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第20話 翡翠とデートをしよう



 制服の規定がない学校に通い始めると、まず足りなくなってくるのが、服だった。 


「服か。僕は講師の仕事はスーツだし、部屋着はジャージ一択だねえ」


 辰巳は、学校に通う普段使いの平服なので参考にならなかった。


「あ? あたしは迷彩かツナギだけど? 別に見せる男も……いねーし。うるせえよ、バーカ」


 いねは論外。女性としての美意識が皆無だ。それでも常時すっぴんで過ごす。なのに顔にそばかす一つない美肌で化粧水一つ持っていない。好みも男物が多いが、どれも機能一点張りだ。


 そして寅次郎ことベットラーは店のオーナーらしくミドル・シニアにまとめて、暖色系のスウェットやジャケット、パンツも清潔感がある。だが装飾品が多く、金のネックレスや腕時計を好んで着けている。道ですれ違ったら横へ避けたいおじさん。若者向けじゃない。


「雑誌を見たり、店員に訊いたりしてコーディネイトすりゃあいいじゃねえか」


 いねのもっともな指摘に、おれも頷くのだが、


「なんか雑誌見ても、お店に行っても高い物を要求されていそうでさ。あんまりピンとこないんだよ」


「貧乏性か。どのみち、[ダレンスレイヴ]着て学校行くわけにもいかねーんだからな」


「わかってるよぉ、そんなこと」


 いねに服装のことでからかわれると、おれも少し癪に障った。


「おい、いね。お前も、スーツ買っとけよ」


 ベットラーが急に言いだした。いねが目をパチクリさせる。


「は? 急になんだよ」


「来週からの[フツノミタマ]研究に参加するんだろう。テディがそれに合わせて研究室周辺の地下警備レベルを上げるらしい。今後は陸自の迷彩服や作業ツナギはドレスコードに引っかかる。警備員に二時間以上押し問答したくなかったらスーツだ」


「まじかよ。えー、スカート嫌だ」


「ならパンツでいいだろ。社内の女性スタッフもそっちが多いそうだ」


「テディはいいのかよ。あいつ会うたびにフォース教のローブとチュニックは」


「あれがフォーマルだ。そもそも服装は防犯の意味合いだろう。アーバレスト社内で身長一八〇センチのアフリカ系は今のところテディ一人だ。一度見れば忘れられない風貌をしてる、あとあいつは天才だから民族衣装でも許される」


