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第1話 ランチタイムに滑り込んでくる女



「ねえ、ベットラー、弟子を取らない?」


 西池袋〈ラ・ベットラ・ダ・アイバ〉。


 カウンター席に座る小娘が、開口一番に妙な話を始めた。


 東城ミカコ。

 二七になるのか、なったのかは野暮な話だ。


 現れるときは、決まってランチタイムのラストオーダーギリギリで、客がおおよそけたタイミングを図ったように現れるのも、こいつの祖父(じい)さんとそっくりだ。


「入店早々、何の話だよ、お嬢」

「だから、弟子よ」

「ここは客にメシを食わせる食堂だ」


「私がここに顔を見せて、料理人の弟子入り話を持ちかけたと思う?」

「思うね。現に、あんたは俺に前科がある」


 厨房で働いているミツルもタクロウも、小娘が十代の時に来日した数日間で拾ってきて押し付けられた。もう十年も前だ。今では店を任せられる主力だ。


 ミカコは、じれた様子で眉をひそめて身を乗り出してくる。


潜穽者(ダイバー)の弟子よっ」

「なら、お断りだ。本業の方はここ何年も干上がっちまって、開店休業中だからな」


「こっちから仕事、斡旋する」

「そんな身分になったら持ちかけてくるんだな。まだ営業3課だろ?」

「第3地下営業ぶっ、よ」


「外注の潜穽者に案件を割り振れねえ立場なら、どっちでも一緒だろ」

「私がのし上がるためには、その弟子が必要なのよ」

「なら、お嬢が仕込んでやんな。手取り足取りよ。で、ご注文は?」


all’arra(アッラッ)biata .(ビアータ)(怒りんぼ風)Mi() affido(アフィード) a voi.(ヴォイ)(お任せで)」

D'accordo(ダッカルド).(了解)」


 アラビアータは唐辛子とトマトの赤い辛口ソースで、うちはにんにくをオイル程度に抑え、コンソメを使わない。ダッテリーノという旨味の強いトマトとシシリー岩塩を合わせることで雑味のないスッキリとしたソースをつむぎ出す。具材は輪切りにしたナスで赤にアクセントをつける。パスタはソースが絡みやすいスパゲッティ、もちろん半分に折るなんて罪は犯さない。


 今さらだが、今日のランチメニューにアラビアータはいれてない。

 とはいえ、俺は正真正銘の〝貴族〟には、逆らわないことにしている。

 皿に盛りつけて供すまでに、小娘はスマホでどこかに電話していた。


「ベットラー。予約が取れたわよ。仕事を斡旋してもらえるように根回ししといたから」


「おい、勘弁してくれよ。俺はやる気になったとは一言もいってないだろうが」

「やる気にならざるを得なくなるわよ。祖父が、あなたの力が必要だってよ」


 電話のつなぎ先は、首脳直通(ホットライン)か。


「はんっ。おたくらの都合の良い時にだけ、こっちを駆り出してくれるな、って言ってんだよ」

「でも祖父や父と仕事をするの楽しかったんでしょ? だからニューヨークの時もすぐ来てくれたのよね?」


 まったくイヤな女に育っちまって。まあ、王様二人から薫陶くんとうを受ければ、修道女だったとしても、十年で金と権力に擦れた女帝になるだろうが。


「いいか、お嬢。俺はな」

「昨日よ、【穢者(エシャ)】で子犬を拾ったの」

「子犬?」


【穢者】は、品川区南大井の鈴ヶ森にある第4ダンジョンの異称だ。

 あのダンジョンは鉱物が多く、盗掘が横行するせいで遭難者も多い。

 採掘層で〝ゾンヴォイド〟と呼称される徘徊廃人となり、潜穽者(ダイバー)の〝駆除対象〟になっている。元は江戸時代に処刑場だったせいか、鉱物が人間の魂を養分にして育ってるんじゃないかという都市伝説まで囁かれている。


