第52話 狐と狸のトップ会談の外で
西池袋〈ラ・ベットラ・ダ・アイバ〉は、西池袋公園と小道を挟んだ東にある。
今夜、店先の片側一車線の車道に黒塗りのセダンが縦列駐車で埋められていた。
運転席に一人、車外に二人。公園内で物見高い夕涼みをする若者たちを無言で威嚇しているのが、五人。店に通じる北丁字路に二人。夜間で全員サングラスなのは電子暗視デバイスだ。顔を振るたびに内側のレンズが緑色に反射していた。
店の斜向かいにある七二階の高層マンションは屋上をアーバレストが仕切るらしい。だが都道441号線を外周とする大通りを監視している様子はない。彼らの警備対象はあくまでも主人であり、店周辺のビル群であり、黄道会の車たちだろうとミカコから連絡があった。
対して、黄道会は東ビルにある中華料理店〈太陽〉の店前に白いファミリーカーを三台並べ、Yシャツ姿の男達が十五人ほどがはべり、今日が終わるのを待っている。アーバレストに警備待機圏から締め出された形だ。
『警備01。二十時三十分。会談終了。御輿を店の前に』
『警備03、了解。御輿、移動します。二十秒後』
『指揮車から[ノーム]各員へ。国道441号よりグレイのSUV車が時速七十キロで北上中。池袋署前の交差点を通過後、減速傾向。助手席、開放。火器を捕捉』
池袋警察署前を通過した時点で、おれは動いていた。
七二階の高層マンション屋上から飛び降り、下げたワイヤーで西池袋公園側を回り、遠心力で目標のグレイ車両に背後から迫る。タイミングはドンピシャだった。
車は西池袋一丁目で大通りを通過し、北上しながら助手席のガラス窓を下げて黒い棒状を押し出した。車で移動しながら一刹那と言える時間を抜いて、脇道一二〇メートル先の退店する人物を狙うつもりらしい。プロの殺し屋か。
――店前で暗殺事件とか、店の評判に傷をつけられるのは困るんだよ!
[ダインスレイヴ]は屋根に着地するや、絶縁小太刀を鞘走らせた。
鋼鉄の屋根に〝三〟を描く。
前から風でめくれた屋根をキャッチし、両足に体重をかけて後部座席に侵入、運転席の[フラガラッハ]がこちらを振り返った。
「だっ、ダインスレイヴ、だとぉっ!?」
助手席の狙撃手が外に向けていた銃口をこちらに返すのと、おれが掴んでいた前屋根をシートの後ろに立てかけるのは同時だった。
銃声よりも衝撃のほうが大きかった。鉄板に小さな丸いタンコブができた。相当強い弾丸だったらしい。おれは後ろによろけ、とっさに体幹を支えようと座席に片膝をついたらノートパソコンを踏み割っていた。
……やべ、こいつらの証拠を壊したかも。
「[ノーム1]、任務完了。揚げろ」
たちまちワイヤーが引かれ、おれの体が車内から引き揚げられた。
オープンカーにされた襲撃車両の助手席でライフル銃が再度おれに構えられたが、銃声は鳴らなかった。あのノートパソコンが照準を安定させていたのかもしれない。
『[ブラガラッハ]二機をGPSマーキング。追跡、開始。ドローン出動要請』
『[ノーム2]から[ノーム1]へ。地上におろしたほうがいいか』
「いや、揚げてくれ。この未登録機体が一般に見られるのはマズい」
『そうだったな、了解』
『[ノーム3]から[ノーム1]へ、バンジージャンプ、楽しかったっしょや?』
「ちょっと、チビった」
爆笑。作戦立案したミカコまで笑うことないのに。
車の装甲を貫通しそうな弾威だった。あれが守ってくれなければ、おれの体を貫通していただろう。
池袋トップ会談を狙って犯行車両が現れるなら、池袋警察署の前を堂々と駆け抜けて現場に車ごと突っこむか、車道を走りながら警備の外から狙撃する二択だとミカコは計算した。
『警備部が、屋上に広範囲の熱源探知に強い[セクエンスⅡ]をテーザーライフル付きで八機配備させてるから、制空圏はとれてるから』
うちの上司ですら交通量の多い池袋で猛烈な速度を出せるはずもないと踏んでいたのに、暗に相違して時速七〇キロでの接近は、ミカコを内心慌てさせたらしい。後に述懐する。
『列車の窓から狙撃するみたいなシチュエーション、演算サポートもなしに不可能だから。どんな運転技術があっても狙撃直前に速度は落としてくるって信じてた』
襲撃から守る警備が襲撃犯を信じる。自己矛盾のような気がしないでもないが、実際におれが踏み割ったノートパソコンがそれだったのだとすれば、無力化には成功したのかもしれない。
「二人も、おれの体重に振り回されなかったか」
