第14話 換骨脱胎/emergence(羽化)中編
第18階層。
俺がそれを見たとき、辰巳の言っていた〝神話キマイラ〟というのがよくわかった。
鉄くずの寄せ集めに過ぎないはずの巨塊が、静謐な闇の中に澱んでいた。
左右の肩に山羊の頭。正面に獅子の頭を思わせる隆起は、鉄が錆び腐ちてたてがみのように垂れ下がっていた。ように見えた。
目も耳もあるはずがない鉄くずが、躍動する威勢すら醸し出してくる。
「お前が今回の討伐目標だったんだろうな。そのデカさと殺気は、俺も長くダンジョンを歩いてきたが随分久しぶりだ」
「兄貴。脊髄の位置をロックした」メンザの報せとともに映像が拡大していく。「場所は正面、獅子の頭部左後方。仮想首の辺りに突き刺さってる」
「回収はお前に任せる。脊髄を傷つけないよう周りの金属と一緒に剥がせ」
「了解。わかってる」
「兄ちゃん。罠の配置完了、マークを送る」
環境映像の中に、黄色い点がマーキングされた。
「メンザが切り取ったら脊髄を掴んだら、レストランテは俺たちを気にせず衛の所へ走れ」
「わかってるよ。兄ちゃんもメンザもゴミごときに潰されんなよ」
「誰に言ってる。俺たちは[三島瓶割]だぞ?」
二人は小さく笑息して、黙りこむ。
「始める。お前たち、抜かるんじゃねえぞ!」
キマイラは俺に向かって前足を何度も蹴り、戦闘態勢に入った。
なぜ虚無の亡者であるはずの存在がこの個体だけ、好戦的になっている?
俺は両手のヒートアクスを出力最大にし、足下でヴァルスの燃料器をリフティング。宙空からキマイラへ蹴り放った。ヴァルスの燃料は獲物を追うために長距離を走ることからガソリンよりも燃費がいいことは潜穽者の間で知られている。
「レストランテっ!」
合図で、火種を点けたボウガンの箭が射出、燃料器が爆炎を吐き出して獅子のたてがみに降り注いだ。
キマイラは炎をまとったまま、猛然と突っ込んできた。
「兄ちゃんっ」
「怯むなっ。むしろその戦意や良し、願ったりかなったりだっ」
俺とレトスランテは後方へ走った。
黄色いマーキングの間を走る。キマイラは巨体なので俺たちよりも幅をとって追ってきた。
その左右の脚部に杭をくくりつけたロープが絡みついた。
そして、最後のロープは岩盤にしっかり打ち付けてある。
「散開!」
俺とレストランテが左右に分かれると、追ってきたキマイラは急には止まれない。
最後のロープに足を引っかけてどおっと突っ込んだ。
俺たちはその隙を逃さず、足に絡みついたロープの杭を岩盤に打ち込んだ。
キマイラは本来、緩慢な機械獣だ。ましてや巨体となって重量がある。
馬蹴りをモロに受けたら即死だろうが、一度倒れたらすぐには起き上がれない。
移動手段を拘束すればガリバーの捕獲、やりたい放題だ。
「メンザ!」
俺と斧を持って走ってきた義弟が一斉に振り上げ、もがく巨体の錆びた首元に叩きつけた。
トンッチンッカンッ。間抜けな音も多重奏となれば猛々しい。火花飛沫を撒き散らしながら〝脊髄〟を傷つけないように削り出すのだ。
「まさかッ、本当にッ、脊髄だとはッ、なッ!」
「兄貴、僕やお嬢さんのッ 目を信じてッ なかったわけッ?」
「今でもッ、目を疑うッ、光景だッ。誰のッ、脊髄だか、なッ」
「それ、今さらでしょうがッ!? ――兄貴、動いたッ。もうひっこ抜けそうだ!」
メンザは燻銀色の脊髄を両手で慎重に引っこ抜くと、頭上に掲げた。
そのまま義妹へスローイング。
それをジャンプキャッチしたレストランテは、ラグビーのフォワードのように全力疾走で上階に揚がっていった。
「頼むぞ。レストランテ!」
「メンザ、ぼさっとするな!」
俺は義弟の腕を掴んで、走り出した。
「兄貴、何っ?」
「キマイラをよく見ろっ!」
俺が指をさす方へ目を向けると、メンザは魂が抜けたみたいに呆然とした。
キマイラのヤギの双頭や蛇の頭、腹、肩、獅子の頭部まで青い光のまだら模様が浮かび上がり始めた。
「これ、何っ。こいつ、なんなのっ?」
「いいから。さがるぞ!」
二人で六十メートル離れた岩陰に身を隠す。
キマイラはメキメキと耳障りに軋む音を立てて、拘束された両足をちぎり捨てた。そしてちぎったおのれの脚を捕食し始めた。
「兄貴、あの青い光は?」
「わからんが、もしかするとデーモンコアの再起動したんじゃねえか」
「り、リスポーン? ゲーム?」
「潜穽者に討伐され、遺棄されたデーモンコアのいくつかは切り離されても機械獣の生命機能として死んでなかった、とかな。残骸を漁りに来たジャンクに取り憑いて自分の体にしようとしたんだ。だがジャンクはまともな機能なんて何一つない鉄くず機械獣だ。複数のコアに取り憑かれて体の奪い合いになって多重並列スペックになって暴走してたんだろ」
キマイラは食べた後で、脚を六本にした。
「と、形質転換した!?」
「ふんっ、よらば文殊の知恵ってか。体の支配権をめぐって競合してたデーモンコアどもが共通の敵を見つけて協力したところで、どだい――」
言い終わるのを待たず山羊の頭がこちらを向き、光熱収束帯をほとばしらせた。
俺たちが隠れていた岩の上半分をかき消した。
二人で地面に四つん這いのままゴキブリのようにバタバタと逃げだした。
「兄貴、手はあるんだったよなっ」
「ボウガンでコアを破壊して爆破してやろうと思ったんだが、なんか無理そうだな」
「もしかして、状況悪化?」
「ご覧のとおりだ」
『[管制室]から[ノーム1]へ。聞こえますか』
「こちら[ノーム1]。どしたっ」
『[ノーム5]が現在、降下中。そちらに向かっています』
「マモルが、復活したのかい!?」
メンザは声を弾ませたが、俺は直感的に新たな異常を感じ取った。
「お嬢、上で何があった?」
応答が数秒なくなって、俺が再度呼びかけようとした時だった。
『[ノーム3]によれば[ノーム5]が[ダレンスレイブ]から別の、見たこともない機種に変貌したと』
「メンザ、僚機検索」
「了解。……応答なし。[ノーム5]だけロスト状態。え、ロスト?」
自分でも反射報告がおかしいと感じたのだろう、メンザの声が上ずった。
「[管制室]、[ノーム5]のコンディションは」
『[ノーム5]コンディション、オールクリア……心拍数、脳波、血圧に異常は見られません』
「はっきり言ってくれ。何が問題なんだっ。今の[ノーム5]は敵か、味方か!?」
『[ノーム5]は現在――、意識不明のままです』




