第23話 奪還には向かないシーサイド
今、それをバラすのかよ。おれは慌てた。
「あの子が、アルバイト。うそでしょ? 聞いてない!」
ヒステリックに立ち上がろうとする女社長を、いねは肩を押さえつけて座らせる。
「芙由美。今、問題なのはそこじゃねえだろ。ガキが親に内緒で小遣い稼ぎなんざ、よくある話だ。んなことよりもなぜ、翡翠がお前にも黙って金を必要としていたか、だ」
「ど、どういうこと?」
「お前、松風翡翠で、なに企んでた?」
金森芙由美が目を見開いたまま、口を固く噤んだ。
「話さなくていい。こっちもお前らの事情なんざ興味はねえ。だがな、その企みがどこから漏れたか、てめぇの胸に聞いてよーく思い返してみな」
「それと、翡翠のアルバイトと、何の関係が?」
「ばーか。考えろつったろ。この状況、お前の急所が敵に知られたってことだろ?」
「私の急所、翡翠が?」
「お前は頭がいい。会社で企みの根回しをすませてから、翡翠にそれを打ち明けた。その直後から、翡翠はお前に隠れてバイトを始め、狙われるようになった。違うか?」
「狙われるって、あの子が?」
「昨日、そこのバイトが、翡翠を狙って近づこうとした男二人から逃がしたらしい」
金森芙由美の顔がみるみる青ざめていった。
「さあ、こっちから出せるネタは揃ったぜ。考えろ。考えるんだ、芙由美。お前の企みを犯人にチクった奴がいる。そして、お前はその犯人の名前をしってるな?」
女社長の青ざめた目線が丸っこい字で書かれた紙面に落とされる。
「あきひこ……金森、明比古」
「金森?」おれが思わず口を挿んだ。
「弟よ。専務の……たぶん法的問題を頼んだ顧問弁護士が、弟に知らせたんだわっ」
金森芙由美は顔を覆って、両手の間から大息した。
「おい、芙由美。まだ落ち込むのは早ぇぞ。あたしらが帰った後で一人でやりな」
「何? まだ何かあるの?」
「翡翠の郷里はどこだ」
「葉山の森戸だって聞いたけど」
「お前も、葉山に別荘なかったっけ?」
その問いかけに、金森芙由美は顔を上げるや立ち上がり、玄関へ駆け出した。
いねは彼女のジャケットの奥襟を掴むとソファに投げ捨てた。
おれは人の体が床面と水平になって振り回されるのを目の当たりにした。
「うっ、ぐぐっ、相変わらずの馬鹿力がっ。これだからドワーフは……っ」
ソファで恨みがましい目を向けて、女社長は腰をさすりつつあえいだ。
いねは腕組み仁王立ちで、言い放つ。
「慌てんな。策はある。お前んちの[セクエンスⅡ]を二機、貸せ。あと船だ」
「今から?」
「敵は車で〝雛〟を輸送してるはずだ。お家騒動になる前に、お節介焼きのドワーフ様が火消ししてやろうってんだ。四の五のぬかすんじゃあねえ」
その火消し、破壊消火じゃないだろうな。
おれはいねの策に嫌な予感がした。
九〇分後。
『報告、連絡、相談ってのは事後じゃ遅ぇって知らねえのか』
「だから承認、確認、追認を求めてるだろ。兄ちゃん」
『今どこだっ』
「東京湾、船津港沖あたり? 二十ノットで南南西」
しばらく沈黙した後、
『作戦は』
「田浦から――」
『却下だ』
即答された語気の素っ気なさに、おれは思わず首をすぼめた。
「なんでさっ。まだ何も」
『人質救出は、迅速な隠密行動が鉄則だ。海自の田浦基地に夜間、突っ込んできたボートを歩哨が見逃してくれると思ってんのか。遠足の近道はケガの素だって何べん同じ馬鹿をやれば覚えるんだ、レストラ』
「うっ、ぐぬぬっ」
懇々と叱られるのをただ聞いているだけのおれは、船の座席でいたたまれなくなってきた。
『船頭に、久里浜港から入るよう指示を変更、港から平作川をさかのぼれば、五郎橋ってのがある。そこまで船の喫水と相談しながら進んで上陸、徒歩で目標を目指せ。この時間ならグラップルガンでゴルフ場を横切ってもバレやしねえだろう。船は川から取って返して三浦半島を迂回し、葉山マリーナで待機、人質回収と同時に出艇できるように言っとけ』
「でも兄ちゃん、うちらの帰りの髄液が足りなくなるってぇ」
『だぁから、船を迂回させて最短距離に待機させるんじゃねえか。マップを見る限り目標ポイントは葉山の長柄地区、葉山マリーナとは目と鼻の先だ。接敵前行動で大消耗がわかってる道を返すなんざ愚の骨頂。海自に身バレするだけじゃなく土地勘のねえ地形把握ができてねぇのは作戦ミス以前の――』
