第七十一章「父」
「ねぇねぇ!提灯に願い事書いた?」
「まだ書いてない~!──またあの人と会えますようにって書こうかな~」
「もう尼からの呪縛は解かれたし……、絶対叶うよ!」
「えへへ、だよね~」
提灯を持った若い娘二人が向かっていった先は、送り火の儀式を行う青寺院だ。
まさかのあの場所で儀式を行うとは……なんだか複雑な心境である。神美は、一応提灯を持ってきていた。中の小さな灯火に照らされて、浮かび上がった文字は─────
「ねぇ、小龍は、お願いごとするとしたら何を願う?」
「…そうだな…───私は、世界の平和と……人々が幸せに暮らせるように願う」
実に小龍らしい───と、少し寂しいと芽生える感情を胸に抱きながら、繋がれた手にほんの少し力を込めた。
(馬鹿だな…本気にしちゃって───本当に自分が嫌になる)
「でも、それは……龍としての私の願い───本当は……」
人気が少ないところまで歩いた。でも、此処から見る花火はきっと絶景だろう。空を見上げると満天の星と花火が煌めいた────決して混ざらない…重なる事はない───その星と花火はまるで……
「本当は……、欲を持つ事が許されるならば───私は、人間になりたい……お前と、同じ──人間に……」
「どう、して?」
「…お前を、愛おしいと思うから。…───初めて、唇を重ねた…───お前の本心に触れられたあの時……、その寂しさを…明るさで閉じ込めた臆病さを…私だけで埋めてしまいたいと思った。」
「あたし…あたしは────」
そんな優しい貴方が好きで─────
初めて会ったあの時から、ずっと護ってくれて
見た目なんかで判断なんかしないでくれて、あたしの駄目な部分でさえ、愛おしいなんて言ってくれちゃうから
「好き……────」
大粒の涙が零れた
「小龍が……」
「神美……私の───妻となってくれないか」
"大切な人と一緒にいれますように"───と書かれた神美の提灯は宙に投げ出され、そのまま満天の星に吸い込まれるように風で飛んでいく。
二人の影が重なろうとした瞬間だった────
「───それは、"うちの娘"を……──嫁に貰いたいという解釈で良いのかな?」
今まで感じた事のない邪悪な気配に思わず怯んでしまった───然し、邪悪の中に大きな「愛」を感じる───それは、神美に対しての「愛」だった。
「貴様は…何者だ!」
「…四ノ宮 杏奈────…僕は、彼女と愛を誓った」
「杏奈…だと…!」
「どうして、貴方がお母さんの名前を…!」
もう一人は…神様だったんだ
ドクン!───と、心臓が跳ねた。杏奈の声が脳内に再生される
…その人はさ、突然アタシの前に現れて…───神様っぽくない神様だった。人間みたいにちゃんと意思も…欲望も希望も…持ってたからさぁ……、素直で……アタシにはない物をいっぱい持ってる人
(まさか…)
「神美……キミには辛い思いを沢山させてしまったね……」
笑顔を絶やさないその人物は、欠けた牛の角────背中には大きな黒い翼に鳥の趾を持ち、高貴な衣を身に纏い、既に屍となった動物の顔の骨を仮面にして右眼だけを隠していた。
「に……人間じゃ…ない?」
「僕は、神だ────戦の神…… 蚩尤」
「!!…シ、 蚩尤」
「じゃあ、貴方が────!」
信じられない─────いや、信じたくないんだ。
おばあちゃんが昔封印した最凶の戦の神が
「あたしの………お父、さん?」
「なんだと!?……」
白龍が動揺を隠せずにいると、「お父さん」と口にされた事が嬉しかったのか、 蚩尤は満天の星に向かって狂ったように笑った。
「嗚呼……───嗚呼……我が愛しい娘よ……やっと───逢えた……」
目を見開いた 蚩尤は、手を白龍に向けて伸ばす──
ブワッ!!!と、激しい突風が白龍を襲い、そのまま地面に打ち付けられた。今の衝撃で、白龍は白龍の姿に戻ってしまった。
「くッ……!!」
「シャ、小龍!!」
「神美……!何故そんな龍を気遣う?───そいつはお前を誑かそうとする悪い龍だ…」
「…酷い……────なんでこんな事するの!?」
「……杏奈が遺した愛の結晶を護る為…───僕にはもう……キミしか……いない」
「…勝手────自分勝手すぎるよ……!!、あたしの大切な人を傷付ける人は……」
「キミは知らないから───龍は……キミが慕っていた… 龍仙女は、世界を平和に導く為に利用をしようとしているだけだ。……仙女になるという事は……、世界に身を捧げ…生贄になる事。キミの親代わりとなった龍仙女は、キミを使って自由を選んだんだ。」
「違う!!おばあちゃんは……」
「全員、偽善者にしかすぎないんだよ────だって、……キミを憎んでいた者は確かにいた……。今傍にいるそこの白龍や…他の龍だって───人間に生まれ変わるなんて事をしなければ、皆…傷つかずにいたのに……───だからね、キミは…僕といる方が幸せになれるんだよ」
「おばあ……ちゃん…は───…みんなは」
小龍や、黄龍……他の五龍の皆は……あたしの知らないところで沢山傷ついて生きてきた。
おばあちゃんは、あたしのせいで"使命を放棄"したと思われても仕方がない。五龍の皆は……
「全部……あたしが招いた事だ」
「神美!!……耳を傾けるな!!」
「……さあ、神美────」
蚩尤が神美に掴みかかろうとした瞬間
「触んなボケカスが────」
ジャラリと鎖が 蚩尤の手脚を拘束する。
「……その殺意のある濁った瞳……───キミも、僕と同じ……その中に「愛」があるんだね───」
「あ?───何を訳分かんねーこと言ってんだクソジジイ」
「ッ…!赤龍!!」
「チッ……───とんでもねぇ殺気と邪気を辿って来てみりゃあ……なんだコイツ…。白龍もそんな所でくたばってんじゃねーよ」
「す……済まない───…気をつけろ、そいつは」
白龍を遮るように 蚩尤が不気味な笑い声を漏らす。
「……キミから、僕と同じ血が感じられる────何故……その体内に僕の血が?」
「血……?」
「なら……───殺す事はできないね……、でも…娘は渡さない───絶対に……。最終的にはその「血」も返してもらう」
もう少しだけ…泳がせてあげるさ─────そう言って 蚩尤は消えてしまった。
然し、神美の不安は消えない────
信じたくはないが、あれは……
一気に押し寄せる絶望と罪悪感が神美の心を蝕まれた。
離れたくない────もう大切な人を失いたくない……
でも……でも!!────
(みんなは………あたしと一緒にいると不幸になる?───)
……宮────
「え……」
四ノ……
誰かの声が聞こえる────
『四ノ宮!!!……何処に居るんだ!?』
その声には、聞き覚えがあった──────
あたしをよく、からかっていた男の子の声だ。
左手の指輪が光る────
でも、直ぐに消えてしまった
「神美…」
「小龍…!!───ごめんなさい……ッ───赤龍も……ッ……みんな!……みんなごめんなさいッ!!」
泣く事しかできない、喚く事しかできない
それを察知したのか、慰めるかのように、白龍は神美に擦り寄った。




