第43話 字一色《ツーイーソー》を揃えろ 後
『時計を合わせろ。二二時三〇分。三、二、一――スタート』
ベットラーの合図で、俺は走り出した。
西池袋を目指し、 池袋駅を中心とした繁華街を極力避ける。
ベットラーが初手で季鏡を狙うことは、おれも結城も予想がつく。というのは建前で、東池袋と南池袋は雑司ヶ谷霊園という大きな墓地を背負っていて、昼間は静かでランニングに良い場所だが、深夜帯にこの辺を一人で走るのはちょっと怖い。
ところが、
『[ノーム2]接敵』
ベットラーが最初に襲ったのは、結城だった。
『康介っ!?』
案の定、季鏡が動揺した声を発した。
おれは豊島区役所の屋上で足を止めた。
ここで待っていれば、西池袋から季鏡が結城を助けに向かってくる。奇襲すればカードは奪える、かもしれない。一方、それとなくあの二人を助けてベットラーからカードを二枚奪えるチャンスもある。もちろんその直後には二人から共闘され、逆襲にあう可能性もある。
各個撃破か。大ボス撃破か。これだからバトルロワイヤルってやつは。
『[ノーム1]トレード』
『[ノーム2]トレード』
迷っている間に決着がついた。まさかの相討ち。
「その場合は?」
『南池袋から奪ったカードのエリアへ離脱だ。五分待機は……なしで、仕切り直すか』
その場でルールが決まった感じか。そんなもんだよな。
『わっせーい!』
突然、後ろからの衝撃で、座っていた屋根から下の庭園に落とされた。自分が完全に油断していることに気づかされて、振り返る。
屋根から[ダインスレイヴ3]が降りてきて、腰に手を当てて仁王立ち。
「[ノーム3]接敵だべさ」
「くっそ……[ノーム5]接敵」
『[ノーム1]から各員へ。戦闘すんじゃねえぞ。あくまでも鬼ごっこで、カードの奪取だからなあ』
「ベットラー、季鏡が背中に蹴りいれてきたんだけどっ!? 反則だよなっ?」
「あ~ら、ごめん遊ばし~。足でカード奪いにいったんだべ?」
「さっきダイレクトに背中を蹴ったろうがっ」
豊島区役所ってこの辺じゃ結構高いビルだ。そこに自分も陣取るつもりでやってきて、先着のおれに気づいたとしか思えない。
おれの名案が季鏡と同レベルだったことも、なんか、やるせない。
季鏡の蹴りが舞を踊るように繰り出される。唐華拳法の流麗な連続攻撃が、普段から頭軽そうな素行とのギャップからおれを混乱させた。
腕を絡ませつつ、こちらに腕を掴ませるより前に肘で払い、なお踏み込んで掌打する。一連の動きに無駄はなく、速い。おれは倒れまいとよたよたと後ずさる。
「マモル。そっちの手の内を明かさんまま、あたしからカード取れそう?」
「さあ、どうですかね。普段フランクに接してくるのに、急に規律に則った動きされると頭バグるんすよ」
「ふっ、あたしにアスファルト舐めさせられた男って、みんなそう言うわ」
「じゃあ、北海道訛りも、その一環?」
ドンッ。両足で地面を踏みつけ、右掌を突き出して、左手を腰元まで引く。
その盤石の構えが〝城〟に見えた。
「道産子女子って、可愛いっしょや?」
おれは手刀を前に。下段に構えて、腰だけを落とす。
先に動いたのは季鏡だ。二、三メートルの間合いを低く跳んできた。掌打がおれの胸を突く。
寸前、おれは腰を深く落とし、前へ出る。鋭く突き出される右肘を押し上げて懐に入り、右の摺り足で相手の両足を刈り、浮いた季鏡の左膝裏を手で胸まで抱えあげて地面に押し倒す。
[ダインスレイヴ3]が氷で滑ったようにひっくり返った後、自分の膝で胸を固められているので動けない。
「さっきの何? 合気道?」
「さあ、何でしょうねえ」
しらばっくれつつ、おれは季鏡の手首から[西]カードを奪い取った時だった。
地上で何かが、潰れる音と砕け散る音を、同時に聞いた。
「マモル、今の……車っ!?」
「首都高5号すかね」
「あたし、そっち見てこようか」
「お願いします。おれはグリーン大通りを……っ」
言いかけて動いた時に、その大通りから黒い煙が昇ってきた。
「季鏡っ」
「行くよ、マモル!」
「[ノーム5]から各員へ。豊島区役所そば、首都高5号高架下で、交通事故発生。車炎上中。車内に人が取り残されている模様、合宿長に現訓練中止を上申、指示を」
『[ノーム1]了解だ。訓練中止。人命最優先だ。耐火装備だからビビらず突っ込め!』
「[ノーム5]了解」「[ノーム3」了解」
