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第36話 暴食の悪魔



 おれはいねの手を引いて、上階の第18階層を目指した。


「お、おいっ、マモル。あっちに対抗すんなってぇ……っ!」


 何を勘違いしてるのか知らないが、おれは言った。


「いねは、ベットラーを裏切れる?」


「裏切る? なら、お前も兄ちゃんのペペロンチーノを裏切れんのか?」


「あ、無理かも」


 ベットラーのペペロンチーノは、単純にして至高がすぎる逸品。どんな隠し味を使っているのかはチーフチェフの美弦さんにも言ってないそうだ。


 あれが食べられなくなるのは、確かに人生の損だ。


「いねからも、ベットラーを説得してくれないか」

「説得ってお前、あの怪物とやり合う気か?」


「何言ってんの。上司命令で[フツノミタマ]運用試験ならスクレロが……あれ、もしかして」


 敵の種別認識に、管制室と現場でタイムラグがある。


「気づいたみてーだな。兄ちゃんもあたしも、まだミカコにスクレロを報告してねーよ」


「じゃあ、東城さんはまだ実地試験の相手がスカベンジャー六八機だと? どうしよう」


「いや、どうもうこうもねーだろ。試作調整段階でも相手にとって不足はねーよ」


「おれまだ、そこまでうまく運用できないって」


 いねは面倒くさそうに肩を落とした。


「最初はみんなそんなもんだ。手の握る加減や肩の抱き方、キスの圧。胸を揉む力加減。相手の感じ方を確かめながら手探りでうまくやってくんだよ」


「ちょっと。なんで脊髄の話をデートに喩えてんだよ?」


「カマトトぶっても、男と女の欲求の行き着く先なんざ、おんなじだって話だよ」


「だから、何の話を……っ」


 おれは訊ねようとしてようやく、いねの言わんとしていることに思い当たった。

 脊髄の性能検査をしていたから直感できた。


「もしかして、あの脊髄……〝彼女〟だった、とか?」


 足を止めて振り返ると、いねは別に大した真実ではないと肩をすくめてみせた。


「物理的な髄節の長さは〝彼〟だった。けどプログラム上はどうやら〝彼女〟らしいぜ」


「ええぇっ。プログラムに性別とかあるのかよ。もう……何がなんだか、頭が混乱してきた」


「テディは、仲間が増えたって喜んでたぜ」


 脊髄を仲間に数えていいのか。いろいろ解明されても、おれは結局わからなくなってくる。


「じゃあ、あとはベットラーが納得さえしてくれれば、討伐作戦を組んでくれるのかな?」


「納得するかよ。過去の話だ。人生最大の判断ミスだったんだから」


「どんなミス?」


 いねは一瞬後ろを振り返って無線を切る仕草をすると、おれの肩を組んできた。


「十三年くらい前だ、兄ちゃんは初めてタケルのアイディアを頭ごなしに突っぱねたらしい。危険だつってな。けどタケルは兄ちゃんの制止を振り切って、単独潜穽(ソロダイブ)を敢行した。生存絶望と言われながら、たった一人で瓦礫の中を降りていったんだ。んで、一人の少女を連れて戻った」


「え、今度は何の話? スクレロは?」


「その少女と一緒にヤツも落ちたらしいぜ。地下三十メートルの奈落にな」


 おれは言葉を飲んだ。いねは続ける。


「十三年前のスクレロは、兄ちゃんがあと一歩踏み込んでれば斃せたはずだったんだと。だけどヤツの後ろに生存する少女を見つけて、兄ちゃんの斧が止まっちまった。誘爆を恐れたんだ」


「その子は?」

「今もピンピンしてるぜ。コイツはマジさ。いい歳こいて悪ガキみてーに走り回ってるよ」


「は、いい歳?」十三年前なら、そりゃそうか。


「ふぅ。[ドゥリンダナ]から管制室へ、第18階層、到着!」


 短波無線から声を聞いて、おれはぎょっとして前方へ顔を戻した。


 左胸に〝炎をまとった大鎌の死神〟をペイントした白銀の〝脊髄装甲〟がクーラーバッグを背負って手を振ってやってくる。顔はわからなくても、声や歩幅や肩の揺れ方でわかる。


「えっ、ミカコ姉? その〝脊髄装甲〟見たことない。ていうか、降下してくるの早くないか」


「[ドゥリンダナ]って言やぁ、アメリカで採掘された〝原始脊髄オリジンコード〟[デュランダル]の直系機だ。性能は国内と段違いだぜ」


「ちなみに、高い?」


「〝脊髄装甲〟のランボルギーニ」


 マジかあ。どんだけ金持ちなんだよ。


「マモル。スカベンジャーは?」


 ミカコはなんだかウキウキしてる。

 おれはいねを見てから、スクレロの出現を説明した。 


「スクレロ……日本にもいたんだ」


 ミカコは小さな驚きと懐かしさを含ませた声を洩らした。


「いいわ。手続きは任せて。二人は脊髄の換装をよろしく」

「手続きって?」


「私なら、ベットラーを説得できる。してみせるわ。私も当事者だから」


「当事者って……えっ、それじゃあ十三年前の少女って、ミカコ姉?」


[ドゥリンダナ]はマスカレイドと呼ばれる女性を模したフェイスガード越しに頷いてみせた。


「ベットラーがあの時、私を見つけて最後の一撃をためらったから、私は爆発に巻き込まれずにすんだし、タケル・トウマに絶望の底から救い出されたからダンジョンを怖がらなかった」


 ミカコは歩き出す。背面の脊髄に蔦が絡む装飾が優美だ。


「ベットラーもまた、私にとっての英雄(ヒーロー)だから」


 第19階層へ歩き出した白銀の背中を追った。

 

[ミュルグレス]のヘルムに赤外線遮断幕がかけられた。


「おい、テメ。なにすんだよっ!?」


 小佐院童夢は激怒したが、他の二人は救援がきたことを知って心底ホッとしているようだった。


「ごめんなさーい。これからアーバレストの試作機実地試験やるから、関係者以外部外秘なのよ」


「はぁあっ!? 試作機? ふざけんなっ。今ここがどういう状況かわかってねえのかよっ」


「それと、この試作機実験につき本作戦は公式記録から抹消潜穽(ノースコア)になりましたので、ご了承くださーい」


「はっ、抹消潜穽? ……嘘だろ?」


「ぼっちゃん。俺らの抜駆けが帳消しになる代わりに、成果も無効ってことですよね」


「ざけんなっ。なあ、髄液交換しろよ。あの大物はオレのなんだ。あれを狩れば、【殺陣】本界へ入れる。本家への復帰が叶うんだ。オレに狩らせろっ!」


「プ~クスクス。まだ指先一つ動かせないんでしょお? 弱いくせにイキっちゃって」


「ムッかあ! 誰が弱いだテメェ!」


 ちなみに、[長曽祢虎徹]たちの感電による麻痺は、顔に被せられた幕一つも払い落とせないほどに重症であり、その回復は翌日までかかったという。


〝脊髄装甲〟がなければ、全治三ヶ月の大半がベッドの上で生活するはずだったのである。




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