第48話 真夜中の尾行
三日目の夜。
また池袋から八王子まで走る。
「ちぃっ。いねのやつ、どんなアドバイスしやがった!?」
ベットラーの悪態は、おれなりの解釈が満更でもないことの証明だった。
前を行くベットラーの走り方は、おれが会得しつつある祖父の影を具現化したものだった。
自転車でもすぐには追いつけなさそうな速度で先駆ける筋肉妖精は、それでも頭に盃を乗せれば一滴の水も外にこぼれないのだろう。
あの背中に無駄が一切ないのだと、今なら見えてきた。
いねはドロップしろと言った二リットルの水が、この往復で意味を持ってくる。走りに集中すると背中のペットボトル内の重さや揺らぎまで気にならなくなってきた。
体の軸が安定すれば、走っている間だけ質量を無視できるのだ。
無視できた余白の意識を、前を行く標的にだけ集中すればいいだけだ。
やがて練馬区を出た所で、おれはベットラーの背中にそっと触れた。
「なっ、衛か!?」
合宿長の驚いた顔を向けてくる。おれも勝ち誇りたいところだが、笑っていられる状況じゃなかった。
「ベットラー、聞いてくれ。おれたち、尾行られてるかもしれない」
「っ……いつからだ。車は見たか」
「黒のワゴン。たぶん品川ナンバー。練馬に入る前におれ達を追い抜いていったはずなのに、今また後ろにつかれてる」
「bene.康介坊っちゃんを心配した松田たちが見に来たかどうか確かめとくか。この先の小金井公園へ行く。二人にも伝えとけ。念のため、銃の存在も考慮だ」
「D`accordo.」
小金井公園。
地方から出てきたおれにはよく知らない場所だ。
「あたしらもこっちには滅多に来んねえ。親が普段やりもしないゴルフに付き合って、遊び場でずっと遊んどったよ」
季鏡が懐かしむ。
「あったな。蘭丸がドッグランではしゃぎ疲れて動けなくなって、帰りは駐車場までオレが背負わされて大変だったな」
結城までおれが反応に困る思い出話を口にする。
蘭丸は結城家で飼われているチベタン・マスティフだ。たまに画像が流れてくる。たぶん全長二メートルはある。結城は会わせたいと言ってるが、おれは丁重に断り続けている。怖い。
「まさか荷物だったペットボトルに、こんな使い方があるとはな」
「ね。わからんもんだねえ」
ゴルフ場内にある雑木林まで誘い込む。マグライト片手に追ってきた男二人に、樹上から二リットルのペットボトルを落とした。重量にして二キロだが、底面からタテに落とすと自由落下速度がハンマーの役割となって衝撃する。狙い通り当たり所が悪かったらしく、見事に昏倒した。
おれが拾ったマグライトで所持品をあらためる。
銃は持っていなかったが、財布に四年前に残留期間が切れた外国人在留カードを持っていた。国籍は唐華帝国。所持金は二万三千円、割と持っている。あとスマホも国内メーカーで不法滞在しても通信は必須アイテムらしい。
「こっちも、唐華人。夜間のランナーさ狙った拉致強盗にしては羽振りがいいねえ」
季鏡と結城がもう一人のをチェックする。
「衛、どうする?」
「スマホは彼らのリーダーに返すとして、このままにしておきましょう。あとは我らが合宿長がリーダーと話をつけてくれるでしょうから」
おれ達は数減らしの陽動だ。尾行が複数人なら追いかけて来ることを想定した。夜中に何をしているかの確認を取りに来るはずと踏んだが、その思惑が当たって二人を仕留めた。まだ車内に三人以上残っているとベットラーも苦しいかもしれない。早く合流したほうがいいだろう。
すると、スマホが震え始めた。
「あたし、北京語できるよ。出ていい?」季鏡が得意げだ。
「相手が広東語だったら?」
「いや、男性のスマホに女性が電話に出た時点でアウトでは?」
結城の天然ツッコミにおれが真顔を向けている間に、季鏡が電話に出た。二言三言話して電話をきる。
「二人とも気を失ってっけど生きてるよって言ったら、切れた」
「ということは、尾行は三人組。交渉役は相場さんと一対一か」結城がのっそりと立ち上がる。
「ペットボトルとスマホだけ押収して撤収だな」
「ですね。戻りましょうか」
軽い運動にもならなかったが、ずっと走り続けていた単純運動の気晴らしにはなった。
「なあ、衛。さっき相場さんに追いついて、背中にタッチしてたよな」
ゴルフのフェアウェイを横切って戻りながら、結城が神妙な声を向けてきた。
「俺たちと何が違う?」
「違いませんよ。同じです。ただ、逃げ手の走り方を真似ていたんです」
「相場さんの走り方を?」
「ええ。股関節の回転を上から筋肉で押さえ付けないように走るやり方です」
「昨日の今日で、そこまで気づけたのか?」
「実は昼間、相場いねからアドバイスをもらって、それでバイト行くまで練習してました」
「いね。相場さんの妹の?」
「どうやらおれは[三島瓶割]ぐるみで成長を待ってもらっているみたいで、なんか過保護にされてます」
自分で言ってて情けないやら申し訳ない気持ちになってきた。あのドワーフ三兄妹はなんだかんだ、おれに優しい。
「手前勝手なことを言うなっ」
ベットラーの怒声で、おれ達はにわかに緊張した。
「この東京で東城の顔を潰したら、組織の立場もなくなるんだぞ。シャンチュ。おい、聞いてるのかシャオメイっ、シャオ……くそがっ」
スマホに叩きつけられるベットラーの棘逆立つ声は、おれたちを緊張させた。
「帰るぞ。今日はもうここまでだ。――おい、ハン。今度おれの邪魔したら、オフィスに怒鳴りこみに行くからとシャンチュに伝えとけ、いいな。絶対いくからな!」
「阿公(お爺さんの敬称)。見張ってただけですぜ、そうカッカしないでくださいよ」
「うるせぇ! お前らが東城に楯突くかどうかなんざ知ったこっちゃねえ、好きにしろ。だがあの件で、東城景麒の向かい風に立つなって言ってんだ。東城はあの件の始末に動き出してる。そこにお前らが割り込んだら、被害がお前らだけじゃ済まなくなるから、言ってんだっ」
釘は刺したぞと言わんばかりに話を打ち切ると、ベットラーは一人で来た道を戻り始めた。
おれが二人分のスマホを運転席の窓に放り込むと、結城と季鏡を連れだって後を追った。
「おい、ガキども。こっちの二人は無事なんだろうなっ?」流暢な日本語だ。
「八番ホールの茂みで気を失ってますよ、気がつけばここまで戻ってくるんじゃないですか」
愛想なく応じて、おれ達はベットラーを追った。
復路ペースは往路の二倍速くて、せっかくの成長をもってしても追いつけなかった。
池袋に戻ってきても、ベットラーは言葉少なめだった。総括もなし。
「朝はいらん……ちょっと出かけてくる」
と言い残して、自転車で何処かへ出かけていった。
「ベットラー……やっぱ、あの件なんだろうな」
スマホが鳴った。着信は、ミカコからだ。七月の二週間程度なのに、随分久しぶりに感じた。
『たっだいま~ぁ。衛、今日リッカちゃんの所にいかな~い?』
異様にテンションが高い。妹の見舞いのお誘いがきた。
まだ寝てなかったから気安くオッケーした。
ベットラーが苛立ち、ミカコが明るい。
何か事件が悪い方角からこちらへ転がってこようとしている予感がしてならなかった。




