第4話 蒸着。
この家は、戦後直後に買った。
二度の建て替えをしたが、どちらも地下室を拡張する目的だった。
地下のコンクリート壁は厚さ十五センチ。家族三人で逃げこむ防空壕だった六畳の小さな地下室は今、二十畳ほどに広げた。
壁ぎわに並べた蒸着ポッドが二基。パソコン二台、サーバー用の水冷クローゼットが二台。髄液タンクが三基と髄液透析器が一台だ。
「なんか、秘密基地みたいだ」
衛が博物館にでも迷い込んだみたいな奇異な声を洩らした。
「誰にも言うなよ。都の許可は取ってねえからな」
「こんなモノにまで許可いるのか?」
「こんなモノだから許可がいるんだよ。帰ったらダンジョン基準法典を貸してやるから、よく目を通して、ここが違法設備だってことを頭に叩き込んどけよ」
「へえ。わかった」意外と素直だ。
「いね、[ダインスレイヴ]のアップグレードはどうだった?」
パソコンを打鍵していた、いねが背中ごしに振り返って、
「視覚調整はバッチリ。でも船に乗り込むんだったら、海水に耐えられんのかって話だけど」
「なら耐久性能試験だと思ってやるしかねえな。本社に潜水スクリューの要請出しといてくれ」
「わかった。……あ、もう来てるよ。青山霊園からヘリ空輸だって」
マウスでカチカチとクリック音を刻んだあと、いねは蒸着ポッドに乗りこむ。
俺は思わず頬をごしごしと擦った。
「まじか。降下作戦かよ。ヘリにはいい思い出がないんだがな」
あまり公にはされてないが、青山霊園の近くに米軍のヘリ発着場がある。日本人に限らず一般人の立入禁止区域だ。
アーバレスト・ジャパンの人脈はこういう時に手廻しが早い。
「ベットラー。あの、マトリョーシカみたいなのって?」
「蒸着ポッドだ。ずいぶん前の旧式だがな。潜穽者が着る〝脊髄装甲〟を体に吹き付ける。まあ見てろ」
ふたが閉じられると装甲樹脂が噴霧されて、ポッド内から紫外線で組成情報を照射。その光が床直前まで流れるとポッドから蒸気が廃気された。
ふたが開き、中からカーキ色の三連ラインアイの筐体を装着した、いねが出てきた。
「特撮スーツかよ。もっと消防服や宇宙服みたいにゴワゴワしてると思ってた」
少年の率直な感想に、俺は大笑した。
「スーツ内環境はすべて、背中の〝脊髄機関〟が調整している。呼吸、体温、治癒速度なんかだ。どの脊髄機関でも耐熱温度は八百度。耐寒温度はマイナス六〇度までなら中の人間を守れる。急いでるから余談はこれくらいでいいだろう。着てみるか?」
「着る。でも下着にならないとだめなのか」
「〝脊髄〟とはできる限り密着させたほうが恩恵を得やすい。逆に肌を〝脊髄〟と接着すると最悪事例で皮膚と癒着して外科手術で切り離さなくちゃならなくなる。――いね、手伝ってやれ」
俺は少年をいねに任せて、蒸着ポッドに乗った。
「しょうがねえなあ。おい、これ飲んで、さっさと服を脱げよ」
「なに、これ? 緑色なんだけど」
「ナノマシンだ。脊髄とシナプス接合するための……まあスーツの潤滑油だと思って飲め」
説明下手か。ポッドの中で俺はげんなりした。
いねは職人気質だから説明が苦手だ。論より証拠、見て盗めといわれてもイマドキの子が理解できるはずもない。
ポッドから出ると、俺は回線を開いた。
「こちら〝ノーム1〟蒸着完了。回線3.91、オーバー」
『機体[ダインスレイヴ]、ポイント確認。〝フォックス〟は現在、海上八キロを西へ航行中』
「〝フォックス〟の素性は割れたのか?」
『〝蜃龍会〟って振興マフィア。カクマルなにがしは、そこの日本支部だったよ。そこが今、が香港のディベロッパー、シャルル・リーと揉めてる。ちなみリーは、党執行部と南半球の海外ディベロッパーとのパイプ役として有名らしいよ。御歳八五』
