第18話 妹、六花とバイトのヘルプ
「お兄ちゃん!」
病室のドアを開けると、ベッドの上に会いたくて仕方なかった顔があった。
冬馬六花。五つ下の、十一歳だ。
髪、少し切ったんだな。
胸の辺りまであった髪を肩で切り揃えられていた。
おれは思わず視界がにじみ、袖で拭うと制服の脇が嫌な音を立てた。
ま、いいか。もう二度と着ないし。
「衛お兄、ちゃん……?」
「どうした。なんだよ、二ヶ月で忘れたのか?」
「ううん。なんか、変わったね」
「ん、ああ、あちこち筋肉ついたかんなあ。今、ダンジョンで稼いでるんだ」
「本当に、お父さんと同じことやってるんだ」
再会に喜んでいた妹の顔がみるみる萎れていった。
おれは慌ててベッドに回り込んだ。
「心配すんな。兄ちゃんうまく稼げてるんだ。それでお前を東京の病院に転院させられたんだぞ?」
「うん。ミカコお姉――さんからも聞いた」
わざと姉呼びさせてるな。当てつけている相手はわかるが。
「それに今日、進学先の段手町高等専門学校の入学式にいってきた」
「何しに?」
妹の純粋な指摘が、胸を貫く。
「いや、入学しに参加しに。ちゃんと生徒になったから。一年C組」生徒手帳を見せる。
「ジュケン、勉強いつしたの。学費は?」
うっ、鋭い。
「学費は、東城さんから借りてる。出世払いで」
「それって〝どれいけいやく〟っていうんだよ。天華さんがめちゃくちゃ怒ってるって。悪魔に魂売ったって」
伯母の天華がこの病室に来た。俺はとっさに後ろの美女を見た。
東城ミカコは春の女神のごとき穏やかな微笑のままだったが、口許だけ笑みが冷たく引き攣り、顔の上下でアンバランスだった。本当に悪魔か魔女みたいだから妹の前でやめてほしい。
「六花、それは違うんだ。たしかにダンジョンは工事現場の仕事よりきついけど、親方みたいな人からよくしてもらってる。東城さんのおかげで六花の病気だって」
「リッカのことはもう、いいから」
「いいってなんだよ。六花。これからじゃないか。やっとおれ達の運が向いてきたんだ。これから兄ちゃんと頑張っていこう!」
「お兄ちゃんは自分の幸せだけ考えて。リッカはもういいよ」
おれは胸がぎゅぎゅっと締めつけられて泣きそうになったが、顔は笑った。
「いつも言ってるだろ。兄ちゃんの幸せは、お前が病気を治して学校に通うことだって」
六花が顔を背けた。萎れたのではなく、頑なに。
天華伯母に何を言われたのかは聞き出せそうにないが、やっと本気で妹の難病に挑んでくれる人を見つけたんだ。こちらの世話を人任せにしておいて、今さら六花を渡せなかった。
「なあ、六花。六花は兄ちゃんのこと見捨てるのか」
「えっ」
六花が困った様子で泣き顔にかった。
ずるい脅迫だったが、おれは真摯に見つめた。
「兄ちゃん東京に来て無茶やったけど、六花のために東城さんやダンジョンの親方に頭下げて、頑張って六花を援助してもらう約束をしたんだ。それでも六花は兄ちゃんを置いてどこかに行っちゃうのか。 おれを一人ぼっちにするのか?」
「だって……六花も嫌だけどっ」
「今は病気を治そう。必ず治るって信じよう。六花一人じゃ治せない病気だから、みんなで治そう。それを信じてくれないか? お前はもう兄ちゃんいらないのか?」
「やだ。お兄ちゃんがいなきゃ、やだよぉ!」泣き出した。
おれも溢れた涙そのままに、ベッドに片膝をのせて妹を抱きしめた。
「おれだって、六花がいなきゃだめだ。もうおれの家族は六花だけなんだ。お願いだから、東京の病院で元気になってくれ。笑顔で長生きしてくれよ。また兄ちゃんと病気と戦おう。な?」
今のおれが力を込めたら、折れてしまいそうなほど細い体だった。こんな華奢だったかと悲しさで嗚咽が洩れそうになり唇を噛む。
「お兄ちゃん、お父さんみたいに死んじゃやだぁ。絶対やだぁ!」
「ああ、死なねーよ。兄ちゃん約束すっから。嘘ついたら針千本飲む。だから二人で幸せになろうな」
六花が何度も頷くので、おれは心から安堵のため息をついた。
それを見届けて、東城ミカコがスマホを片手に病室を大股で出ていった。
「東城よ。今日、特別病棟の七一〇三号室に来客通したの誰、呼び出して。今すぐよっ」
ドアがスライドするまで、おれは彼女の怒りが穏便に済むことを願った。
帰りの車内は、お互いに無言だった。
おれは単に、東城ミカコの前でもらい泣きしたのが跋が悪くて窓の外を見ていた。
彼女は見えない敵のことを考えているようだった。
兄妹水入らずしている間に、看護師二人とデイルームで何かを話し込んでいるようだったが、彼女が何に違和感を持ったのか、こちらから訊いてはいけない気がした。でも自分たち兄弟のことだ。知っておきたい。
「あの、とう――」
おれのスマホが鳴った。相手は[ベットラー]。
「はい、冬馬」
『俺だ。悪いんだが今晩、フロアヘルプで店に出てくれねえか』
「ディナータイム、いいけど。欠員?」
『翡翠が休ませてくれって、さっき電話があってな』
「そうなんだ。いいよ。家に着いたらすぐ着替えていくから」
『おう、頼んだぜ』
「ちなみに、今日のまかない何?」
『はっはっはっ。それは来てからのお楽しみだ』
すると、おれの顔前に赤い爪の白い手がすっと伸びてきた。
「あ、東城さんが替わってくれって」
「ベットラー。今晩のディナー、席空いてる? ……九時に二名。ワインはバルバレスコをボトルで、料理もそれに合わせてほしいのだけど。……魚がいいわ。もういい歳だし。……それなら、リゼルヴァの二〇一六年ある? ……ええ、よろしく」
通話を切ると、スマホを制服の胸ポケットに入れられた。
かっこいい。大人の女性だ。あといい匂いした。
東城ミカコは窓の外を見ながら、
「そうね。今晩のテーブルをマモルに任せるのは、まだ早いのかしらね」
「え?」
「同伴する相手に無理なお願いを聞いてもらう席よ、機嫌を損ねるわけにはいかないから。だからまだ引き合わせるのは早いと思うのよ」
「あー、うん。けど、どういう人?」
「私の祖父よ」
「へえ。じいちゃんか」
「母方の、だけどね。――アーバレストジャパン社主、東城景騏」
俺は目をぱちくりさせた。