「ベットラー、あの、質問っ」
今いねの士気を下げるのはマズい。俺は口を挿んだ。説教を遮ったので、かなり勇気を奮った。
だが質問より早く、
『葉山海岸は景勝地だが、基本は砂浜と岩礁だ。船を接岸できる場所が限られる上に、海岸は夜間でも観光客の目がある。船を隠すなら同じ船着き場だ、この答えでいいか』
「あ、はい。了解」
「いいか、いね。この件はどんなミスをしても喧嘩の範疇で納めろ。相手に考える時間を与えなければ勝てる。いいな」
「Copy(了解)っ、オーバー! ――おい、芙由美」
「ふんっ、聞いてたわよ。もう変更してる。さすが大番長・相場寅治郎ね。やっぱり横須賀市内の夜間横断案は甘かったか。私もいい歳をして、焦ってたかも」
反省しきりの金森芙由美に、おれは声をかけた。
「ベットラーって、そんなにすごいんだ?」
操舵輪を握っていた[セクエンスⅡ]の嘴角ヘルムの二連ラインがこちらを振り返った。
「バイト君はまだ知らないんだ。相場さんは元――」
「芙由美。そいつ、タケルの息子だよ」
「えっ、この子が。そうだったの……運命はいつだって皮肉屋ね」
どこか同情的で悲しげな響きが、エンジンと波飛沫の音にかき消されていった。
[セクエンスⅡ]の機能は広域長波赤外線による熱源探知。四〇センチ以内の壁なら物ともせず半径六百メートルまで透過し、人はもちろんネズミまで確認できる。[ダインスレイヴ]の赤外線ソナーが半径六十メートルだからおよそ十倍の性能を持つ。
金森別邸は二百坪の敷地に二階建て。駐車中の車は、黒の高級車。
二階に人影が一つだけ、膝を抱えている。一階には三人いた。液晶ディスプレイでボクシングの試合を見ているのだろう。時々、三人で歓声が起きる。
「マモル。開いたぜ」
この家の窓には赤外線防犯センサーが二階の窓にまで取り付けてある。
だが、いねは二ヵ所だけ手薄があることを看破した。
それが、屋根にはめ殺しにされた天窓だ。
「センサーは柱に取り付けられた赤外線式だ。だが天窓には柱がないからな」
グラップルガンで屋根に昇り、天窓側面の錆びかけたビスを外せば、外板とガラスを取り付けた中枠を土台から分離された。
今回はその土台にグラップルロープを掛けて、おれが降りた。
「翡翠、無事か。おれだ、冬馬だ。迎えに来たぞ」
「マモル……マモルっ!?」
着地と同時にフェイスガードを下ろす。
翡翠は立ち上がり、おれにしがみついてきた。
おれはすぐに腰に腕を回し、フックを巻き上げた。
「うわっ」
「お静かに」
いねが翡翠の服を掴んで引き上げ、おれも窓枠を掴んで這い出た。
「マモル。〝雛〟と先に行ってろ。あたしはこいつを戻してから行く」
「了解」
ネットハーネスと呼ばれる要救助者を背負った状態で固定、二人羽織のように着被せて搬送するものだ。
「ちょっと苦しいかも」
「もっと胸をおれの背中に密着させろ。それから手足は内側に畳んでおいてくれ。時速三〇キロで走る。走っている最中に車や壁に当たれば、骨が砕けるぞ」
「どこへ向かうの?」
「北の、葉山マリーナだ」
行き先を告げて、おれは夜を走った。
「帰りたくないなあ」
たぶん独り言だ。無視してもよかったが、訊いてみた。
「なんで? 叱られるからか」
「帰ったら、ぼく、あの人の子供にならなきゃいけないんだ」
「そっか」
おれにはそれが良いことか悪いことかなんてわからないし、たぶんそういう価値観の物差しでもないのだろう。なにより、おれは部外者だ。
黙っている間も、翡翠の愚痴は止まらなかった。
「ぼく、彼女の傍にずっといたかったけど、子供にはなりたくないよ。だから東京から逃げようと思って、そしたらマンションでた所で捕まっちゃった」
「そこまで、思い詰めていたのか」
「うん……彼女の子供は絶対ムリだよっ」
おれの背中で、翡翠は声を強めた。
「だって、ぼく、彼女と結婚したいんだよ!」
「ハァ……いね。聞こえた?」
『まあ、聞こえてるのは、あたしだけじゃねーだろうけどな。あとは当事者同士でヨロシクやんだろ。けっ、くっだらねえ仕事だったぜ』
おれは無言で海岸線を走り続けた。