 長兄にあっさりと論破され、いねも社会適応訓練をするはめになった。

 ふいに、おれのスマホが鳴った。着信は[松風翡翠]。


「はい。冬馬」


『やっほーい。明日の夕方なんだけど、マモルにデートのお誘いしてもよい?』


「デート?」


『喫茶店でお茶して話するだけだよ。下心なしだよ』


 あけすけな冗談を言われても、おれはどうしていいかわからない。だが瞬間的にひらめいた。


「ちょ、ちょっと待って。――オーナー。明日の放課後、翡翠から遊ばないかって誘いが入ったんだけど、いいかな?」


 翡翠対応のせいか、反射でベットラーをオーナーと呼んでいた。


「翡翠が? あいつ明日のディナータイムにシフト入ってんだろ。まあ、出勤前に遊ぶくらいなら別にいいが。あまり羽目を外しすぎるなよ」


「ありがとう。――翡翠ってさ、古着屋とかよく行く?」


『え、古着屋? いくいくっ。なぁに、服探してんの?』


「学校に着ていく服を探してるんだ。予算は十万円ほど」


『んー、とりあえず五万にしておきなよ。古着屋で十万も買ったら持ち歩くの大変だからさ』


「そうなんだ。あと、コーディネイトも翡翠に頼めないかな?」


 他力本願。いねがここぞとばかりに茶々を入れてきたが、おれは背中を向けて無視した。


『いいの? ぼくが愉しんでも』


「むしろ全面協力を頼みたい。おれ、そういうのさっぱりわからなくて。下手に選んでも田舎センスがでそうでさ」


『あははは。わかるー。いいよ。じゃあ、ケーキセット奢らせてもらおうかなあ』


「そんな、気を使わなくていいよ。むしろこっちが頼んでるんだから」


『いいのいいの。先輩の顔を立てちゃってよぉ。じゃあ明日、池袋駅西口に十六時、集合ね』


D'accordo(ダッカルド).(了解)」


 通話を切ると、おれはスマホを見つめて首を傾げた。


「衛、どうした」ベットラーが晩酌の手を止めた。


「うん。気のせいかもしれないけど」

 おれはスマホを見て、頭を掻いた。

「翡翠、なんかさっきまで、泣いてた気がする」


 ベットラーが辰巳と目配せをした。何か事情を知ってる風だったけど、あえて踏み込まなかった。

 おれが言ってはいけないかもしれないが、人にはそれぞれ事情があるのだ。 



「冒険しないコーディネイトなら、カジュアルジャケットを基準に考えたらいいよ」

 池袋西口、徒歩一〇分。 


〈Zac&Balan closer〉


 街で見かける大学生が着ていそうなスカジャンやジャージ類が多い中、ジャケットもある。

 翡翠は飛び込むや、店員に挨拶してジャケットを物色し始めた。その手さばきが早い。追いついてすぐに一着を押し付けられた。


「マモル、それ着てみて~」

「これ、袖だけ短くないか?」


「七分袖は、春夏物だよ。人によってはオールシーズンで着てるから。マモル、元中学生にしては胸も身長あるから~、と。色はブルー、ネイビー、ダークグレイあたりから始めてみる? あとブラックならこのファスナーもいけるかも?」


「黒は変に学生服っぽくならないか?」ささやかな抵抗。


「カジュアルジャケットはボタンやファスナーは閉じない。つねに全開」


「常に全開……不良では?」


「マモル、そろそろ学生服の感覚、忘れよっか~」


 カジュアルジャケット一着あれば、インナーはTシャツだろうがブラウスだろうが、一応、様にはなるらしい。なるほど、よくわからん。


「マモル。本当にぼくが全部決めちゃっていいの?」


「よろしく、お願いします」

 全面降伏だった。


 その後、池袋界隈を時計回りに北回り、三件の古着屋をはしごして池袋駅を東口まで戻ってきた時には、両手が紙袋で埋まった。ジャケット以外にも、Tシャツ、ブラウス、スウェット、ベルト、パンツ、靴下まで。自分のために五万円で服だけを買ったのは、生まれて初めてだった。


「あー、楽しかったあ。服買いでしか摂れない養分があるよね~」

 どんな養分なんだ。

「マモルも歩き疲れたでしょ。喫茶店いこ。ちゃんとお――」


 翡翠の笑顔が俺の目の前で急速にしぼんだ。その表情に怯えを見てとり、おれは振り返らず翡翠の手をとって走り出した。


「ま、マモル!?」

「紙袋、二つ持ってくれ。両手だと走りにくい」


 後ろから靴音が追ってくる。

 呼び止めることはせず、怒声もない。

 駅前東口ではひと目も多いからだろう。目立てば警官が飛んでくる。


 構内の階段を駆けのぼった。そこで翡翠が早くも息切れした。


「だめ、もうっ、ムリ~っ!」


「運動不足だぞ。じゃあ、残りの紙袋も持っててくれ。おれが翡翠を背負う」


 紙袋を押し付けると翡翠の太腿を掴んで背負う。

 最上段からを見下ろすと背広の男が二人、血相を変えて昇ってくる。だが踊り場で一度足を止めてこちらを恨めしげに睨んできた。


 どうやら、あちらも運動不足らしい、追っ手の人選ミスは助かる。


「このまま店まで走るか」

「えっ?」

「あの二人を撒くころには、仕事(シフト)の時間だろ?」


「……うん、そだね」

 なんだ、今の間は。そしてその観念した吐息は。


「じゃ、行くぞ」

 おれたちは池袋駅を西に駆け出した。



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