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第45話 池袋署の太鼓持ち



 鬼合宿の二日目。昼前。

 四時間半の仮眠をしてバイトに出かける用意をしていると、相場家に来客があった。


「やぁ、寅さん。昨夜もお楽しみだったようで」


 この暑い中、ノーネクタイながら背広の四十代男性が、池袋署の警察バッチを見せてきた。

 小此木(おこのぎ)計劃けいかく。階級は警部補。警察バッチの写真から半年以上は髪を切ってなさそうだ。


 ベットラーは眠そうな目で来客に炭酸水をビンごと手渡し、自分もラッパ飲みする。

 二人してテーブルにも座らず、立ったまま世間話を始めた。


「何がお楽しみだよ。こっちは人助けした記憶なんざ、もう残ってねぇぞ」


 来客の用件に察しがついていたらしい。おれもベットラーが言わなきゃ忘れかけていた。

 事件そのものに興味はなかったが、ベットラーが自動()体外式()除細動器()なみの脊髄電源(コードエナジー)で復活した母子が、その後も無事なのかは気になっていた。


 家主の仏頂面を、刑事は笑って受け流した。


「まぁたまた、ご謙遜を。上も相場家の地域貢献を疑っちゃあいませんよ。それで早速、本題に入るんですが、昨日の池袋交差点の交通事故。母親は全治三ヶ月の重傷、三歳の女の子も頭部に打撲と鎖骨を折る重傷です。幸いふたりとも脳波や脊髄に異常はなく今朝、話もできましたよ」


 おれはほっと息をついたけど、ベットラーの不機嫌は治らなかった。


「今朝送っといた資料じゃ犯人逮捕の物証にならなかったのか?」


「いぃえ~。逆ですよぉ、バッチリでした。ただちょっと、いくつか報告と確認が」


「なら早く言えって。これから俺たちは店に顔を出さなくちゃならん」


「はいはい。マル被(被疑者のこと)が運転してたらしいハイブリットカーが二時間前、都内で見つかりました」


 おれは寝不足気味の眠気もふっ飛ばして、目を見開いた。


「どこにあった?」


 ベットラーのいやそうな眼ざしに、小此木は炭酸水のビンをあおった。


「東京都葛飾区水元さくら公園第一駐車場、これがマル被の車トランクから見つかりました」


 背広のポケットからビニル袋に入った金属物を出して、テーブルに滑らせた。

 ベットラーが手に取ると、強面が一層険しくなった。


「ずいぶんな骨董品が出てきたな。漆黒の五掌蛇(カサス・グランデス)。イニシャルがC.z.H.とくりゃ、カルロス・ズールイ・ホイあたりか……メキシコ華僑が東京ダンジョンにわざわざゴミを捨てに来日か?」


 投げ返すと、小此木は空中で受け取って素早く上着のポケットに戻した。


「さあね。ゴミを捨てたんだか、捨てられるゴミになったんだか。ホイが在日華僑のどこと揉めてたかも含めて、これからですがね」


「そんな面倒くせぇ話、飛び火は御免被(ごめんこうむ)りたいね。あの親子にしてみりゃあ、とんだ厄日だぜ」


「そうそう、その親子です。被害者の家族がご挨拶したいといってますが、どうします?」


「生憎だが、丁重に見つからなかったフリしといてくれや。こっちも事情があって行きずりで助けただけだ。恩に感じてくれるんなら、その分を他へ回してやってくれと言っておいてくれ」


「ふっ。相変わらず江戸の義理人情、浪花(なにわ)(ぶし)ですか。寅さんはずっと変わらないなあ。で、どんな事情です?」


「いつものアレだよ。ちょっとお(かみ)に言えねぇ例のキグルミの動作確認だ。今回は夏休みに若いやつ集めて試してた。地上ではあの夜一回限りだ。次はまた二、三年後かもな」


 とたん、池袋署刑事の目許がおれを見て、興ざめした表情を見せた。


「またですか。それじゃあ、いねちゃんも?」


「今回は無関係だ。アーバレストで新製品の手伝いに辰巳と顔出してるよ。今月いっぱいは日が出ても入っても地上に出てこねえよ。なんだよ。いねにまだ気があったのか?」


「よしてくださいよ。とっくにバツ2の小僧に用はねえって肘鉄食ってんですから」


 でも一応、アピールはしたんだ。あの、いねに。

 おれは、自分が思ってるよりも世の中はずっと広いのだと知った。


「んじゃ。……あー、それと、最後にもう一つ」

 炭酸水のビンをテーブルに置き、帰ろうとして、小此木(おこのぎ)がたずねた。

「〝脊髄装甲〟てのは、着たまま交通事故を起こしたら、中の人間は気を失いますかね?」


 ベットラーはつまらなさそうに遠くを見て、答えた。


「小此木の。これは俺の推測だが、下手人は車内で気を失ってたんじゃねえ。前が見えなくなってたんだ」


「前が見えない? どういうことです?」


 炭酸水を飲み干すと、空ビンをシンクに置いて、その縁に腰を預けた。


「俺が映像記録で見た限り、逃げた車は停車中の軽自動車へほぼ正面から衝突してた。そっから再び動き出すまで約八分かかってる。脊髄装甲を着たままハンドルが握れてたとして、下手人は車に火が着いて慌てて動いたわけじゃねえのさ」


「寅さん。それじゃあ、その場を走り去るのに手間取っていたのは、なぜでしょうね」


「今いった仮定で話を進めるなら簡単なんだ。慣れない画像処理光学デバイス越しに時速五十キロから七十キロ速度の光景を処理するのはプロチームに入ってても難しい。肉眼目視よりタイムラグが発生するからだ。だから下手人はハンドル操作を謝って事故を起こした。そして衝突時、飛び出したエアバックがフェイスガードのラインカメラと衝撃して、画像処理光学デバイスがフリーズ、真っ白になったのさ」


「フリーズ? てことは、犯人はキグルミに関して素人の犯行?」


 刑事は前のめりになって訊ねる。


「いや潜穽者(ダイバー)一般だろうな。普段着慣れた機種とは別の機種を渡されると、たまにやらかす。乗用車のフロント面にスモークガラスを貼るのは世間ではご法度、にもかからわずフロント面にスモークガラスが貼られていたらしい。スモークフィルムは光学デバイスが照射する赤外線を阻害するから遠近感を狂わせるんだ。ようするに瓶底(びんぞこ)めがねにサングラスして夜間走行するようなもんだ」


「それで交通事故を?」


「下手人はスモークフィルムと画像処理光学デバイスの因果関係に無知で、顔を見られるのをおそれる余りフェイスガードを下ろして肉眼目視ができなかった。そのせいで事故を起こし、エアバックを顔面に受け、車内でひたすらフリーズ画面の再起動を待った。その時間が八分なのさ」


「そのカラクリ、上に挙げさせてもらいますよっ」


 小此木は今度こそ、相場家を去っていった。 




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