第21話 逃げ切れたはずのトラブルを見に行く
「ねえ。あんた昨日、池袋駅で人を背負って走ってたって聞いたんだけどっ」
段手町高専高校。教室。
二人の女子が声をかけてきた。おれは辰巳から借りた専門書を読みながら、
「あれは、トレーニングだ」
「は?」
「荷重ランニングの一環で、階段を走ってた」
「うそ。だって背負われてたの、松風翡翠だったって聞いたけど?」
おれは初対面の女子から最近ようやく馴染んだ名前を聞いて本から顔を上げた。
「なぜ君らが、彼の何を知っている?」
「いや、むしろお前が知らんのかーい!」
東京は人間の坩堝だ、いろんな女子もいる。
「彼、地下アイドルの男子ユニット〈LOVE騎士夢〉の初期メンだよ。メンバー人気投票不動の第三位で、悪戯堕天使の異名を持って――」
以下略。それ以上は異世界過ぎて、おれの頭に入らなかった。地下でアイドルにはまだ会ったことがない。翡翠も地下に潜るのか。三位で不動ということは、万年三位止まりという意味か?
「ユカ。こいつマジで知らないみたいだよ」
相方がようやくストップをかけた。
「翡翠、今年のクリスマスイベント前から活動休止してるの。ファンの子はみんな心配してて、あんたが駅で翡翠といたって話聞いたから、何か知ってるんじゃないかって声かけただけ。てか、あんた、翡翠のナニ?」
どちらも筋金入りのファンらしいことは伝わったが、話ぶりから現場をあの見ていないようだ。
どれを話せば納得してくれるものかと、俺は本を閉じると少しだけ考える。
「たぶん、ヘアメイクつながりだ。それ以上のことは本人からも聞いてない」
「あー、メイクさんの。へえ。同じ店かよってるんだ」
「そう。たまたま同じ店に通い始めた。あの日は誰かに追われているようだったから、逃げるのを手伝った。それだけだ」
百聞は未見に似たり。どんなに他から情報を入れたとしても、直に見ていなければ真実を見たことにならない。行動せよ。祖父道雪の言葉だ。
「あ、そっ。――やっぱ事務所と揉めてる噂、本当なのかも?」
「えー、でも翡翠と仲良かったギンガとシスイはステージに出てたよね」
情報を提供したおれに挨拶もなく、自分たちの自動補完に忙しく教室を出ていった。
なにがなんだか。おれはまた本を開こうとしたら、スマホが震えた。着信は[いね]だ。
『放課後、青山』
「了」
「あらあら、マモルぅ。少しは垢抜けてきたじゃないのお?」
ドアを開けると、白と黒の壁が歓迎のハグを受ける。
「人の良し悪しは、見た目が九割だからな」
パソコンの前でいねが憮然といった。地味な実験データの観測助手で、縦縞のはいった白スーツを着てくるセンスにだけは言われたくなかった。
青山。アーバレストジャパン第2技術開発部。
脊髄オリジン[フツノミタマ]の性能テストに呼ばれた。
スーツデザインはなく、むき出しの〝脊髄〟に機関基板と呼ばれる回路プレートを貼り付けて電極を差したものを背負い、肩と腰をハーネスで固定、その状態で運動波を見る実験だ。
スポーツ用具の会社が水着やマラソンシューズの性能を見るために室内で流れる水槽で泳いだり、ロードランナーの上を走ったりする、あれだ。
おれはテストスーツを着て[フツノミタマ]を背負う。
陸上五キロを十五分で走破。一時間インターバルの後、水中五キロを二一分で完泳する。
「こいつ、改めてバケモノだな」
いねが言った。
「でもこれ、実戦はまだ無理かしらね」
テッド・ウォーレンが白衣を翻して、全身で息をする俺の背中に回った。
「十五歳の筋肉組織ではまだ、[フツノミタマ]が要求する消費カロリーについていけてないかも」
「つっても、ここで五年も寝かせとくわけにもいかねーだろ。東京エイトダンジョンの探索層越えは、国内潜穽者の悲願だ」
「地上から深淵を覗く時は、深淵もまた地上を覗くと知れ、じゃない?」
「ふん、フリードリッヒ・ニーチェも地下三百メートル先まで深淵を覗き込んじゃいねーさ。ていうか、お上はオリジンの実戦データが欲しいのか?」
「そこまで焦っておいでではないわ。宿柱を潰しては文字通り、元も子もないもの」
「待望のオリジン、蝶よ花よの箱入り道中ってか」
「相変わらず天邪鬼ねえ、レストラ。素直に東京ダンジョンを攻略した暁には、衛はミカコと海外よ。別れるのが辛いっておっしゃいなさいな」
いねが珍しく顔を熟柿みたいに赤くした。
「うっ、うっせ! 次それを衛の前で言ったら、オメーのキンタマ握りつぶすからな!」
「やぁだもぉ、はしたないわねえ。お風呂場でのラッキースケベはもう経験したのかしらぁ?」
「はあっ!? はっ、はしたねーのはどっちた。起きるわけねーだろっ!」
これが天才同士の会話か。心底どうでもいい、早く終わってほしい。
「あのさ。帰りたいんだけど。流石に疲れた」
「あら、ごめんなさいね。最終採血だけさせてもらえる? 血中の乳酸値の回復を測っておきたいから」
ウォーレン博士は時計を見ながら、
走る前と、後。泳ぐ前と、後。そして平静時の疲労回復過程を見る。耳たぶにチクリとやる。
〝脊髄装甲〟には髄液を消費して疲労や外傷を回復する効果もある。
打撲や切り傷程度なら止血処置すらいらないらしい。
[フツノミタマ]にいたっては、俺を蘇生させた。
それほど強い回復効果は、極めて稀だという。
「きっとマモルが[フツノミタマ]との適合率がいいんだと思うの。でも〝彼〟はまだマモルをリードする手の握り方が強すぎるのよ。それを時間かけて、みんなで教えてあげなければいけないわけ」
ウォーレン博士は、おれの運動データの蓄積こそが、[フツミタマ]とのシンクロニシティに寄与すると考えているようだ。
「あのさ。一つ提案があるんだけど」
「いいわよ、いろんなアイディアは好きかしら」
「アイディアってほどじゃないけど。剣の型を教えたらどうなるの、かなって?」
ウォーレン博士は怪訝な顔をした。
「剣のカタ? ソード・スタイル?」それだと剣の形状になる。
「うーん。なんて言えばいいんだ?」
「ソード・レッスンのほうじゃね?」いねが助けてくれた。
「マモル。ソード・レッスン。ケンドー、イアーイ? チャンバラー、チョンマゲ?」
おれといねが同時に笑った。
「まあ、うん。おれはそういうものもできるって話でさ」
「オッケー。次のダンジョンミッションの前に、それやりましょう。モーションキャプチャーを改良すれば、運動派を各部で詳しく見られるかも知れないかしら」
「おー、それ面白そうだな」
いねも賛同したところで次回の実験テーマも決まり、おれは帰ることにした。
社屋を出ると日がとっぶり暮れていた。
青山一丁目駅の地下改札を抜けたところで、スマホが震えた。
着信は[ベットラー]
「こちら、[ノーム5]」
地下のかすかな圧のせいか、応じてすぐ我に返る。
『お前の見えてる範囲に松風翡翠はいるか?』
向こうもダンジョン式だった。ベットラーもノリが良い。




