第2話 忘れ形見
水曜日。
鈴ヶ森警察署から連絡があり、トウママモルの身柄を引き受けに向かった。
本人をひと目見て、俺は正直、失望を禁じ得なかった。
「相場寅治郎さんですね。少年課の笹本といいます」
相談室で、背広の男性刑事から本人を交えて、事情の説明があった。
自供の内容は、金欲しさに盗掘屋から五十万円を即金でもらい、実家に送金。盗掘屋から六時間耐久のバッテリー式のヒートカッター一本だけもたされて、ダンジョンに潜穽させられたらしい。
四時間後、アーバレスト・ジャパンの調査員に発見され、保護された時、周りに盗掘仲間は一人もいなかったと言う。
「待ってください。四時間後にアーバレスト・ジャパンが保護して、なぜそこから彼が二時間もダンジョンへとどまることになったのですか」
俺はミカコから聞いていた内容にかすかな齟齬がある気がした。
笹葉刑事は頭をかきながら、
「私も地上勤務専門で、ダンジョン事案については詳しくは知らんのですが、ガルムスパイダーとかって〝魔物〟の巣を一基破壊するごとに、百万円を東城ミカコという女性から受け取る約束をしたといって、先方もそれを認めてましてねえ」
お嬢め。ダンジョン内でトウママモルの異能力を試したな。
未成年相手に法外な額での契約は違法行為になる。
ところがダンジョン基準法には、ダンジョン内での私人間契約の規定はなく年齢も関係ない。よって合法となる。
地上で通則とされる民法が、ダンジョン内ではダンジョン基準法が優位するためだ。
「理解しました。学校の方へは?」
「仙台市の中学を卒業三日前に東京へ出てきたらしくて同校に無関係を主張されまして、高校へも受験はしていないそうです」
捨て身。俺はにわかに身元引受人になったことを後悔した。
「身元引受人が今さらこう言っちゃあだめなんだろうが、彼の未成年後見人は?」
「母方の伯母に当たる女性が一人、仙台に。ただ今回、その方にも連絡を取らずに上京してきたようで」
「名前は」
「えっと……はにゅう? いや、ウリュウだったかな。テンカさんという、陸上自衛隊員だそうなんですが、本人とはまったく連絡がとれておらんので、相場さんに」
ウリュウか、羽生心眼流甲冑兵法。羽生道雪の縁故か。
となれば、アーバレスト・ジャパンは冬馬衛の後見人が電話に出ない理由を調べて、とっくに把握しているだろう。
「ありがとう。大体のあらましはわかりました。その後見人も、おそらくわたしの古い知り合いです。こちらから連絡を入れて今後を相談しようと思います」
笹本はホッとした様子で肩を落とすと、席を立った。
「それではよろしく。署の前までお見送りしますよ」
警察署の門前まで出ると、俺は大きな鼻息を吹いた。
エブリイの運転席に乗りこむと、シートベルトをする前に助手席をみる。
俺は内心、驚いていた。
タケルの若い頃にそっくりだった。
十代の頃、手につけられない半グレで警察に追われると決まってダンジョンに逃げ込んだ。
その息子も、ダンジョンで一攫千金を狙う無茶をする。
蛙の子は蛙と笑えないほど、俺は俺自身の過去の尻拭いをさせられている気分だった。
「自己紹介しとくか。俺は相場寅治郎、本名はベットラーで、生まれはイタリアだ。日本に帰化したのは戦後直後だな。池袋って町でメシ屋をやってる」
「戦後? あんたいくつだ?」
「一六四。日本に来たのは一九〇七年だ。で、お前は?」
「十五。冬馬衛。冬の馬に、防衛の衛。宮城県の仙台市。金がいる」
自己紹介でも金の主張か。
「この国で、お前の身分は未成年だぜボーイ。生活の権利と職業選択に一定の制限を受ける。よってダンジョンもナシだ。シートベルトをしめろ」
「ダンジョンの潜穽免許を取りたい」
俺の戒告を無視すると、シートベルトを締めて睨みつけてきた。
親子二代のせっかち小僧め。エンジンをかける。
「十代で受験資格を得るなら、ダンジョン工学を専攻する高専二年生になるか、満十八歳以上の潜穽従事者で二年以上の実務経験だ。例外はねえよ」
「国土交通省認可の特別調査官は」
「はっ。ありゃあ五年の実務経験者、公務員用の抜け道だ。未成年はもとより、手っ取り早く資格を取る逃げ道にはならん」
変速レバーをニュートラルからローに入れて、すぐに2速、3速へと切り替える。
助手席で小僧が人生の壁にぶつけたか、頭を抱えている。右手の甲は包帯で隠していた。
「衛。いくら欲しい」
「一六〇三万円」
「ん、やけに具体的だな」
「妹の手術費用」
「それがなきゃ、死ぬのか」
「死なねえよっ。死なせるもんかっ。……けど、国内じゃ治療法が見つからないって」
「そのくせ、金額だけはえらく具体的なんだな」
「えっ、だって。医者だからだろ?」
俺は信号待ちにブレーキを踏み、ハンドルの横を爪で叩いた。
「お前いま、医者から治療法が見つからねぇつったろ。なのに金だけは大層な額を要求してきやがる。医者と魔法使いはよくよく選ぶんだな。いつの時代も腕に自信がねえ半端者ほど、金にガメついもんだ」
「でも、渡航費用だって」
「日本の医療レベルを舐めるなよ。国内で治療法がわからねえのに、海外でどんな治療をするか説明を受けたのか?」
「それは……でもあの先生はずっと、六花を診てくれてた先生なんだ。それにっ」
「それに? まさか地方の医者が、東京の盗掘屋を紹介してくれたとか言い出すんじゃねえだろうな。そいつは瓢箪から駒じゃなく馬を出すアイディアだな。挙げ句、お前は死にかけた」
「それは、そうだけど……でも」
「なあ、衛。ダンジョンに入ってみてどうだった?」
少年は不意にうつむくと、今さら震えだした両手を握りしめた。
「正直に、見てきたまんまを話せ。あの場所を自分で言葉にしなきゃ、お前は自分の置かれた現実を見てきたことにはならねえ。初めてのダンジョン、どうだった」
「どうって……暗い、降りればおりるほど、ただ暗い、臭い、地獄だった」
身に過ぎた金が人を孤独にするのに、孤独なガキは願いを叶えるために金を欲する。
タケルも衛も、父子揃ってやり方が悪い。
周りに迷惑をかけまいと単身で突っ走って、結局、周りに悲しみと後悔を置いて逝きやがった。
「衛。アーバレスト・ジャパンの東城ミカコは知ってるな。ガルムスパイダーの巣、一基につき百万って話だったか?」
「うん」
「その話、忘れろ」
「はあ? なんでだよっ。おれ、三基も破壊したんだ。本当だ!」
「でかい声を出すな、聞こえてる。それが本当だとしても、成功報酬三百万を当てにするなと言ってるんだ。その金はお前にじゃなく、ミカコがお前ら兄妹の安全のために費やすはずだからな」
「おれらの安全? どういうこと? あんた、何を知ってるんだ」
俺はブレーキペダルをはなし、アクセルを踏んだ。また変速レバーを切り上げる。
「詳しいことは本人が会いに来るだろうから、その時にでも聞け。心配するな、二週間はかからん。東城ミカコは、できる女だ」
もっとも、二週間経っても東城ミカコは衛の前に現れなかったのだが。