悪役令嬢が処刑されたあとの世界で
実のところ、お嬢様のことはあんまりよく知らないのです。下級侍女でしたので。お嬢様に直接話しかけることのできない身分だったんです。
わたしの役目はお嬢様の髪を整える上級侍女に櫛や鏡や、そのとき必要なものを渡すこと。それも手渡しは厳禁で、必ず銀の盆に載せてお出しする規則でした。
上級侍女は貴族出身、下級侍女は平民出身。同じ職業の名を冠していても、両者には確かな隔たりがありました。ましてやお嬢様と下級侍女、その差はいかほどばかりでしたでしょう。
もっとも、そんな取るに足らない下級侍女でしたから今、こうして王宮にお仕えできるのです。
お嬢様亡きあとは途方に暮れてました。家にはまだ幼い弟妹がおり、わたしの給金なしでは成り立ちません。まさか王宮で、下級侍女といえど雇用していただけるとは。望外の喜びでございました。
え?
公爵家への忠誠心……? お嬢様の仇討ち?
は、はあ。そうですねえ、お貴族様でしたら確かにそんなことも考えるのかもしれませんが……わたし、平民ですから。
へ? いえ、おかわいそうだったなあ、とは思います。
だってお嬢様、何も悪いことなんてなさってませんでしたもの。
あの聖女様……あ、今は王太子妃様なんでしたっけ、失礼いたしました、ええと、彼女のことを学園でいじめたっていうのも、聖女様が制服のスカート丈を異常に詰めてしまって、さすがに見ていられないほどはしたなくて。
ええ、はい。それをご注意なさったんです。
はあ。現場は見てましたけど。
お嬢様が先頭をお歩きになり、その後ろを十人の上級侍女がそれぞれ扇や教本を手に持って続き、さらにその後ろをわたしたち下級侍女がぞろぞろ続く、っていうのがいつもの教室移動の風景でした。そりゃ、公爵家のお姫様ですからね、一階から二階に行くにもおおごとでしたよ。
それからええと、食堂で。はい、ありましたねえ。
王太子様に近づくな、って言った話でしょ? それも見てましたよ。だからって何するわけでもありませんでしたけど。そういう仕事だったので。
でも普通、婚約者に妙な女が近づいてきたら警戒するものじゃありませんか?
しかも、王家と公爵家の婚姻は今後の経済提携においてすごく重要でしたんですよね? ぜったい成立させなきゃって、お嬢様は思い詰めていらしたと思いますよ。
まあ、はい。おかわいそうでした。
ご本人はお家のため、お国のため一生懸命でいらしたのに、王太子様と聖女様はそれを全部変な深読みして、いいがかりつけて。どっちがいじめてんのかなあとも思いましたよ、はい。
え? いえ、だから。お嬢様のために王族の方々や貴族の方々をどうにかしようなんて、考えてもいませんよ!
ちょっと待って。まさかこれ、思想調査ですか? いやだ、やめてください。わたし何もヘンなことたくらんでませんよ! ここを辞めさせられたら家族が飢え死にしちゃう。ごめんなさい、やめて……え? あ、はい。よかった。なら、はい。
雇用は続行されるんですね? でしたら、はい。知っている限りをお話しいたしますとも。
あー、びびった。
で、ええと、はい。本題は――聖女様がお産みあそばした赤ちゃんのことですよね?
最近、わたしたちの間で噂が広がっているから。そのことをお聞きになりたいと。ええ、こほん。
赤ちゃんが亡きお嬢様のお顔をしてるなんてことは、侍女なら誰でも気づいていると思います。侍女と申しますか、女なら。ええ。
王太子様とお嬢様は王家と公爵家、遠いご親戚同士、なんにもおかしいことじゃございません。聖女様が赤ちゃんをお産みになってから体調を崩されているのも、たいへんむつかしい難産であられたことも、みんな知っておりますよ。
人の口に戸は立てられぬものですから。
はい、ですから魔術師様は、お嬢様が処刑前に怪しい呪術に頼ったんじゃないかとお考えなのですよね? 聖女様と王太子様が幸せになれないよう呪いを残していくとか、そういう邪法を使ったんじゃないかと。
魔術師様がというよりは、王太子様が。
はへえ、俺の人生こうなるはずじゃなかったとこぼしておられる。それはお気の毒に……。
ううーん、でも、お嬢様がなんかしたなんてことないと思いますけどねー。
お嬢様が牢屋の中で泣き叫んでおられたの、魔術師様も見てらっしゃいましたよね? 管理がすごく厳重で、猫の仔一匹通れないほどだったのも。
あんなに泣き叫んでる暇があったら策略を巡らすのがわたしの知ってるお嬢様です。
ですから処刑前のお嬢様は、なんていうか、自暴自棄? みたいな……もう何もかもどうでもよくなって、いっそ爽快なご気分で泣いてらしたんだと思いますよ。
わたしの妄想ですけれど。
ですから、わたしが違法な呪術師を手引きしたとか、手引きしてる者を見ただとかいうこともありません。合法の範囲内なら自白魔術をかけていただいてもかまいません。
確かにわたしは牢屋の中でもお嬢様のお世話をさせていただきましたが、先に述べました通り末端も末端で、上級侍女の方に銀の盆でものをお渡しする、これ以上のことはしていないですもの。
もう行ってよろしいですか?
きゃっ。お心づけ。すっごく嬉しいです。またいつでもどうぞ!
ああ――そうそう。
赤ちゃんのことなんですけど。
あの子、たぶんお嬢様の生まれ変わりだと思いますけど、お嬢様だったときの記憶もお持ちだと思いますよ。だから魔術師様にまだ人の心がおありで、あるいはご自身の保身を最大限お考えなら、早めに忘却魔術をかけるとか、なんかスッゴイ魔術でなんとかするとか、早い方がいいですよ。
わたしの知ってるお嬢様ならですけど。
泣いて泣いてすっきりして、晴れやかな気持ちになったら、次にすることは復讐ですもの。ご両親含むこの王宮の全員に復讐するために生まれてきたんですよ、あの子。
なんでわかるのかって、逆になんでわからないんです、魔術師様?
あんなに落ち着いたしっかりした表情で、あんなにお嬢様ソックリで、あんなに賢い赤ん坊なんてこの世にいませんよ。
あ、そっか。男の人って赤ちゃん育てないですもんね。そっかあ、それでわかんないんだ。
わたし? わたしっていうか、わたしたちは大丈夫です。お嬢様はわたしの顔も名前も覚えてませんし、制服が変わったからほぼ初対面みたいなもんです。そもそも下級侍女って掃除洗濯係ですから。今後もご不興を買うことはないでしょう。
でも魔術師様は危ないでしょうね。
王太子様がお嬢様の罪を捏造したときに使ったニセの録画魔術、ご提供なさったのあなたですもんね。ご学友だったのに。
じゃ、失礼しまーす。
……ふう。
それにしても聖女様もかわいそ。ずっとお股の間から血を流して苦しまれて。王太子様は次の若い女とイチャイチャしてるし。どっちもお嬢様に罪悪感とかゼロだから、これからキッツイしっぺ返しがくるんだろうなあ。
一番最初の実の娘に生まれる前から恨まれてるってどんな気持ちなんだろ?
ま、どうでもいっか。
わたしには関係ないことだし。