第32話 決裂
「二千万円だ」
おれは[バルムンクβ]の松田将郷を軽く睨んで、いった。
「二千万で、[三島瓶割]はあんたらと潜穽契約を結ぶ」
「待ちたまえ。私は、君から意見を聞きたかっただけだ。それなのに――」
「それ以外の条件で、意見は出さるわけねぇだろうが!」
おれは吠えた。
「おれの上司を蹴るような脳筋に聞かせてやるアイディアなんてねえって言ったんだ。うちは管制室に撤退の宣言を出した。地上に戻ってもアーバレストの潜穽契約は切れてる。無報酬だ。だから雇え」
松田将郷は小佐院義光と顔を見合わせる。
「マトモなアイディアだろうな」
「言ったろ。おたくらに意見は出さない。だから二千万で契約を結べ」
「いいだろう。契約を結ぼう」
「松田さん、大丈夫ですか。二千万ですよ。安すぎませんか?」え、安かった?
「小佐院さん、時間がないのはお互い様だ」
おれはイケメンドワーフに振り返った。
「辰巳。パッドで契約書を作ってくれ。いかなるダンジョンの損害も依頼主が負担するという内容だ」
「兄貴……マモルを信じてやるかい?」
ベットラーはおれを一瞥して、頷いた。
「いかなる損害とは? 東郷君。何をする気だ?」
松田将郷が怪訝がまざった警戒の目を向けてきた。
「教えない。あんたらは探索層に行きたんだろ。行かせてやるから、黙って見てろ」
小佐院義光が不快感を見せて前に出ようとするのを松田が手で制した。
「到達時間は」
「今から四時間」
「なにっ?」
「それ以上は、おれ達が浮上するための髄液がもたない」
「待ちたまえ、このキャンプには三日分以上の髄液パックが用意されている」
「うちのボスを足蹴にした。そんなパーティと仲良く補給物資をわけてもらおうとは思わねえよ。こっちは強制労働じゃねえんだ。今後あんたらとの関係は、金しか存在しない。こいつは商業取引じゃないんだ。あくまで潜穽の契約だ」
小佐院義光は肩をすくめてヘラヘラと笑った。四時間で探索層への到達するなんて、子どもの絵空事と見切ったか。子供を舐めてかかると、怪我をする大人の見本だ。
「マモル。できたぞ」
液晶パッドを見て、契約内容に目を通す。契約条件はそんなに多くない。
「辰巳。違約金に五千万」
「おい、マモル」
「でないと、向こうも本気になれないよ。あと、ここの文言を変えられる? 掃討は採掘層第19階層まで、ほかはタッチしない。あくまでも探索層到着の道をつくるだけの契約内容にしよう」
「兄貴っ?」
「五千万なら、出せなくはねえ。違約金の倍返しは真っ当だ。衛は一生おれの店でタダ働きだがな」
「お、オーケェ……よし、松田さんのほうへ送るよ」
辰巳がパッドをタップして、契約書を送付する。
松田将郷もパッドで確認して、契約文書に目を通す。
「本当に、君らだけであのスカベンジャーの群れを突破して、探索層まで到達できるのか?」
「契約内容は、探索層到達を目的とし、到達までの掘削物資だけはこのキャンプにある備品を使わせてもらう。契約達成後、三日以内に二千万が振り込まれなかった時、到達条件で得られる新採掘権はうちが差し押さえる。できなければ違約金五千万円。飲むかどうかはそちら次第だ」
「……」
松田将郷と小佐院義光はパッドペンでサインを入れた。
「確かに。――兄貴」
辰巳が長兄にパッドを手渡す。ベットラーはおれを一瞥し、契約書にサインした。
これで[三島瓶割]の潜穽契約が確定した。
「[三島瓶割]には念のため、こちらで監視をつけさせてもらう。[火車切広光]から結城康介さんと市村季鏡さんだ。闇討ちの下心はないから安心したまえ。二人とも公正な人物だし、戦力としても申し分ないはずだ」
「好きにすればいいよ、開始は三十分後、邪魔したら置いていく」
キャディの立場も忘れてつっけんどんに言い捨て、おれたちはベットラーを先に促して居室へ戻った。