おれ達はグラップルガンで豊島区役所から雑居ビルに移り、振り子運動で現場に舞い降りた。
炎上しているのは停車車両の軽乗用車。突っ込んだのは白のハイブリットカー。
おれは炎上している停車中の車両へ。運転座席で女性が血だらけで仰向けに気を失っていた。
そして助手席にはチャイルドシートに三歳くらいの女児だ。ピクリとも動かない
どうすりゃいい。とっさに困っていると、
「マモル。ドアロック外して、無理やりこじ開けて」
「〝脊髄制御回路〟、有効段階/レベル3」
〈Response: sure〉
装甲全体に電流が走り、人工筋肉がダンジョン用に膨張する。ガラスの割れた窓から手を入れてロックを手動解除し、歪んだドアフレームを掴んで強引に引き開けた。十センチほど隙間ができたところでドアを蹴破ったらヒンジごとねじ切れて吹っ飛んだ。脊髄装甲〟のダンジョン探索用の馬力は重機に匹敵する。
「季鏡、ハンドルって引きちぎれるんだっけ?」
たずねた相手は助手席のドアを両腕で引きちぎっていた。
「ハンドル裏にボタンあるから、それで上下調整して隙間作ってみてっ。お母さんを出せそうならコンビニまで持っていこう。シートベルトは今のあたしらなら引きちぎれるはずっ」
「了解っ」
シートベルトを引きちぎり、歪んだハンドルの裏のボタンを押した。ハンドルを上下させてもすでにハンドルが女性の体に食い込んでいて、隙間ができない。
季鏡のほうは女児のシートベルトを外し、圧し潰れたチャイルドシートから抱きかかえるところだった。
〈Caution:Detect a heat source(熱源を探知)〉
急がなければ。おれはテンパって腰背から絶縁小太刀を抜くと、ハンドルの根元に突き刺して切断した。本来は機械獣を切断する特殊刃だ。乗用車の強化樹脂などバターに等しかった。
「救助者女性、確保っ」
「でかしたっ、ずらかるよ!」
季鏡の合図で、救助者二人を抱えて乗用車から離れる。そのタイミングで運転席の足下から赤い炎が噴き出して、ひと息に車内を黒煙で蹂躙した。
すると衝突したハイブリットカーのほうが息を吹き返したようにショートバック、反転して北へ逃げ出した。ナンバープレートは見たことない、斜めに赤い線が入っていた。
「季鏡っ、犯人が逃げる!?」
「大丈夫、もう記録した。車内はスモークガラスで見えなかったけど」
[ダインスレイヴ3]は泣きもしない女児を抱きかかえて、舌打ちした。
「めっちゃ悔しいけど、あたしらだけじゃアイツまで手が回らんべさ。人命最優先だしな」
「っ……そう、ですね」
コンビニ前の歩道に母子を寝かせると、ようやくベットラーと結城が到着した。
季鏡はまっさきに結城に抱きついた。結城もしっかりと彼女の悲しみを受け止めていた。
ベッドラーが被害者母子の前に来て、片膝をついた。
「どんな様子だ?」
フェイスガードを下げたおれは座り込んだまま顔を左右に振って、補給水を口につけた。
母子とも車内発見時から赤外線のバイタルチェックを試みたが生体反応なし。即死だった。
「事故から何分たった?」
「事故から……えっと、七分ぐらい、かな」
おれの人生で長いと感じる部類の七分だ。
ベッドラーはおもむろに母親と幼子のうなじに手を入れて、他人事を呟いた。
「全身を強く衝撃したようだが、頭部と脊髄は無事なようだな。〝字一色〟なみの確率……賭けてみるか?」
[ダインスレイヴ1]の両手から放電。母娘の体が小刻みに跳ねた。
直後、子どもが目を開けて火がついたように泣き出した。季鏡が急いで戻ってくる。
母親も路上に吐血して激しく咳きこみはじめた。パニックを起こしているようで必死に悲鳴とも喘ぎともつかない声を出し始めたので、季鏡と結城が声をかけて落ち着かせた。
そこでようやく、通行人がスマホ片手に集まってきた。
「ベッドラー……今のは?」
「衛、フェイスガードをあげろ。救急車はとっくに呼んである。あと二、三分で来んだろう。俺たちはここまでだ。この機体を物見高い連中にスマホで撮影されるのはまずい。離脱するぞ」
おれは呆気にとられて、うまく言葉が出ない。
ドワーフがフェイスガードの裏でニカリと笑った気がした。声が心なし弾んでいた。
「ほらな、不可能を口にしなかったから生存確率が上がったんだぜ。今夜の訓練は、おれの勝ちってことでいいよな?」
「メニュー倍は嫌だ」三人で抗った。
ドワーフが勝ち誇って笑う熱帯夜の池袋に、救急車のサイレンが近づいてくる。




