第47話 ブラガラッハの思惑
「おいっ。おい、マモルっ。こんな所で寝るんじゃねえ、邪魔だ」
脇腹を足先で小突かれて、おれはうっすらと目を開けた。夏の明るさが目の奥に刺さる。
「ここ、は……?」
「便所だよ。酔い潰れてんのかよ」
未成年にかける言葉じゃない。
相場いね。
帰化ドワーフ相場三兄妹の末妹で、態度のサイズだけならこの家で最大だ。スコットランド系の童顔に赤毛の三つ編み。愛嬌はあるのは首から上で、下の筋肉には一ミリの愛嬌もユーモアもない。一六〇センチで体脂肪率一桁は、格闘家を思わせる。実際に格闘も強い。
見た目が百年以上も二十代前半をいいことに、早々にリクルートスーツに飽きてアーバレスト本社へTシャツとショートデニムで通おうとした猛者だ。サマージャケットにサテンパンツは、おれがない知恵を絞り、ミカコのコーディネイトから類推して勧めた。
「いま、なん、じ……っ?」
「七時前。さっさとどけよ。あたしが用を足せねぇだろうが」
おれは台所へ這って戻った。冷蔵庫の前で仰向けに倒れる。
『兄ちゃんは?』
トイレのドア越しに話しかけてくんなよ。
「知らない。家には一緒に帰ったはずだけど。車は?」
『あった。けどチャリがなかったぞ』
ベットラーはタバコを呑まないから衝動的に買いに出たとは思えない。
『それはそうと、おまえら夏合宿してるんだってな』
「え。うん。今朝も八王子まで走ってきた。触ることもできなかったから、今夜も八王子」
『水、背負ってか?』
「そう、いねも知ってるトレーニング?」
『懐かしいねえ。辰巳とやらされた。コツ教えてやろうか』
「ぜひ。うまくいったらアイス奢るよ」
『おいおい、重要情報だぜ? シケてんなあ。パルム、冷凍庫に入れとけよ』
トイレの水が流れた。ややもして、いねがサテンを上げながら出てくる。
上げて出てこい、ノンデリ筋肉妖精。
「背負い水、あれ行きで捨てろ。罠だ」
「あ、やっぱり?」
「走ってる時にペットボトルの中で水が揺れるだろ、あれで体幹の重心が振り回されて感覚的には走れてる気になっても実際は重心が揺らされて、その分の筋力とスタミナを削られてる」
「そうだったのか。それなら補給は?」
「だから、往路で水入りのペットボトルをどこにドロップするのかが鍵になる。自分たちが見やすい明るい場所はダメだ。兄ちゃんに見つかったら、それ蹴って逃げるぜ」
「でも位置情報はスマホ持ってないし、道路標識からも遠ざかってるから把握しづらいんだ」
「訓練なんだから、たりめーだろ。そこをどうにかするのが、兄ちゃんとの知恵比べになるんじゃねーか」
なるほど。おれは冷蔵庫から炭酸水を二本取り出した。一本を女ドワーフに渡す。
いねは炭酸水を半分減らしてから、
「あと、兄ちゃんの走り方をよーく観察しろ。あれが訓練の始まりにして、全訓練のすべてだ」
「走り方?」
「すめらぎナントカ流って東城家の警備員だけが知ってる門外不出の技なんだと。詳しいことはあたしもよく知んねーけど。上半身に頼らねえ走法で、常に両手をあけた状態のまま速く走れるらしい。あれがダンジョンでできれば、マモルの生存率も三割は上がるかもな」
「そうなんだ。それってプロチームもやってる技なのかな」
「ばーか。東城家の警備員だけが知ってる技だつったろ。他の奴らは他の技使ってんだよ」
怒ったようにいねが話を打ち切ると、おれは微苦笑した。
「ありがとう。パルム、忘れずに入れておくよ」
「おう。忘れんなよ。あと洗濯モン、風呂場に置いといたからな」
「え……D'accordo(了解)」
家事全滅の同居人は、当然のように家事を押し付けていった。
常に両手を開けた状態で速く走る方法。
それと似たようなものを一度だけ、祖父から見せてもらった記憶を思い出した。
頭の上に盃を置き、一滴の水もこぼさずに座り、立ち、歩く。
そして、切っ先を構え――、斬る。
『本来は、手ぶらでやらなくちゃいけねぇんだが、それじゃあ芸がねえからな』
酒を二合だけ飲んだ後のたわむれに、お猪口を頭に置いて立ち上がり、扇子を振る。
あの頃のおれは幼くて、祖父が何をやっているのか、なんの意味があるのか解らなかった。
今、あの時の祖父を思い出して、おれは絶縁小太刀を振った。
「違う」剣を振る。「違う、こうじゃなかった」剣を振る。「今のは零れた。もっと安定させろ」
剣を振り、身を翻し、振り返って構える。前に進む。何度も。
