第28話 潜穽《ダイブ》
あの慰霊の観音像が消えたのは、いつのことだったのだろう。
赤レンガの獄壁も、昭和維新の露もダンジョンに喰われて、消えた。
陸軍刑務所跡地 渋谷区宇田川町一丁目 渋谷区役所裏にそれは生まれた。
第6ダンジョン【殺陣】――。
五月四日、二○○○時。
[火車切広光][長曽祢虎徹][三島瓶割]が潜穽を開始した。
指揮管制車は陸上自衛隊の82式指揮通信車(愛称コマンダー)の払い下げを全面リフォームした、いわゆる三軸六輪式の装甲車両だ。乗員数は八名変わらず。もちろん銃架はすべて取り払われている。ここに各パーティの担当エージェント計三名が通信技師二名とともにつめて指揮管制にあたる。
「ねえ、東城さん。あの[三島瓶割]の現場復帰、よく説得できたよねえ」
[長曽祢虎徹]担当、第2地下事業課主任・生島祐司が缶コーヒー片手にモニターを見つめながら、声をかけてきた。
「ほんとだよね。うちも課長まで連れて池袋に三顧の礼を尽くしたけど、結局あの魔術師たちは首を縦に振らなかったもんねえ。どんな手を使ったの?」
[火車切広光]担当、第5地下事業課主任・遠山久遠がサンドイッチをかじる。
ミカコはモニターを見つめながら腕組みして、
「彼らの古傷をえぐったんです」
「古傷? それって?」
「相場寅治郎の、昔の後悔を蒸し返しました。後悔をダンジョンに置いてきたままでいいのか。〝近代と現代日本の生き証人〟が九門の消失を後世に伝えなくていいのか、て」
矢島は伸びをした右手で頭を掻いた。
「それって、禁句になってる冬馬尊の特攻のことだよな。課長から聞いたわ」
「冬馬尊って、相場寅次郎の弟子なんだっけ?」遠山がサンドイッチと振り返る。
ミカコはずっと一人の視点画面を凝視したまま応じる。
「本人は弟子を取ったつもりはなかったみたいです。自衛隊ですら手に負えないヤンチャ小僧の尻を叩いて潜穽者にしたが、英雄になったのは、周りがそうしたかったからだろう。と」
遠山はサンドイッチをかじるのをやめると、長い鼻息に変えた。
「それはあるね。でなきゃ、こっちもいたたまれなかったと思う。あたしもまだ新人の時よ、先輩たちの虚無の顔まだ目に焼き付いてる。てっきり一番厄介なダンジョンが消えて喜ぶとばかり思ってた課長クラスも全員、その場で泣き崩れてたよ」
「へえ。リアタイってそんな状況だったんだ」
「特攻が忌み言葉なら、刺し違えたといっても言い過ぎじゃないと思う。それくらい冬馬尊の暴走は勇者行為だったのよ。あのダンジョンは凶悪だったし、東京パンデミック寸前だった」
「その割に、英雄譚は十年ちかくも箝口令なんすよね」
遠山はサンドイッチを食べきると、缶のミルクティで流し込む。
「八年ね。禁句というより腫れ物よ。上からは何も止めてない。ただ口にすれば組織全体の無力が思い知らされるだけ。ほら、うちってさ、政財界御用達の知る人ぞ知る隠密会社って側面あるじゃない?」
「あー。そういう意味では、会社の古傷でもあるってことっすか?」
「そう。相場三兄妹はその象徴。だから相場さんの現場復帰はもしかすると、があるのかもしれない」
「それって、死に場所さがし?」
「ないとは思うけどね」
「ところで、遠山先輩。話変わるんですけど」
「んー?」
「もしかして6課の小笠原さんに続いて遠山先輩も課長昇進を蹴ったのって、そういうこと?」
「ふぅ。ご想像にまかせるわ。女だてらに長く現場やってるといろいろとあるのよ。二徹三徹はいい加減しんどいけど、上は上で、知らないほうがマシってこともあるからさ」
『[火車切広光]から[管制室]へ採掘層第11階層、異常なし』
「[管制室]了解。[管制室]から[各員]へ。潜穽を続行せよ」
「だからでしょうか」
ミカコはぽつりと言った。
「日本のアーバレストは、幹部の人が変に高齢の方が多いですよね」
「そうね。専務の土井さんなんか、あの肌艶で六八だからね。社主もご勇退されていい年齢なのに、老人たちはみんな八年前の責任、感じちゃってるのかもね」
「そのくせ誰も社長の椅子がいらないんすか?」生島がモニターから後ろへ振り返る。
遠山はモニターを見ながら、
「九門の、【絶前】の消失で会社は噤裏社会での株を上げた。でも冬馬尊がいなくなった今、同じ勇者の再登場を待たなければダンジョンが消えないという先例が生まれた。それまでの自衛隊を巻き込んだ力攻めが一変したわ。次の勇者が現れるまで、取締役会の誰かが会社の重責を背負ったまま針の筵に座り続けなきゃいけない役割を担わされるのは御免。というのがあたし達下っぱの見方よ」
「無限責任かよ。この会社って、株式会社じゃないんすか?」
「生島、あんたうちの自社株、買ったことある?」
採掘層/第17階層。
「ここに第一キャンプ基地を設営する」
[火車切広光]のリーダー・松田将郷。潜穽暦十八年のベテランだそうだ。
おれは他のキャディとともに、テントの設営に当たる。
大型のエアフィルターテントだ。除染室を別設置した、火星基地みたいなタコ足の居住空間で、三十人を収容できる。
「新入り、ペグ打ち手伝ってくれ。そっちのドリル使って」
「はいっ」
「新入り、エア寝袋運ぶの手伝って」
「はいっ」
黄色の夜光腕章をつけているキャディは、荷物持ちだけでなく雑用係でもある。パーティのために戦闘以外の地下生活を一手に引き受けることになる。休憩なく走り回らされているが、何もかも初めてで結構おもしろい。
その代わりでもないだろうが、炊事は潜穽者が担当する。
「何やってるっ、そっちのパックは二日目だろうが!」
調理場テントの幕ごしからベットラーの怒声が響き渡る。
「うわ。久しぶりに聞いたよ、調理場で雷落とす人」
ベテランそうな男性キャディが声を弾ませた。
「普段は雷落とす人、いないんですか」
おれは好奇心で訊いてみた。
「単一パーティじゃ珍しいけど。合同ではたまにあるかな。地下調査は宇宙空間と同じだから。喧嘩一つで、パーティ壊滅。地上戻ったら即解散は日常だからさ」
「じゃあ、雷落とすのはマズいのでは?」
「でも食事は生命維持の基本だろ? 食材調整ミスは文字通り死活問題になる。怒られる方が悪いと思うけど。たぶん怒られてんのは[長曽祢虎徹]の坊っちゃんだよな。くわばらくわばら」
「いや、桑原はお前だろう」
別のキャディからツッコミを入れられて、ベテランキャディ桑原さんと笑いあった。
和気藹々としているが、おれはまだ、ダンジョンの洗礼を受けていなかった。