 ミカコは食事をしながら、話を続けた。

 俺はいつものように、ワイングラスに水を注いでやる。


「歳は十五歳。オス。身長一六八センチ。手の甲に龍のあざがあるの」


 龍の痣……まさか。

 ウォーターボトルの手を止めると、小娘と目があった。


「名前、気になるでしょ?」

「だから、弟子は取らねえっていったろ。黙って食ってろ」


 ミカコは一瞬ニッと口角を引き上げてから、肩をすくめて食事を再開する。

 俺は供すはずの水をあおった。動揺がその一杯で静まるはずもなく、思考がひっ掻き回される心地に顔をしかめた。


「その子犬、マモル・トウマって言うのよねえ」

「結局、言うのかよっ」

「あれれぇ? 聞こえっちゃったぁ? 今のは独り言だからぁ」


 すっ(とぼ)けた小芝居を打ちながらも、顔は真摯。むしろここからが本題だと言わんばかりに、こっちを見つめてくる。並みの男なら勘違いしそうな魅惑の眼差しを向けてくる。


未装着(ノースーツ)で、六時間。うち一時間二五分で、ガルムスパイダーの巣を三基、破壊。救助後の精密検査でヴォイド汚染は0.2%」


「六時間で汚染が一%以下?」


「らしいわね。よく知らないんだけど、対ヴォイド武術(アーツ)の継承者なんだって? 私、それ聞いた時、タケル・トウマのこと思い出した。だから彼の息子を導けるのは、ベットラーしかいないと直感したわけ。お水」


 カウンター下の冷蔵庫から新しいウォーターボトルをだそうとしたら、グラスを差し向けられて催促された。仕方なく残り半分の水を注いでやる。


「お嬢。俺はな……」

「タケルを引き止められなかったこと、後悔してるのよね。祖父も同じよ」


 後悔、か。俺は意味もなく店内を見回していた。


 どこを探したって自分の欲しい答えなんて見つからない。

 ダンジョンにいる自分なら決めるべき最善、優先すべき行動がわかってるのに。

 それすら怖気(おじけ)づく気持ちが十年、心に巣食ったままだ。


「お嬢。俺はこの国の人間じゃねえ。だからタケルや、御前(ごぜん)の覚悟なんて理解しようと思ってもできやしねえ。しちゃいけねえ気すらしてる」


「それは私も同じかな。血統だけなら祖父の四分の一しかないし? でもタケル・トウマの信念は私の中にしっかり刻まれてる。英雄として。その彼ですら東京八獄は単独では娘を連れ戻すことが限界だった。祖父やベットラーの後悔ってむしろ、支えてあげなかったことなんじゃないのかなって」


「へっ。だから……その後悔を、今さら息子で償えってか」


 ミカコはすぐに頷いた。


「ベットラーがそう思うんだったら、それでいいんじゃない。ただ、そのチャンスは今、ここしかないわ。マモルも妹のために、ダンジョンへ入ったみたいだから」


 俺はグラスをあおった。いつもの水がひどく苦く思えた。一五〇年の人生で、飲んだ水が甘露に思えたことは一度もなかったが。


「もういい……黙って食ってろ」


 俺は細いため息をついた。


 ミカコの人たらし弁説は、父譲り、祖父譲りだ。

 あのカリスマ二人が長子を差し置いても手許において鍛えてみたくなるのもわかる。


 タケルには家族を救う使命があった。

 そんなあいつには、理解者が必要だった。

 そんなあいつの想いを裏切ったのは、俺たちだ。

 禍津神(マガツカミ)

 この極東の暗部は、人では対峙たいじすらゆるされない。


「退院はいつだ?」

「来週の火曜日。警察の事情聴取はその翌日」


「すっ裸で六時間もダンジョンに入って、たった三日検査入院で出てくるのか。怪物だな」

「あっ。あと私、来週の月曜日から携帯を替えるから、こっちに登録し直しておいて」


 そういって、美女が行儀悪くフォークを口に入れたまま、スーツから名刺入れを取り出した。


【 株式会社 アーバレスト・ジャパン地下資源部

   第3地下営業部 主任エージェント

       東城 甕鼓 (Mikako Toujyou) 

                    携帯2**-3145-1010

                    緊急090-8484-****          】



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