第41話 ベットラーズ ブートキャンプ in 池袋
「夏の合宿?」
西池袋。
バイト終わりに、ベットラーのエブリイで帰る。
「期間と場所は」
ハンドルを繰りながらベットラーはぶっきらぼうに訊ねてくる。
「八月の頭からお盆までの二週間、場所は西伊豆なんだけど」
報告、連絡、相談が六時間後というのはまずかったかなと思った。
「メニューは」
「帰ったら見せるよ」
「マモル。お前が見た感想でいい。結城の御曹司が組んだメニュー、どう思った」
おれは助手席で意味もなく自分の手を揉んだ。
「忖度せずに言ったほうがいい?」
「あの二人が結婚式を挙げる前に、葬式を挙げるザマにさせたくなきゃな」
言い方。おれはトレーニングメニューを思い出して、言葉を選んだ。
「やる意味がない、と、思った」
おれだってベットラー流の朝練を週五日こなしていなければ、あの地下で何度動けなくなってたかわからない。
リッチフィールドの悪夢とまで言われたスクレロを結城も市村も目の当たりにしたはずなのに、目標設定されたトレーニングメニューは正直、強豪校の部活だ。あのスクレロを見て恐怖したはずなのに、なぜ地上で一日十分でも気絶するほどのトレーニングで自分を追い詰めない。
ダンジョンを舐めてる。と言葉にしなかったのは、おれも彼らを友達だと思い始めているからだろう。
「ふん、あいつらの甘さの原因は、何だと思う?」
ベットラーはおれの言葉にようやく満足した様子で、穏やかに尋ねてくる。
「たぶん、バディだから」
お互いに相手の能力に合わせて行動してて、足並み揃った底上げを考えてるんだと思う。
女性が男性のようなフィジカル差やポテンシャル差を埋めるには、いねみたいに才能が必要だ。それをあの二人は互いを気遣うことで埋めようとする。地上では悪いことじゃないけど、ダンジョンは人の愛や誠実や親切心をいとも容易く嘲笑う世界だと、俺はもう知ってしまった。
「あの二人には模範となるライバル、経験豊富な先輩潜穽者、優秀なコーチが不在なんだと思う。その、本気でプロを目指すなら」
スクレロ戦でおれが思ったのは、現場で個人主義に走ることが悪いんじゃなくて、チーム内の個人ポテンシャルを相互に把握できて初めて、団体貢献なんだと思った。仲間を思いやることと、依存することは別だ。
だからベットラーは対スクレロ戦で、結城・市川ペアを切り離さなかった。個人より二人一役と考えて運用していた。あの二人のポテンシャルはプロに達していないから。
「よし」
ベットラーは短く応じて、赤信号の前でゆっくり停まる。
「伊豆の合宿は、キャンセルだ」
予想はしてたけど、その決定はがっかりした。
初めてできた友達から誘われて、少し浮かれてもいたのだと気づかされる。
ベットラーの話に続きがあった。
「二人とも、うちにつれてこい」
「はっ?」
おれは思わずベットラーの横顔を見た。
「近所の知り合いの家二軒に頼んで、ホームステイさせる」
「ホームステイ? それって、市村さんと結城さんを別々に生活させるのか?」
「これも〝ひと夏の経験〟ってやつだ。期間はあっちの指定した二週間でいい。メニューはこっちで組んでやるから、お前から二人に伝えとけ。最終日はダンジョンに入って実戦訓練を行う」
七月から八月いっぱい、国内ダンジョン業界はオフシーズンに入る。
そのため潜穽者も休業期間になる。理由は、消防庁が地上、海上、河川の急難救助を要する事故が多発する時期だからだ。
ダンジョン業は医療機関に配慮して企業自粛という形で採掘活動はオフになるそうだ。もちろんダンジョン自体が閉鎖されているわけではない。
その期間中に潜穽する者は、救護が遅れる虞があることの事前承諾書を官公署に届けなければならない。ないと自己責任にされる。救助費用は全負担。生命保険もおりない。
「わかった……今から伝えとくか」