「うひ~。緊張したあっ、嫌な脇汗でTシャツびっしょびっしょだあ」
おれは寝袋に倒れ込んで、ゴロゴロとのたうち回った。
「マモルの火事場の馬鹿力には驚かされたぜ。契約書や法律なんていつ覚えたんだ?」
いねも呆れ顔だった。
おれは転がるのをやめて起き上がると、あぐらをかいて顔をしかめた。
「全部ドラマの受け売りだよ。契約書は辰巳が書いてくれたんだし」
「僕のせいになるのぉ? 勘弁してよぉ」辰巳が肩を落とす。
おれは顔を引き締めると、
「おれ、みんなの前でベットラー蹴られて、本気で頭にきたんだよ。蹴ることないのにさ」
「あたしだって久しぶりに頭にきたけどよ。でもあの後、兄ちゃんがすぐに立ち上がって管制室呼ばなきゃ、仕事を忘れるところだったぜ」
ベットラーは高圧式チェストで中身を確認して、潜穽の準備を始めていた。
「マモル。何を思いついた?」
「別に。まだ何も。契約は、あの場のハッタリだって」
ドワーフ三兄妹から呆れ顔をされた。そんな深刻な顔しなくても。
「ただ、さっき第19階層に行ってみて、気にかかってることはあるんだ」
「気にかかる? なんだそりゃ」
おれは三人を手招きすると、回線を3.91に内線指定してフェイスガードを上げた。断面予想図を展開する。
「第19階層のスカベンジャー達は同じ階層にずいぶん集まりすぎてて、やけに歩き回ってると思ったんだ」
「そりゃあ、六八機だぜ。あたしらだけで相手にするにもイカれた数だ」いねが相槌を打つ。
「違うよ、いね。今は数はどうでもいいんだ。それよりもなんでスカベンジャーたちは、第18階層じゃなく第19階層に集まってたのか、だよ」
「あん、階層?」
「そうか。ここキャンプ地の第17階層と第18階層は蛻の殻だったね」
辰巳が指摘する。
「でもよ、辰巳。ありゃあ誤報だったんだろ?」いねが言った。
おれは腕を組んだ。
「もしの話なんだけど、三日前にアーバレストジャパンに入った偵察の報告が誤報じゃなかったとしたら」
「誤報じゃない?」ベットラーが聞き返した。
「三日間で、この辺にいたスカベンジャーたちがみんな下層に降りたんだとしたら、彼らにどんな事情が起きたんだと思う?」
「スカベンジャーに起きた事情……集落の襲撃か?」
ベットラーが直感的速度で答えて、おれは機械獣の図解を出す。
「スカベンジャーって大きいだろ。バイクがタテに二台分、尻尾入れたら三、四台もある。そんなのが下からの敵襲に対応するために全招集かかって降りていった。そして六八機も第19階層まで逃げてきたとしたら、一体どんな敵に負けたんだよっ……て想像してみるんだけど、まだ答えを思いつかなくて」
「ちょっと待てよ、マモル。んじゃあ何か、あいつら集落を襲われた敗残兵だってのか? んな馬鹿な」
いねがフェイスガードを下げて、ペットボトルの水を口に含む。
おれは仮説を続けた。
「その証拠ってほどじゃないけど、トリモチで赤外線電波を飛ばした時、他のスカベンジャー達がすぐ集まってきただろう? あれは敵が追ってきてないか息を潜めてて、互いに孤立しないよう警戒しつつ守備陣形を取っていたんじゃないのか」
ドワーフ三兄妹は互いの顔を見合わせるだけで、沈黙してしまった。
「ベットラー。会議ログってどれ?」
「会議ログは、[パブリック]。上から四番目だ。今さらそんなもん見てどうするんだ?」
「会議内容じゃなくて、ブリーフィングの第19階層から下層構造図が見たいんだけど」
「それなら、[マップ]の資料08だ。そこに断面予想図がある」
「信用性は」
「探索層を一度だけ到達したパーティの記録だ。そいつらは状況だけ知らせて浮上できなかったがな。有効活用してやらんとな」
ダンジョン潜穽知識は仲間の犠牲の積み重ねで進んでいく。ベットラーの言葉は重みが違う。




