅れをとる始末。何卒、ご教授ご鞭撻をいただきたく申し上げます」


「あらあら。寅さんの門下だったの。だったらお導きね。寅さんの家に案内していただける?」


「えっ?」


「昨日、とても楽しい会食だったから、彼にお礼を言うつもりで来たのだけれど。この辺の町並みがすっかり変わってしまっていて、少し……困っていたところなの」


 康介は跪いたまま、季鏡と顔を見合わせた。


「左様でしたか、それではご案内をさせていただきます」

「ええ、お願いね。あなたたちの鍛錬については彼とも相談しましょう」



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