おれはスマホを出してメールの文言を考える。
「最終日のダンジョン潜穽で死体になりたくなけりゃ、遊び気分で参加するな、とな」
ドワーフは言葉が強い。
「どこのダンジョン?」
「合宿の話はさっき聞いたばっかだぜ。最終日までに生き残った奴だけに発表する。それとホームステイ代に一人五万円用意するよう言っとけ」
「ホームステイ代。五万で、いいの?」相場はよくわからんけど。
「ホテルじゃねえんだ。各ホストファミリーでの奉仕活動、家事手伝い、法事、祭りの行事参加は義務だ。あいつらも、この夏のラブホ代に貯めてた金くらい、あんだろう」
「ベットラー。生々しいから、やめてくれよっ」
ドワーフ達はしょっちゅうデリカシーのないことを平気で口にするから、対処に困る。
「お世話になります!」
七月二五日。池袋。
朝から街全体が茹だる暑さの中、結城康介と市村季鏡がアスリートジャージにスポーツバック一つでやってきた。
「学校の課題はすませてきたか?」
ベットラーは、二人を学生扱いしない宣言をする。
「はい、すませてきました」
「あとちょっこと。帰ったらやります」
すませた結城に対して、季鏡はまだらしい。
ベットラーのごつい眉がヒクリと動いた。
「衛は」
「終わらせてる。だって、バイトも、妹の見舞いもあるからさ」
「ええっ、あたしだけ!?」
季鏡が愕然と初手の格差に慌てだした。
ベットラーは改めて、おれたちを睥睨する。
「いいか、この合宿は遊びじゃねえ。合宿終了後、お前らに遊ぶ余力まで残してやる気はねえから、覚悟しろ!」
「はいっ」
「この二週間で、お前らの個人性能を格段にレベルアップさせてやる。[日雁青江]に入ってもポテンシャルで荷物扱いさせないくらいにな。だから気合を入れろ」
「はいっ」
おれはまだプロチーム所属どころか、免許も取れないけど、とツッコむだけ野暮か。
「初日はメニュー通り、二二〇〇時、俺の家に蒸着できる服装で集合だ。変更はない」
「はいっ」
「よし、いい返事は結城だけだったが、市村も期待してた夏休み気分を切り替えろ。今からお前たちが世話になるホストを紹介する。ついてこい」
結城は重川家、市村は上畠家にホームステイする。
両家は向かい隣で、どちらも五世代家族の大所帯だ。おれも相場家に同居を始めて、まっ先に挨拶に引き合わされた。昭和の戦後から続く町内会長、世話役さんらしい。
合宿はすべて、夜間から早朝四時まで行われる。
日中が殺人的に高温多湿になることもあるが、脊髄装甲の視覚画像をできるだけ地下活動に合わせるためだ。とはいえ、〝ベットラーズ・ブートキャンプ〟のメニュー通りなら、脊髄装甲での地上行動はこの初日のみ、最終日のダンジョン潜穽まであのスーツを着ることはない。
結城が自身の合宿で予定していた近接戦闘訓練もない。身体面だけを徹底的に追い詰める。
これは結城とベットラーのダンジョンに対する行動思想の違いだと思っている。
結城にとってのダンジョンは戦闘ありき、討伐付き探索活動だと思っている。
対して、ベットラーは戦闘回避による探索の安全性の確保と潜穽進捗を重視している。
どちらが優れて劣っているという話ではない。
探索と討伐は状況に応じて選択を迫られるからだ。
この二週間で、おれもどっちに思想が寄ってるのか見定める機会にもなりそうだ。
そして合宿期間中、おれにはバイト出勤を課された。
辰巳といねは、青山にあるアーバレストジャパン本社に詰める。[フツノミタマ]開発の主任研究室長テッド・ウォーレン博士と丸一ヶ月つきっきりで進めていく。なので帰宅は朝のみ。青山から池袋までの約六キロを使った早朝トレーニングがてら朝食と着替えをしに帰ってくる。
ベットラーも三人の学生の面倒を見て、店にもしっかり出るのだからドワーフ族はタフだ。
要するに、合宿があろうとなかろうと、おれと相場家は平常運転のままだ。