「っん。今のか? これを、この状態で……っ」
汗をほとばしらせ、前に進みながら剣を振る。身を半転させる。
そこに、扇子を構える祖父がいた。
斬る。真っ直ぐに。
扇子で受け止められて、微笑とともに消えた。
おれは絶縁小太刀を納めて、影が消えた場所に会釈した。
「忘れないうちに、パルム買ってこよう」
いねは食べ物の約束は、とくにうるさい。
§
新宿駅。
大型の旅行ケースを牽きながら、美女がワンピースでターミナルから現れた。
「おーい、ここだ」
俺は自転車にまたがり手を挙げる。
「これから青山かい、お嬢?」
美女はアーモンド色のサンダルでつかつかとやってくると、
「呆れた。何なのその姿、トライアスロンでもやってたの。それと、呼び出しておいて行き先を訊ねるのはマナー違反よ。ベットラー」
「悪かったよ。で、頼んでいた新聞記事は」
「まったく……あったわよ。かなり大きな記事になってた」
美女は不機嫌を表明したままスマホを取り出し、スクリーンショットした画像データを送る。
メキシコの新聞記事だ。日付は二週間前。当然スペイン語で書かれている。
俺は悠然と単語に目を走らせた。
【一斉摘発 漆黒の五掌蛇 最高幹部ハビエル・ハオラン・リー逮捕。金庫番で側近幹部カルロス・ズールイ・ホイとの行方を捜索中。パナマの口座にホイの生体認証が必要。ホイが逮捕されなければ、少なくとも一五〇億ペソのファミリー資産が所在不明のまま】
「お嬢。現地情報はこれだけか?」
「新聞記事はね。ニューメキシコシティの警察から、ちょっと妙な話を聞いたわ」
「さすが我らが指揮官殿だ。それで?」
「漆黒の五掌蛇の一斉摘発に入る数時間前に、リーの名義と思われる海輸便が東京港に向けて送られてる。種別は行旅死亡人」
「死体をわざわざ海上輸送した?」
「ね。変でしょ」
「受取人は」
「警視庁捜査一課。アメリカで海事局にも確認とったわ」
「メキシコから贈られた死体を受け取ってるかって?」
「そう。そしたら、そんなプレゼントは届いてないって」
俺は、衛が辰巳に画像解析したデータを彼女にも送信した。
美女は受け取った画像に、目をすがめた。
「この脊髄デザイン、もしかして[ブラガラッハ]?」
「御名答だ。三日前の、水元公園だそうだ」
「国内で、あの機体を使用してる企業は一社もなかった気がするけど?」
「ここまでがこの事情の種明かしだ。というわけで、アーバレストは【忌兵】に関する潜穽依頼の危険性を忠告しておくぜ。こいつはもう警察の領分だ」
「その警察から潜穽依頼が来たら?」
「[三島瓶割]は断ってくれ、他に回してくんな」
「ベットラー。警察に恩を売っておくのって割と重要よ?」
「お嬢、そいつはちょいと物見高すぎるぜ。この件に国内の華僑が黙ってると思うか? ホイの目玉一個、指一本で一千億のメキシコ埋蔵金が手に入るんだぞ?」
「たしかに、ウチが掻っ攫っても、恨まれるだけかもねえ」
「ましてや【忌兵】は……そういうことか。リーめ。どこであのダンジョンの情報を」
美女指揮官を見ると、ニィッと笑いやがった。以心伝心。タフなお姫様だ。
「ヴォイドガスでメキシコから運び込んだホイの死体をゾンビ化させてメキシコに送り返す。するとあら不思議、漆黒の五掌蛇も大復活! ファンタジックでエキサイティングなヤクザムービー・イン・メヒコー開幕!」
「お嬢。その極楽とんぼみてぇな三文映画は、まだ事件の部外者だから笑い話ですんでるんだぜ。奴らの中に飛び込んでみろ、水元公園周辺が戦場になっちまうよ。地元の幽霊もいい迷惑だぜ」
「そうね。この件は保留にしとくわ。それで、マモルの〝修業〟はどう?」
「修業じゃねえよ。ただの合宿だ。まだ二日目が終わったところだよ。さっき、いねがマモルにヒントを与えたらしいから、今夜あたり、芽が出始めるかもな」
「私も見に行っていい?」
「夏休みの宿題を終わらせたらな」
「宿題ですって? なんで夏休みに宿題しなくちゃいけないの? サマーキャンプなんでしょ。参加させてよ」
合衆国育ちの美女に不思議そうな顔をされたので、ベットラーはどう説明したものか悩んだ。
「最終日に腕試しでどこかのダンジョンに入る。その時の指揮官席なら空いてるかもな」
言ってから後悔し、俺は自転車で逃げた。
東城ミカコは満面の笑顔だった。そのタイミングで【忌兵】を攻める気になったのだ。
成り上がり令嬢が恩を押し売る相手は、メキシコ政府あたりか?




