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第29話 野営地



 潜穽中、自衛隊のような火を使わない戦闘糧食を携帯しないのか。

 そんな疑問をいねにぶつけてみた。ベットラーも辰巳も忙しそうだったからだ。


「こう見えて、あたしも暇じゃねーんだけどな」


 いねは、罠を作っていた。

 二本の天幕杭(ペグ)にパラコードをくくりつけるだけの罠だが、数が多そうなのでおれも手伝う。


「メシがいきなり戦闘糧食だと飽きるし、士気が下がるんだ」


「最初だけってこと?」


「ああ。小隊所帯で前期日程は三六時間だ。十代の新人だっている。素っ気ねー弁当缶より真空パックでもあったけぇメシ食ったほうが士気は下がらねーだろ。ダンジョンに気持ちを馴らすための慰めってやつだ。せっかくキャディも各チームに一人随行させてるんだしな」


「ふーん。でも使った調理器材は?」


「捨ててく。ヴォイドガスで八時間以内に腐食して、あとは地下生物の腹の中だ」


「えっ?」


 目を見開くおれに、いねは「まだ知らねえか」とつまらなさそうに唇をひん曲げた。


「富士山の登山ゴミじゃねーんだ。プラスチック以外の金属系は使い捨てだ。器材はどれもアルミ製だからな。一般的な地下ガスなら銅、鉄から腐食するんだが、ダンジョンのヴォイドガスはアルミが先に腐食する。その後に銅、鉄の順だ。理由は誰も知らねー。そういう性質なんだろ。学校で教わらねーのか?」


「いや、まだ普通の学校授業をやってるよ」


「だったらさっさと頭の中に入れちまうんだな。学ぶ内容はともかく速度までこっちが学校に合わせてやる義理もねーしな。おめー、潜穽免許ほしいんだろ? 試験でも実戦でもなんの役にも立たねーぞ」


「わ、わかってるよ」


「あと、兄ちゃんが言ってたけど、お前は辰巳から本を借りてるだけじゃ足りねえ。自分から貪欲に知識を集める努力をしろってな。時間を作っても暇を作るなよ」


「うん。頑張ってみるよ」


 食事の話をしに来たのに、説教された。入学してまだ一ヶ月も経たないが、背筋が改まる。


「あとな」

「斥候だろ?」


 おれが先回りすると、いねは怪訝な顔をした。


「兄ちゃんから何か聞いてんのか?」

「いや、まだ。でもこの仕掛けって、そういうことなんだろ?」

「ん。ああ、まあな」

「出るのは、うちだけ?」


「各パーティで二人一組だ。罠の数は全部で四五。それでスカベンジャーの食いつきを見る」

「その総数っていくつ?」


「他二チームからの事前偵察情報は28だとさ。スカベンジャーの集落としては小さくはねーな」


「そっか」

「そんでまあ、なんだ……おめー用の絶縁小太刀を打っといた」

「えっ。おれ用っ?」

「見るか?」

「見たい!」


 いねは立ち上がると空圧式チェストボックスを開けて、六十センチの刀を見せてくれた。


「まだ抜くなよ。重さだけ知っとけ」


 おれは両手で受け取ると[ダインスレイヴ]を着ているせいか、あまり重さを感じなかった。だが手に吸いつく感覚はおれを圧倒した。


「すごい。スーツ越しでも圧が、剣の魂が伝わってくる。いね、天才かよ」


「そ、そんなおだてに乗るかよ。まだ見せるだけなんだからな。抜く前から喜ぶんじゃねーよ」ツンデレか。


「じゃあ、斥候に出るのって、おれといねか?」


 いねは真顔を左右に振った。


「出るのは、おめーと、兄ちゃんだ」



 夕食は、ホワイトシチューだった。

 店のまかないで食べたクラムチャウダーに近い、濃厚な味わいだった。


「これはうまい。相場さん、生乳を持ってきましたか?」


 テーブルの上座で松田将郷が目を見開いた。


「一回で使い切る分だけチルドボックスに入れてきた。地上に戻る心を繋げるためにな」


 ベットラーは感慨深く持論を口にした。


「目の前の怪物を倒す無意識の中に、地上が恋しいと思う気持ちを残すことが大切だ。味覚から家族や平和、文明を思い出せなくなったら、何のためにダンジョンに入ってるのかわからなくなっちまうからな」


「健全なる精神が健全なる体を作る、か。忘れがちですな」


 松田将郷がしみじみと頷いている。

 おれのいる最末席のキャディ席から小佐院童夢の舌打ちを聞いたが、その場の全員がこれを黙殺した。


「それで、このあとの斥候のメンバーは決まったのか」


 ベットラーが促すと、松田は一つ頷き、立ち上がる。


「三十分後、二一二〇時。下階への偵察に出てもらう。各チームから二名だ。[火車切広光]からは結城康介、市村季鏡」


 はいっ。二人が息ぴったりで起立して応じる。


「[三島瓶割]からは、俺と東郷エイジがでる」

「相場さん、キャディとですか?」

「みんなより少ないパーティだから一部補助をさせるつもりだ。こちらで罠を作成した。それを運ばせる」


「数は?」

「急場作成だったので、四十だ」よねの話だと五つ足りない。

「なるほど。[長曽祢虎徹]の斥候は、尾北君、井上君だったな」


 男性二人が立ち上がるが、返事がない。どちらも二十代だろう。


「罠をパーティで折半して仕掛ける。仕掛けた罠はマーキングして情報共有する。いいな」

「了解」


 パーティが食事を終えて一度散開すると、おれは食器の片付けをしながらベッドラーに近寄った。


「罠を五つ少なく報告したの、なんで?」

「彼らは、斥候と罠を軽視している。全部手の内を明かす必要はないと判断した」

「えっ。それじゃあ、あいつら信用してねえってこと?」


「隊長の松田さんは、斥候は若者の経験を積ませる研修だと思っている節がある。罠は姑息で、力がない老人の小細工だと思っている」


「また昔の知り合い?」


「いや、知ってるのは父親の康郷(やすさと)の方だ。使える物は何でも使う泥臭い戦術家だった。息子も陸自の尉官まで昇っただけあって指導力はありそうだが、さてな」


 ベットラーは義妹にだけ、クリームチーズケーキのカップを渡す。罠づくりの報酬だろう。


「申告しなかった罠五つは、彼らのケツモチだ」

「味方を信用しないんだ」


「違う。信頼とは信じ頼むことではない。信用を頼みにしない、こちらがあえて期待しない間合いを作って保つということだ。昔、テッシュウという男から教わった格言だ」


「それって信用しすぎないってことか? 信頼しすぎれば、裏切られた時のショックが大きいから?」

「ショックが大きければ相手を許せなくなるだろう。若さってのはそういうもんだ」


 用意しろ。指示されて、おれはいねの鍛えてくれた絶縁小太刀を丁寧に腰背に差してから、背嚢を背負った。中身は、いねや辰巳が作った〝ダンジョン道具〟の数々だ。



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