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第13話 換骨脱胎/emergence(羽化)前編



『[ノーム5]、被弾!』


 その報告で、俺はテントを飛び出していた。


「兄ちゃんっ!?」

「レストランテはここで応急処置の準備だっ、連れ戻ったらすぐ修理、頼むぞ!」

「わ、わかった!」


 ヒートアクス二挺を両手に握りしめ、階層を駆け下りる。

 被弾ポイントは、当初の目標だった第18階層。

 その間の階層の機械獣は、無関心なジャンクばかりのはずだった。


「おかしい。機械獣がラプトル系すらどこにも見当たらねえ。どこいった?」


 もしかして、今ジャンクどもが漁っている十数か所が、それじゃないのか。


「敵が壊滅、だと。探索層(ディープ)から大物の機械獣が揚がってきやがったのか」


 混乱する頭で走りながら、俺の心臓は後悔で破裂しそうだった。

 やっぱり行かせるべきじゃなかった。

 なぜ、自分の体力の回復、髄液の温存を優先した。

 なぜ、見習いをベテランより先に前に出した。

 なぜ、若造より安全な場所にジジイを下げた。

 衛は剣が達者でも、まだ地上のこともダンジョンのことも何も知らない子供なのにっ。


「[ノーム1]から[管制室]、状況はっ!」


『[ノーム2][ノーム5]ともに第18階層入口付近まで後退。キマイラがチャネルキャット六機と交戦中』


「はあッ!? なんだそりゃあっ、キマイラが交戦だと!?」


 チャネルキャットは、猫ではなくナマズ寄りの機械獣だ。


 視覚デバイスを搭載していないためヒゲで周囲を確認し、四短足で歩行する。大口と長い体幹の見た目からその名が付いた。

 岩石を食べるのはいいが採掘中の壁を穴だらけにして崩落事故の主因になることもあった。


 交戦すると放電しながら突っこんでくるのが厄介だが、放電時間は短いのでその間に叩けばあっさり倒せる。ちなみに、討伐後に無傷の内蔵バッテリーは機材充電にも使えた。


『[ノーム2]が足止めに焚き付けたみたい』

「了解っ」


『兄貴、兄貴っ、僕のせいだ』辰巳の通信が入った。近い。『マモルが僕をかばって暴走キマイラの突進を受けたんだ』


「[ノーム2]、キマイラが暴走している原因は」


『とにかく、やたらでかいキマイラだよ。神話から出てきたみたいに三つ首だった。腐食汚染もひどいヤツで、あれは探索層でも忌避されていた存在に違いないよ』


 辰巳は錯乱してる。問いかけに応じない。普段以上に言い訳がましくなっている。


「わかった。お前はそれをもっと詳しく撮影しようと近づいたんだな?」


『ごめん……どうかしてたよ』


「[管制室]、衛のコンディションは」


『脊髄破損率68%。髄液ゲージ38%。意識混濁。脳波異常なし。呼吸安定。即時撤退を』


「馬鹿野郎! 〝脊髄〟が損傷してる時点で動かせねえだろうがっ、救援要請!」


『は、はいっ』


『兄貴、ごめん……っ』


「もういい。口から謝ることしかヒリ出せねぇなら、歯ぁ食いしばってマモル背負って揚がってこいっ。俺もすぐ合流する」


 ダンジョン中に蔓延するヴォイドガスは人体、とりわけ脳神経への腐食をもたらす汚染ガスであることはわかっている。だが成分の詳細はいまだ解明されず、一説には一九二〇年代にエジプト王家の谷で内部調査団数名(カーナヴォン伯爵を除く)が被った古代ガス「ファラオの呪い」との類似性も指摘されたが、まだよく解っていない。


 またダンジョンでの活動において、ヴォイドガスから人体の生命維持を担う〝脊髄装甲(スパイナルコード)〟もまた、その正体が解っていない。


 開発者はアメリカの地質学者ジャック・S・マグス博士。一九九五年のマンハッタン島【蜂巣窟】で脊髄の形状に酷似した金属物を採掘したところから始まった。四年後に博士は暗殺され、犯人が持ち去ったであろう脊髄〝オリジン〟は所在不明のままだ。


