第46話 ペンネ嫌いの目撃者
西池袋〈ラ・ベットラ・ダ・アイバ〉。
牧丘燕から相談を受けたのは、その日のランチタイムが終わった午後三時頃だった。
いや、相談じゃなかったのかも。
「なあなあ、マモル。心霊写真とか興味ある?」
スタッフルームで二学期の予習をしていると、寄ってきた。
ツバメは立喬大学二年生の二十歳。大学受験後にこの店のペペロンチーノを食べてバイトを決めたのだとか。
希望は厨房だったが、厨房チーフの美弦さんが「牧丘はフロア向き」と指定されて現在に至る。その判断は慧眼で、ツバメはフロア係チーフの啄郎さんに服装指導され、今ではフロア係で燕のように動き回っている。
本人は「タクロウさんのお陰で女にモテだした」とご満悦。
タクロウさんは「推してもらったミツルへの感謝が足りねえよ」と苦っているのだとか。
特技はカメラ撮影で、本人は趣味だと言い張る。店のメニュー掲載を始め、スタッフ写真や店のホームページもツバメの写真が使われている。オーナーがデキを見て追認すれば、店経費で撮影ボーナスが出たからだろう。それほどに腕は良い。
日常で金になる特技がないおれには羨ましい限りだ。
ここ最近はその腕もスランプになっているようで、評判が良くない。
「おーい、ツバメ。この間のペンネの再撮影、また光あたってねーんだが?」
スタッフルームのドアを開けて、廊下からタクロウさんが顔を出す。
「タクロウさん、オレ、ペンネ嫌いなんすよねぇ」
「はあ? 何いってんだ、お前。ミツルはともかくフミヤが聞いたら瞬ギレされるぞ。意味わかんねーこと言ってねーで撮影準備しとけよ。もう撮影用のペンネは鍋に入ってんだからな。今夜のディナーで厨房からペンネが出なかったら、お前のせいにされても知らんぞ」
「ひでー。それ、パワハラじゃないっすか。へいへーい、やりますよぉ」
おれに見せるはずだったスマホをテーブルにおいて、自分のロッカーから撮影器材をゴソゴソと引っぱり出し始めた。
おれは予習を再開しようとして、ふとツバメのスマホ画面に目をやった。
見間違い。いや何かが視神経をかすめた。
シャープペンシルの尻で画面を小突く。スリープモードで暗転しているわけじゃなかった。
「ツバメ、これのどこが心霊写真なんだ。画面まっ暗じゃないか」
「マモル。今ごろ食いついたんか。反応遅ぇって」
「勉強中だったからだよ。これのどこが心霊写真なんだ?」
「一昨日の、水元公園の森の中で撮ったんだよ。ほら、あそこって巨木の雑木林あるだろ?
あそこからの満月が欲しくてさ」
「満月が、なんで心霊写真に化けた?」
ツバメはカメラの本体にレンズを組み立てながら、
「その辺うろつきながら、あちこちで満月撮ってたんだ。んで、あと二、三枚だけ余ったから。ふざけ半分で幽霊撮れねえかなあって。森の奥の観音像に向けて撮ったら、写ってたわけ」
おれはツバメのスマホ画面を手にとって目を眇めたが、どこに幽霊が写ってるのかさっぱりわからない。でも違和感が拭えない。気持ち悪い。
「仕事にでる前に、幽霊がどこにいるかだけ、教えといてくれないか」
「なんだよ、マモル。そんなに好きなの、心霊写真?」
「好きじゃないけど、水元公園は最近聞いたんだ。色んな意味でヤバいって」
「ヤバいも何も、昼間の水元公園は普通だって。ただ夜は江戸時代から続く由緒ある心霊スポットだぜ。地元のバイカーとか肝試しであの辺走って、たまに事故ってるし」
ツバメはカメラを持って、おれの隣に座り、スマホを二本の指先で広げてみせた。
画像拡大。それを三回繰り返してやっと大木と大木の間に、小さな白い人影が現れた。
「まあ、使ってたカメラがアナログだから拡大すると画質粗いんだけどさ。でも夜闇に白い着物とか幽霊の定番じゃん?」
人が背を向けて歩いている姿にも見えるが、何かを肩に担いでいるようにも見えた。
おとといの深夜。水元公園――。
多分、間違いない。
ランチタイムが終わり、ディナータイムの仕込みが終わるのは夕方の四時。そこから五時までスタッフは自由行動となる。
厨房チーフのミツルさんは、二階の大部屋で仮眠を取る。タクロウさんは行きつけにしている近所のコーヒーショップ、ツバメはパチンコと称してカメラ片手に街をぶらついている。
おれとオーナーは、合宿に備えて帰宅だ。