「シャルル・リーなら知ってる。大戦前にお上の先代に連れられてアジア会合に同席させられた時に会ったことがある。当時七歳だったか。会話の口調や思想はすでに帝王のそれだった」
『お、さすが日本のドワーフ代表』
そのつもりはなかったのに、そういう体で「アジアの王たち」に紹介されて泡を食ったもんだ。
「東城家の令嬢と小耳に挟んだ程度の知識で、手打ちの菓子折り代わりにされたか?」
『その程度ならまだいいけど、お嬢が詰め込まれた船が問題でね』
「どういうこった?」
『船籍はオランダなんだけど、船主はシャルル・リーだった』
「おい、まじかよ。こいつは東城家の追尾ありきの仕掛けか」
狐が虎におもねる線もなくなった。明確な謀略のにおいがしてきた。
『お上から、ご下命が降りてるよ。彼我の面子が気まずくなる前に、日本海域内で内々に処理してほしいんだって』
「内々了解。現場に新人を連れて行く。サポートを頼む」
『新人? 聞いてないけど』
「今日からだ。いねが蒸着を手伝ってる」
『待ってよ。もしかして、タケルの? 早くないかい?』
「どこまで地獄の釜を覗けるか、度胸を試す」
『相変わらず兄貴の現場主義は、新人研修も荒っぽいなあ』
二十分後。
初日の新人を抱え、徒歩で青山霊園に到着する。
衛は息が切れていたが、知識ゼロの〝脊髄機関〟制御によく付いてきている。盗掘屋と縁を切るためにミカコが狙われたと責任を感じているようだ。その早合点は的外れだが、今は訂正しないことにした。
ヘリポートに待っていたのはМH-6H[リトルバード]。小型だが操縦者二名を除き定員六人まで載せられる。三人で乗りこむとすでにハンドスクリューが三機と救難装備が置かれていた。ダンジョン用なのもご愛嬌だ。
「いいぞ、出してくれ!」
ヘリが浮上すると、足を艇外に出したまま急浮上した。
「うわっ」
「振り落とされたら拾えねー、しっかり掴まれ。海上に出たら飛び降りるんだ。覚悟決めろよ」
「いやいや、そういうのはじめから説明しとけよ!」
「だから今、説明してんじゃねえか。ぎゃははは」
衛のビビリ具合が愉快らしい。いねが楽しそうに新人をイジる。
「[ノーム1]から[ラボ]へ。船上の状況を教えてくれ」
『「ラボ」から[ノーム1]へ。オランダ船籍[オーシャンズ・ミエヴィル]号、二億八千万トン。乗員数は二三名』
「んな情報、今いるのかよ」いねが辰巳の説明をさえぎった。「〝白雪姫〟はどの辺なんだよ」
『船倉の中腹。冷凍庫内だね。護衛は二人と推定』
「あん、冷凍庫ってことは?」
『低温状態にして反抗心を削いでるんだろうね。家出少女を拉致慣れてる連中だよ』
「ベットラー、まずくないかっ?」
衛がさっそく焦り始めたが、俺はたしなめる。
「急いだほうがいいが、好都合ではある」
「好都合?」
「一つ、奴らはとっくに海上にいて追手の気配を感じてねえ。二つ、人質が動けなくなることを見越して警備を薄くしている可能性が高い。多くても三人てところだろう。ほかは事情を知らねえ普通の船員だ」
「なんでそこまで――」
「わかるんだよ。長くこういう仕事をしてるとな。船員はメシ時になれば食堂に集まり、警備三人は船内で孤立する。交代で食事を摂るなら、警備は一人か二人。最低ゼロということもありうる。その脇の甘さを突いて〝白雪姫〟を奪還して海に逃げ込めば、俺たちの勝ちだ。やすい仕事だと思わんか?」
「それは……そうか」
「衛、覚えろ。戦場とダンジョンで敵を目前にし、まず殺さなきゃならんのは自分の感情だ。忘れるな」
『「バード」から[ノーム1]へ、降下ポイントに到達。二十秒後』
「了解。[ノーム1]降下開始」
「了解、[ノーム2]降下開始」
「[ノーム3]、降下、開始」
俺は救難装備の背嚢を背負い、ハンドスクリューを手に掴んで、東京湾に飛び込んだ。