 そこからさらに二年後、――二〇〇一年。


 先進国六カ国とインドから〝脊髄装甲〟が一斉に開発され、その改良型が現在のダンジョン開拓時代を牽引している。


 俺たちが開発した[ダレンスレイヴ]もその一派生に過ぎなかった。スーツの織布すら原始の

〝脊髄〟を超えられていない。まるで技術そのものがマグス博士の創造物ではなく、はじめから地球上に存在していなかった技術と思えるほどだ。


「兄貴ッ!?」


 ぐったりした衛を背負ってやってくる辰巳が、哀れっぽい声を出す。


「ばか。俺の顔見て情けねぇ声を出してんじゃあねえ。急げ、いねが待ってる」


 衛を背負う辰巳を先に行かせて、俺は背後を守った。


[ノーム5]の〝脊髄〟は胸椎エリアがすっかり砕けて黒くなっていた。頚椎がオレンジ、腰椎がレッドがかろうじて自立稼働するのみだ。これが全て黒くなると、衛は呼吸するごとに脳神経の腐食が始まる、はずだ。


 ミカコの話では、衛は脊髄装甲なしに六時間もダンジョンに滞在して汚染率一%もなかったというが、冬馬衛が人間であるならば奇跡に二度はないはずだ。


 ヴォイドガスは死神と同義、例外はない。


『ベットラー。救援要請の手配完了。だけど』


「わかってる。第18階層じゃ深すぎて髄液搬送が関の山だ。こちらから浮上する必要がある」


 ベテラン潜穽者らが撤退を選択したのは、中継地が望めないこともその理由だろう。迂闊だった。


『衛の浮上は、できそう?』


「無理だな。髄液を入れる〝脊髄〟そのものが大破してる。人体の脊髄はっ?」


『そちらは異常ありません。でも、マモルなら』


「奇跡をもう一回起こせるってか? すまねぇな。俺たちはそこまで神様を信じたことがなくてな」


『でも何か……方法はあるはずよっ』


「お嬢。いいアイディアを考える時は、みんな黙ってるもんさ」


 テントに戻った時、いねが修理機材を広げて準備万端にして待っていた。

 だが横たわった衛の破壊された脊髄を見るなり、両手が眠ったようにだらりと下がった。


「お手上げか」


「うん、無理だ。これは無理……ふぅ、まいったぜ。どうすりゃあいいんだ?」


 いねの静かな落胆の吐息が、俺たちの手詰まりにダメを押した。

 衛は気を失ったまま浅い呼吸を繰り返している。不甲斐ないドワーフの泣き言を聞かれなかったのがせめてもの慰めか。


『ねえ、メンザ』


 ふいにミカコから急に本名を呼ばれて、辰巳が顔を上げる。


「な、なに?」


『記録映像の十二分四七秒を確認してくれない?』


「お嬢。何を今さら事故映像なんざ」


『ベットラー、ちょっと黙ってて。――メンザ、早く』


 俺のディスプレイにもその映像が現れた。確認させられる。

 音声は入ってない。モノクロ映像なのは、暗視撮影だからだ。

 巨大なゴミ山の影がこちらへ回頭し、猛然と突っ込んでくる。


「まじか、この距離でキマイラが威嚇なしの攻撃姿勢を見せてくるなんて聞いたことがねえよ」


 いねが感嘆を洩らした。


『メンザ。いい、見てて。ズーム三百倍、こっちで拡大したものを見せるから」


 映像が急速拡大してモザイク状になったあと、やがて処理が進み、ある一点に焦点が定まる。


 なのに、俺はとっさにそれが何か理解できなかった。


「おい、おいおい。こいつは嘘だろ。ありえない……奇跡かッ!?」

 辰巳はフェイスガードをおろさず頭を抱えた。

「こいつ、自分の体に〝脊髄〟をくっつけてて歩いてたってのかあっ!?」


『この場所、思い出せない?』


「いや、いやいや待ってくれよ、お嬢さん。無茶だ。第一、こんな馬の骨を[ダレンスレイブ]の脊髄と換装して互換性がなかったら、衛ごとパァだよ?」


『この際、やらない論拠(ネガティブ)は結構よ。私たちは一縷の希望を見つけた、あとはやるか、やらないか。でしょ?』


「お嬢の言う通りだっ。こいつを強奪(いただ)いて来よう」 


 俺は立ち上がり、再び手斧を構えた。


「レストランテ、お前はボウガンを持って出ろ。メンザは足止めのロープだ。ゴミ山相手の脊髄争奪戦だ、行くぞ!」


「あいよっ」 


 奇跡ってのは大抵、起きやしねえんだ。

 誰が(あつら)えるのか、いつだって人に越えられそうにねえと絶望を見せる。

 人はそれを、試練と呼び替える。

 人は、試練を越えて、月まで行った。

 俺たちにだって、この程度の試練なら越えられる。越えてみせる。

 希望を捨てないために。



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