『実は、あの振り子運動は正直、笑えなかった。途中からビルの壁際に両足かけて地面と平行になってこらえてた』
『あたしは、康介の肩に足掛けて踏ん張ってたよ』
『屋上警戒していた警備部からも呆れていた。やっぱりうちの作戦、色々無茶があったよな』
『聞こえてるわよ、あんたたち。終わり良ければ全て良し。これ日本語あってるわよね?』
おれ達は沈黙で、作戦指揮者の鬼謀にささやかな抗議をアピールした。
「悪いんだけど、まだ作戦継続かもしれない」
高層マンションの地下駐車場。
82式指揮通信車(愛称コマンダー)の助手席から悩ましい脚線美を出して、ミカコが[ダインスレイヴ]三機に告げた。
「未遂犯は北西へ逃走進路を東に取りはじめてるわ。おそらく【忌兵】――水元公園に向かってる。自分たちの計画破綻を悟って、カルロスのゾンビ体を回収しに向かった可能性が高いわ」
「【忌兵】の採掘層は、爆発物で崩落した件はどうなりました?」
結城が訊ねる。司令車内でパソコンキーが叩かれる音がして、
「国交省とアーバレストの合同調査委員会の本格的な立入り調査は明後日の〇八三〇時。現段階ではまだ地上の探知車で検知した振動から規模を推定した以上の詳しいダンジョン情報は更新されてない」
ミカコは座席に横座りしたままディスプレイをにらみ、胸の下で腕を組んで右の指でこめかみを叩いた。
「東城さん。今から犯人を追いましょう」結城が身を乗り出した。「ダンジョンで犯人である物証を掴めば、申し開きはできます」
「コースケ。髄液の残量は? ダンジョン潜穽後の補給は?」
「う……っ」
「ユウキファミリーはかつて、その真っ直ぐな功名心から、見切り発車で損害を出した上に物証を掴み損ねて東城の不興を買った。聞いてるわよね?」
「それは……はいっ」
「勇断と無策、慎重と臆病は違うわ。後で悪意ある連中から揚げ足を取られないために足場を固めながら進むべきよ。ここは、ない知恵を絞らなきゃいけないフェーズ。わかるでしょ?」
「はい……すみません」
「うん、でもね。布石は打ってあるわ。あなた達のおかげでね」
「えっ、布石?」
「後で分かるわ。撤収しましょうか」
「ねえ、これからベットラーに会談の内容を聞いてみたら?」
おれの提案に、ミカコはインカムを付けたまま助手席を降りて歩き出していた。
「あなた達はそこで待機してて」
「電話で聞けば?」
「トップ会談なんだから極秘内容に決まってるでしょ。電話なんかで素直に教えていい話じゃないしね。ほのめかしでもいいから糸口見つけなきゃ。ついでになんか作ってもらってくるわ」
そこへ軍靴の音が地下駐車場のエレベーターから吐き出された。
「はーい、皆の衆。今日のお仕事は終了でーす。ナディア・ミカコがまた人の手柄をもっていきやがったせいで、定時上がりになりましたー」
テンション投げやりな女性の声とともに、藍鉄色の脊髄装甲[セクエンスⅡ]が七人を連れて地下駐車場に現れた。
「ミノリ?」
「なんで疑問形。声で気づけよ。UCLAの経営ゼミ以来だろうが」
「直近でそこだっけ。こっちに話しかけたってことは、いい話?」
「さしあたり今日はそこのガレージキットパーティを解散させなよ。【忌兵】への合同潜穽が決まったわ。ついさっきよ。近日中に招集かけるから大人しくしてて」
「今オフシーズンだけど。誰が決めたわけ?」
「御前以外の誰がいるわけ。とにかく今日はこれでおしまい。聞いたわね。伝えたわよ」
「襲撃犯どうすんのよ?」
「襲撃阻止と、マーキングご苦労さま。ドローン八機で水元公園監視中。報酬はその〝未登録〟ガレージキットの秘匿相殺でいいわよね。総員、乗車っ」
疾きこと風の如しとはこのことか、警備部の女指揮官はテキパキ現場を決めて二台のワゴン車に分乗し、迅速に地上へ走り去っていった。
「冗談でしょ。ダンジョン内で泳がせる気……っ?」
「ミカコ姉。それじゃあ、おれ達ほんとうにタダ働き?」
「それは最初からよ。私が突発のバイト代くらい出すわ。先に車乗ってて」
ミカコはヒールを勇ましく踏み鳴らしながら、地上へ歩いていった。
「あのさ、ミカコ姉」
「んー、注文? 今夜は簡単なのしかできないと思うけど」
「ベットラーに伝言を。それをどうするかは、おれには決められないから」
おれは一つ頷いて、自分の判断が間違いないことを伝える。
「そう、いいわ」
「おこのぎ。そう伝えてくれるだけでいい」
「おこのぎ?」
おれはアーバレストを除き、ドワーフの自作機[ダインスレイヴ]の名前を知っている地上人は、そう多くないと思っている。