助手席に乗り込むと隣でベットラーはシートベルトを引き出さず、疲れた息を洩らした。
「辰巳から連絡が来たぞ」
エアコンから生暖かい風が車内を冷やすまで、アイドリングが続く。
「心霊写真の鑑定結果とか言ってくるから、何のスパムかと思ったぜ」
口では迷惑そうだが、怒ってなかった。水元公園に出た心霊写真は、ベットラーの推測を補強したようだ。
「どうだった。幽霊見たり?」
「うん、大した枯れ尾花だ。なんとも面倒くせぇことになりそうだ」
「それじゃあ、やっぱりあれ、脊髄装甲なんだ?」
ベットラーはエアコンの風向を自分に向けてドア枠に肘をつき頭をかいた。
「辰巳の分析通り[フラガラッハ]なら、アメリカ南部の機体だ。生産工場は唐華帝国の資本で七、八年前まで製造されてたんだったか、今は製造停止になってる。それがいまだに投げ売りされてんのかアフリカや中南米の鉱山やマリファナ農場じゃウケがいい。フェイスガードの衝撃に弱いって特徴とも一致してる」
「なんで、そんな弱点があるの?」
「アメリカ南部は寒暖差が激しい土地柄らしくてな、情報デバイスが気温気圧で狂いやすいそうだ。おまけに世界的に悪名高い電子機器メーカーの安価デバイスを取り付けてトラブルが続き、人死にまで続出して大問題になった。[フラガラッハ]はその脆弱デバイスの受け皿にされちまったんだ。過熱ショートを防ぐために緩衝材や防顔装甲板を入れてないんだと」
「脊髄装甲って作業安全性が命なのに。じゃあ、その情報デバイス不備のままあの事件に?」
「今どき[フラガラッハ]なんて珍品を日本に持ち込む発想自体がどうかしてる。どんなカラクリなんだか」
「それ、警察が把握してない機体、とか」
ベットラーはシートベルトを引き出す手を止めた。
「警視庁の外事部あたりなら海外の事件ソースくらい持ってるだろうがな」
「ベットラー。この事件はまだ悪質な交通事故、池袋署で止まったままだ。メキシコ華僑は絡んでたとしても、脊髄装甲が絡んでるなんて一言も出てないよ」
ベットラーはシートベルトを挿すと、鼻を鳴らした。
「なあ、衛。たまの夏休みくらい、穏便に暮らそうぜ」
「対岸の火事から火の粉が飛んでこないうちは、だろ?」
「まったく。最終日が水元公園――【忌兵】になるのだけは勘弁だぜ」
パーキングブレーキをあげて、アクセルを踏んだ。
合宿二日目の夜。
結城康介は、市村季鏡から集合場所の小さな公園で唐華武術の指導を受けていた。
「変な動きしてるっしょ。〝套路〟っていう武術の基礎の基礎よ」
「変な動きには見えないよ。人体流動はウチの流派にもよく似てる」
「套路は、日本拳法や古武術にも種を飛ばしてると言われてる。唐華四千年の歴史と誇るならこれのことだと思う」
結城は何かを取り戻そうとするように、ひたすら基礎の反復練習に汗を流す。俺は以後、彼らを見ず、腕立て伏せを続けた。一〇〇回三セット。
そして今夜から本格的な合宿メニュー〝鬼ごっこ〟が始まった。
「八王子まで走る。それまでに俺を捕まえられたらUターンして戻ってやる。スマホは持ってきてないな。出発」
一般道路で片道四五キロ、徒歩九時間の距離。もちろん、逃げ役が正規の舗装道路を走るはずもない。町は明るい。おれ達はそれを避けるように建物の上にある闇をひた走る。
頼りは、全員で着込んだ夜間交通整理員の安全反射ベストのイエローサインと背負った二リットルの水。実は往路中の負担重量になってると気づき、げんなりした。体を軽くするために早く飲んでしまいたいのに復路の補給を考えれば残しておきたい、このジレンマは拷問だ。
〝脊髄装甲〟もグラップルガンもないのに、先頭の筋肉妖精ドワーフは鳥影のように金網フェンスに跳びつき、コンクリートの壁を乗り越えていく。
俺たち三人は言葉を発する余裕もなくベットラーを追いかけた。
あの背中を捕まえることはおろか、見失ったりでもすれば朝まで迷子だ。
位置情報を確認できるスマホがない夜行走破は恐怖でしかなかった。
朝の四時。
生きて還れた。命からがら帰宅するなり腰が砕け、おれは廊下を這った。
結城や季鏡といつ別れたかも記憶がない。
これが二週間。生き残れるのか、自信がなくなってきた。
おれは一緒に帰宅したはずの家主がどこにいるかも確認できぬまま、事切れた。




